第160話 ボクの胃はストレスでもうボロボロだよ!(トーコ視点)

 深夜のサクラギ公爵邸。


 スズハの兄との話し合いから王都へと戻ったトーコはその日、お忍びで公爵家の書斎に入った途端ドヤ顔で親指を立てた。

 その様子に、サクラギ公爵はトーコの作戦が成功したことを知った。


「そうか。あの男は、分校設立の提案を呑んだか」

「うん、バッチリ!」


 トーコと公爵による、密室会合の最近のテーマ。

 それはローエングリン辺境伯領内に、なんとかスズハの兄を説得して新たな軍事施設を建てられないかということだった。


 もちろん今でも兵舎や国境砦なんかはあるけれど、そうではなくてもっと大規模でかつ最新の軍事施設を。

 理由は簡単。

 辺境伯領の重要度が、今までとは比べものにならないからである。


 スズハの兄がいる以上、実質的に軍事侵攻は起こらないとしても。

 それはそれとして新たな軍事施設の一つも建てないことには、他国にオリハルコンや、スズハの兄を軽視していると見られかねないのだ。

 そうして外交問題が巻き起こった結果、スズハの兄がキレるのが一番怖い。


「まあホントは、方面軍の本拠地くらい置いて当然なんだけどさ」

「あの男はいい顔をしないだろうな」

「そうなんだよねー」


 現在の辺境伯当主であるスズハの兄は、出自は庶民だし感性も庶民だ。

 そして貴族と庶民で大きく違うものの一つに、軍隊への見方というものがある。

 貴族にとって軍隊は、良くも悪くも道具でしかない。

 一方で庶民は、往々にして軍隊に感情を抱く。すなわち好きか嫌いか。

 そしてスズハの兄は公言していないものの、恐らく軍隊が苦手なタイプだというのが、トーコと公爵の共通見解だった。

 貴族や権力と軍隊の好き嫌いは、大抵の場合セットである。

 そしてスズハの兄は、明らかに貴族や権力を苦手としているのだから。


 ──というわけで。

 二人で討論を重ねた、他国に対してそれなりに見栄えもして、スズハの兄が間違いなく妥協するであろう軍事施設。

 つまりはそれが、女騎士学園の分校なのだった。


「ボクが帰るときにはスズハ兄、ニッコニコで全額負担できます! って言ってくれたよ。ミスリル鉱山の利益が回せそうだって」

「つまりあの男は、分校を教育施設と受け取ったわけだな」

「間違いなくね。まあそうでなきゃ、もともと女騎士学園にスズハを入学させることも、いい顔しなかっただろうけどさ」

「そのおかげでユズリハと出会い、我々とも繋がったわけか」

「だねー。そうでなきゃ、少なくともボクはクーデターで間違いなく殺されてた」

「そしてユズリハがショックで抜け殻になり、他国に攻められた我が国は滅亡していた。……あの男に権力欲が無いのは、本当に欠点だな」

「そしたらスズハ兄は今ごろ王様で、ボクはその横でお嫁さんやってるのにさ」

「なにを言うか。あの男の横に立つのは、ユズリハに決まっとるだろうが」


 二人とも、この点では一歩も引く気はない。

 けれどここで不毛な議論をしても意味が無いことは、とっくの昔に骨身に染みている。

 なので公爵は話を変えることにした。


「それでどう説得したんだ? オリハルコンで他国がうるさいから虎の威を貸してくれ、とでも素直にお願いしたのか?」

「バカ言わないでよ!? それじゃあボクが、外交一つできないアホ女王みたいでしょ! スズハ兄にそんな格好悪いところ見せたくないし!」

「ではどうやって頼んだ?」

軍旧主流派あのクソアホどもに対抗するためってお願いした!」

「……それは格好悪くないのか……?」


 公爵は首を捻るが、トーコ本人しては筋が通っている。

 トーコはスズハの兄に、内政面ではクーデターという最悪な現場を見られた上に助けられている以上、せめて外交ではデキる女王というイメージを損ないたくないのだ。

 女の意地なのだ。


「ボクも悩んだけどさ、でもスズハ兄にウソつくなんて絶対嫌だし」

「まあ、旧軍体制派が面倒なのは確かだな」

「それに国内の貴族連中への牽制にもなるし、一石二鳥だよ。ボクとスズハ兄は蜜月関係なんだぞってアピールもしないとねっ!」


 女騎士学園といえば王家の管轄、というのが貴族の常識だ。

 なにしろ女騎士学園の正式名称は王立最強騎士女学園。

 つまり王立である。


 スズハの兄から提案された分校費用の全面負担は、ありがたく受けるつもりだけれど。

 それでも貴族の思考というものは、王家の女騎士学園に関する権利の一部をスズハの兄に渡したのだと受け取るものである。

 もっとも、有能な貴族連中には内情バレバレだろうが。

 公爵がそういえばと思い出して、


「ふむ。だがお前は以前、あの男の影響力を懸念して、辺境伯領から離そうとしたはずだ。その点はもういいのか?」

「あー。それね……」


 トーコの目がどんより曇ると、


「いやボクもさあ、あの頃はいろいろ頑張ってたわけよ。でももう諦めた」

「なぜだ」

「そんなの当たり前だよねえ!? ちょーっと領地から遠ざけたら、彷徨える白髪吸血鬼を倒したあげく幻のエルフ族まで連れてきたんだよ!? 大手柄にも限度があるってのさ! ボクの胃はストレスでもうボロボロだよ!」

