第169話 新・三大兄様英雄伝説異聞〜そして伝説へ〜(ツバキ視点)
深夜の闇に隠れるように、ツバキが領都の外れを独り歩いていた。
もう閉店したとしか見えない酒場の扉を叩き、合い言葉を問われて一言。
「のばら」
「入れ」
ほんの少しだけ開かれた扉を、身体を滑らせるように入って見回す。
そこにいるのは、平たい顔の男。
それは紛れもない、東の大陸に住む人間の特徴で。つまり。
この一見寂れた居酒屋は、東の大陸の間者が使う隠れ家だった。
「どうだツバキ、
「まだなのだ。ていうか、拙は今それどころじゃないのだ」
少しはだけた袴を直し、ぎゅうぎゅうに締め付けた胸元のサラシを緩めて楽にしながら、ツバキは間者の元締めに答えを返した。
──
それは大海を越えて遙か東の大陸に伝わってきた、新たな神話。
かの異大陸で『
その人物の名は定かではなく、聞いたほとんどの人間がホラ話だと断定するシロモノだ。
なにしろ活躍が荒唐無稽に過ぎる。
曰く、絶対に失敗しない暗殺者から、公爵令嬢を救い出し。
曰く、魔物の大暴走を食い止めて、大陸を救い。
曰く、囚われの姫君を救い出した。
その他にもいろいろとおかしい伝説はあるが、その中に『ミスリルの大鉱山』に加えて、東の大陸でも幻となって久しい『オリハルコン』の名前まで出てくれば、眉唾だとしても調査せざるを得ないわけで。
そしていろいろ調べてみると、詳しいことは分からないものの、どうも全てが根拠無いホラというわけでもなさそうで。
ならば異大陸に調査役を送り、直接調査をする価値は大いにある。
そういう結論になった。
調査役として白羽の矢を立てられたのは、東の大陸で最強の武人と誰もが認める存在で、大陸統一国家樹立の原動力ともなった爆乳剣豪美少女ツバキ。
ツバキが任命された理由は単純にして明快。
戦争が終結した以上、大陸統一の英雄は、天帝ただ一人で十分だったから。
圧倒的すぎる戦闘力と名声を疎んじられたツバキは、表向きは
もっとも、ツバキ本人に異論があったわけでもない。
(大陸にはもう、拙の相手になる武士はいないのだ……)
強さの極限を目指す武芸者として、日常的により強い敵を求めてきたツバキはある日、自分が頂点に位置することに気づいて愕然とした。
だから。
異大陸に行けと言われた時、自分でも驚くほど未練が無かった。
その
実際は、それどころではなかったのだが──
「この大陸の人間は強いのだ」
「は? どういう意味だ、ツバキ」
「正確にはごく一部、途轍もなく強いヤツがいるのだ。しかも武人ですらないのだ」
目の前で間抜け面を晒す間者は、東の大陸でごく一般的な身体能力の男。
表の顔はバーテンダーである間者は、それなりに鍛えられてはいるが一般人の範疇だ。
ツバキがほんの少しその気になれば、三秒で元が人間だったと分からない肉塊へ変わる。
なんなら刀を使わないどころか、手足さえ使わず舌先だけで間者を始末することもできる。
それほどにツバキの強さは隔絶していた。
そしてそれは、ツバキにとって当然のことで。
──けれど、あの男はまるで違った。
「拙が全力で挑んでも、敵わない男がいるのだ」
「……それひょっとして、
「それが最初、執務室で雑用してたのだ。だから官僚だと思うのだ」
「官僚?」
「しかも左遷されたみたいで、最近は女騎士学園の分校でよく草むしりしてるのだ」
「じゃあ違うな」
ツバキも当然とばかりに頷いた。
それが本当に
「それに、拙より強い幼女もいたのだ」
「はああっ!?」
「事実なのだ。まだ五歳とか、そのあたりだと思うのだ」
「……ひょっとしてツバキ、呪いかなんかで滅茶苦茶弱くなったとか……?」
「それは拙も疑ったのだ」
「で、どうだった?」
「調べるために拙はこの前、胸元のサラシを外して治安の一番悪い区域を練り歩いたのだ。でも何事も無かったのだ」
「いや、その調べ方は止めてさしあげて……?」
いくら辺境伯領の治安が良いとはいえ、ツバキほど凄まじい爆乳美少女がそんな場所で胸元を見せつつ闊歩すれば、チンピラや人攫いがわんさか寄って来るわけで。
その上で何事も無いというのは、つまりまあ、そういうことなわけで。
「……まあそれはともかく、
「さっぱりなのだ」
伝説が果たしてどこまで本当なのか、それを確かめるのも目的の一つ。
そういうことになっている。
けれどツバキは実のところ、そこのところはまるで気にしていなかった。
それは、自分にしかできない仕事で。
だからそれ以外の調査は、間者の領分だと割り切っていた。
もっとも……
「まあ、おれの方もさっぱりなんだけどなー。わはは」
ツバキの見る限り、目の前の男には基本的に間者のセンスが無い。
──それもそのはずで、この間者はそもそも、間者となる専門の訓練を受けていない。
つまり素人の真似事である。
ではなんで、こんな離れた異大陸で間者の真似事をしているかと言えば。
この間者が元々、東の大陸を統一した天帝の、追放された実弟だからである。
そのことを聞かされたとき、さすがにツバキも驚いたものだ。
「まあそれはそれとして、今後の話だ」
「拙は女騎士学園の分校で鍛え直すのだ。……せめて、この地であの男や幼女にくらいは勝てるようになりたいのだ」
「まあそらそうだな」
「なのでそっちは、情報収集を引き続き頼むのだ」
「あいあい。おれもたまには仕事しないとな──」
そう口にしながら、うんざりという表情をする間者だった。
──昨年の秋、王都で大流行した王女救出譚は、大陸中の吟遊詩人がよってたかって、様々なバリエーションを作りまくった。
そして戦争やクーデターで疲弊していた民衆が望んだものは、内容は多少荒唐無稽でも明るく爽快、スカッとするような痛快活劇で。
それに加えて、刺激に慣れた民衆はより過激な刺激を求めるもので。
そんな英雄譚の過激路線を決定づけたのが、ミスリルとオリハルコンと戦争の大勝利。
なにしろどんな吟遊詩人の想像をも上回る出来事が、実際に起きてしまったのだ。
その後、英雄譚がますます過激に過激を重ねまくってはや数ヶ月。
最新流行の英雄譚『新・三大
そして民衆の方も毎日ずっとそんな話を聞いていたせいで、英雄譚のどこまでが本当でどこからがウソなのかがよく分からない状態で。
そもそも庶民には貴族のように詳しい情報が流れてこないこともあり、話のこの部分はウソだ、いやそこは本当だって聞いたなどと、聞く相手によって言うことがまるきり違う状況なのだと言っていた。
……もっと前から真面目に情報収集しとけばよかったのだ、とは思いつつ。
煤けた背中を見せる間者に、さすがに同情を禁じ得ないツバキなのだった。
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