第173話 ばばんばー(異大陸の間者視点)
深夜、領都の外れにある酒場で。
表の顔はしけた酒場のバーテンダー、裏の顔は異大陸の間者である異大陸天帝の実弟は、内心だいぶうんざりしながらツバキの熱弁を聞き流していた。
「もう超激ヤバなのだ! 激ヤバぷんぷん丸ムカチャッカファイヤーなのだ!」
「あーはいはい」
ツバキは普段、実際の年齢が十代半ばなどとはとても信じられないほど、大人顔負けの戦闘力と乳のデカさと落ち着いた態度を持つ少女である。
しかし一旦その余裕が崩れると年相応、もしくはそれ以上に取り乱す悪癖があった。
とはいえ、東の異大陸で最強の剣豪と呼ばれていたツバキを乱れさせるような事象なぞ、この世界に幾つも存在しない。
少なくとも、間者はそう思っていたのだが──
「とりあえず落ち着け。酒……はダメだからクリームソーダでいいか?」
「それどころじゃないのだ! でもアイス増し増しでお願いしますのだ!」
「はいはい」
酒場にある中で一番でかい、金魚鉢サイズの器を氷と甘い炭酸水で満たして、その上に親のかたきみたいにアイスを盛り付けて差し出すとズゴッッ! ズゴゴゴゴゴッ! などと、まるで建設現場みたいな音を立てながらツバキがクリームソーダを貪った。
そして、あっという間にアイスまで食べ尽くして満足そうな顔を見せると、
「ふう、ごっそさんなのだ。じゃ」
「待てや」
とりあえずツバキは落ち着いたようだ。そう間者は判断する。
ならば仕事の話をするべきだろう。
「もう一度最初から、順を追って説明してくれ。まずは分校の講義の一環で、野外演習に出掛けたってことでいいのか?」
「そうなのだ! ちなみに講義は『庶民学』なのだ!」
「庶民学……?」
この大陸には、実にけったいな学問があるもんだなと首を捻る。
この大陸のどこを探しても庶民学なんて講義がある学校は一箇所だけしか無いことを、不勉強な間者が知るはずもなかった。
「で、その行き先がなぜか魔獣討伐だったと」
「そうなのだ!」
「……なんで庶民で魔獣討伐?」
「庶民でも魔獣討伐ができることを証明するためなのだ!」
もうここら辺から間者の常識は拒否反応を示すのだが、なんとか続ける。
「念のため確認するが、その庶民学の先生ってのは、生粋の庶民なんだよな……?」
「でなけりゃ女騎士学園の分校に左遷されないのだ」
「だよなあ」
むしろどんな不始末をしたのか気になるほどだ。機会があったら調べてみたい。
「しっかし、庶民が魔獣討伐ねえ……どうやるんだ?」
「拙も疑問だったのだ。青春と太陽大作戦くらいしか思い浮かばなかったのだ」
「ツバキも好きだなそれ」
とはいえツバキはというよりも東の大陸の武士はどいつもこいつも、頭を空っぽにして突撃するのが大好きすぎる。
そんなことだから情報が軽視されたあげく、上層部の独断で戦争が始まるのだ。
「で、実際に斃せたのか?」
間者が聞くと、ツバキが真顔でぐいと顔を近づけた。
「斃したどころの騒ぎじゃないのだ!」
まあそうだろうと間者は思う。
そうでなければ、ツバキほどの武芸者がこれほど大騒ぎするハズが無い。
「そもそも最初からおかしいのだ。公爵令嬢をずっと肩車して、拙たちと同じスピードで険しい山道を駆け抜けたのに、汗一つ掻いてないのだ」
「そいつは体力自慢だな」
「昼には、毒入りのモツでレバニラ作ってたのだ。滅茶苦茶美味しかったのだ」
「それは……意地汚いだけじゃないのか?」
「拙だけおなかピーピーになったのだ……鍛え方が足りないのだ……」
「毒と分かってるものを食うんじゃないよ」
まあそこは本題じゃないので、軽く流しておく。
「で、魔獣はコカトリスだって?」
「なのだ! 目線と息で石化させる、恐ろしい魔獣なのだ!」
なるほど、東の大陸のコカトリスと変わらんらしい。
「じゃあ、そこのところを詳しく」
間者が促すと、ツバキが「ごきゅり」と唾を飲み込んでから。
「……あれはもう、人間業じゃないのだ」
「ふむ?」
「だってコカトリスを一撃で倒したのだ!? しかも素手のヘロヘロパンチだったのだ! なのに、お前はもう死んで
正直、とても信じられない話だ。
庶民が魔獣を倒すのはまだいいとしよう。
軍人より強い民間人というヤツだ。
しかし一人で、しかも一撃では常識的にあり得ない。
目の前のツバキだって、東の大陸では比類無き圧倒的強さを誇る武芸者だが、それでも単独でコカトリス、しかもゾンビ化した個体の討伐は相当苦労するはずだ。
しかもそれは、妖刀を計算に入れた上での話だ。
なのにその男は素手だという。
「ちなみに……その時、一緒にいた女騎士学園の生徒はどうしてた?」
「コカトリスが食べられなくてショックを受けてたのだ」
「そこなんだよな……」
残る二人が全く慌てていないというのもポイントで。
つまりそれが、当然の結果だと認識していたことに他ならない。
目の前にいたのが、伝説の
ただの左遷された官僚が、コカトリスを一撃で倒しても驚いていないこと。
……ということは……?
それが普通とまではいわなくとも、それほどまでの戦闘力を持った庶民の存在が、この大陸では日常的だということになる……??
「いやそれ、マジで言ってるのか……?」
「どうしたのだ? ぽんぽん痛いのだ?」
「……論理的思考を推し進めた結果が、到底あり得ない結論に至って混乱してる」
「バカの考え休むに似たりなのだ」
「うっさい」
──まさか庶民を自称する草むしり左遷男こそが、英雄譚に伝わる
しかもバカみたいに強い幼女の正体は、軽く千年以上は生きたハイエルフだとか。
そんな確率の低すぎる偶然にぶち当たっただなんてさすがに思いつかない、まっとうな思考の間者は……
「……一つ確実なのは、この大陸の連中に戦争をふっかけるのはヤバすぎるってことか。クソっ、あのアホ兄がなんて言うか……!」
とりあえず、和平の方向に話を持っていこうと決心したのだった。
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