「では、あの男を手放すか?」


 公爵が聞くと、トーコが一瞬で真顔になって。


「絶対ムリ。あり得ない。スズハ兄を手放すなんて、たとえ仮定でも不可能だから」

「ならば今のは、愚痴などではなく惚気ということだな」

「ちょっ──!?」


 慌てて手を振り、全力で否定しようとするトーコ。

 けれど結局、口をもごもご動かした末、ついに反論することができなかった。

 まあそれも仕方ない。

 本人だってそれが惚気でしかないことを、心の底では理解していたから。


 ****


 スズハの兄が絡むとポンコツになることはあるが、トーコは基本的に有能な為政者だ。もちろんサクラギ公爵も。

 その後いくつかの懸念事項を話し合い、方針を決めて。

 最後に話題に出たのは、異大陸についてだった。


「最近さあ、海の向こうが怪しいのよね」

「……異大陸か? たしかに港が騒がしいと報告は来ている、だが……」


 トーコたちのいる大陸の海を挟んだ向こう側には、こことは別の大陸が存在していて、それらは纏めて異大陸と呼ばれている。

 一番有名なのは東にある異大陸で、それ以外にもいくつかの異大陸が確認されているが、それ以上のことはよく分かっていない。

 そもそも国交というものが、まるで存在しないのだから。


「異大陸で何があろうと、こちらには関係ないだろう……?」

「まあ普通はそう思うよねえ」


 なにしろ大陸から離れて遠洋に出ると、まず間違いなく強力な魔獣が出没して船を襲う。

 つまり危険すぎるのだ。

 もちろん強力な魔導師を同行させたりして魔獣を追い払うことも可能だが、費用は相当高額だし、魔獣に負けたりする他にも嵐に遭ったりして沈没するリスクも大きく。

 しかもそこまでして異大陸に着いたところで、有益な交易品が存在しない。


 ──というわけで、異大陸への旅行などは金持ちの道楽でしかないというのが、貴族を含めた共通見解だった。

 しかし。


「もしオリハルコンが見つかったってなったら? しかもエルフもセットで」

「う、うむ……? それは……?」

「戦争だってあり得ない話じゃない、って思わない?」

「……否定したいが……ううむ……」

「でしょ?」


 そしてトーコには残念なお知らせがあった。

 それは異大陸に、好戦的かつ強大な国家が存在するという情報である。


「公爵はさ。東の異大陸がつい最近、国家統一された話って知ってる?」

「いや……異大陸のことまで気にする余裕は無かったな……」

「ボクもそうだから、つい最近知ったんだけどね。なんでも滅茶苦茶強いケンゴーがいて、そいつが敵対国を潰しまくって国家統一したんだって」

「……ケンゴーとは何だ?」

「ボクもよく知らないけど、なんかユズリハみたいなものらしいよ?」


 その情報を聞いたとき、トーコは妙に納得したものだ。

 そりゃあユズリハくらい強いヤツがキッチリ戦争に投入されてフル回転しまくったら、大陸統一くらいできるでしょ。


「──つまりそいつらが戦争を仕掛けうる、ということか?」

「そこまでは分かんないけど、条件は当てはまるよねー」

「あとは異大陸での、オリハルコンの価値にもよるだろうが……」


 異大陸では、オリハルコンはこちらほど価値を持たないかも知れない。

 それならば問題無い。

 だがもしも、こちらの大陸以上に貴重な品ということならば──


「……マズいかもしれんな」

「ねー。さすがに異大陸じゃ、スズハ兄の威光も効かないしさ」

「当たり前だ」


 この大陸の国家なら、スズハの兄がいるだけで相当な抑止力となる。

 けれどその実績があまりに破天荒すぎるため、異大陸の人間には逆に通用しないだろう。

 なにしろリアリティがなさ過ぎる。

 トーコだって、異大陸のケンゴーが百万の軍隊をたった独りで蹴散らしたと聞いたら、間違いなく鼻で笑う。


「まあ今の段階では、そういう可能性があるってだけなんだけどさ」

「そうだな。頭の隅に入れておけばそれで良い」

「だねー」


 でもこういう悪い可能性って、だいたい現実になるんだよねー……

 トーコはそう思ったものの、さすがに口には出さなかった。

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