第132話 我が国で最も治安が良いのは、ぶっちぎりで辺境伯領だ(トーコ視点)

 深夜のサクラギ公爵家。


 いつもに増して遅い時間に当主の書斎へと入ってきたトーコが、椅子に座るなり大きなため息をつく。

 スズハ兄に腰でも揉んで欲しいとトーコは思った。

 遅れて入ってきたサクラギ公爵から熱いお茶を貰って一口啜る。


「疲れているようだな」

「本当にね……! ある程度は分かっちゃいたけど、こうまで領内の治安が悪化するとは思わなかったわよ!」

「ほとんど粛清したからな」


 現在、ドロッセルマイエル王国の治安は悪化している。

 理由は明白。クーデターがあったからだ。

 もっと言えば、トーコが女王になった時、王子派の貴族を根こそぎ粛清しまくったから。


 貴族の大きな仕事の一つに、領内の治安の維持がある。

 なので貴族の大多数を粛清した段階で、治安の悪化は予想が付いていた。


「まあボクが女王になったせいで治安が悪化したと思えば、忸怩じくじたるものはあるけどね」

「そうは言うがな。どちらかの王子が次の国王になったなら、治安状態は現状などとても比較にならないほど悪化していたぞ? なにしろ連中はクーデターを起こすほどのアホが揃っているうえに、苛烈な領政で領民から搾り取ることばかり考えていた奴らだからな。治安維持にカネを出すなど到底思えん」

「まー、それはそうなんだけどね……」


 自分たちもクーデターを計画した事を棚に上げたのは、ツッコまないでおこうと思った。

 ツッコむ気力が無いともいう。


「でもさ、それにしても予想より悪化のペースが早いわけよ。なんでさ?」

「それについては心当たりがある」

「なによそれ」


 公爵が顎を撫でて口を開いた。


だ」

「あの男、ってまさかスズハ兄? なんでそうなるの?」

「これは、我が公爵家の家宰が考えた仮定の話だが──」


 ──その昔、我が国は近隣諸国に脅威を与える大国だった。

 なので大国はこぞって防衛を強化し、内部工作に回せる余裕はそれほど無かった。


 しかしそこに、スズハの兄が現れた。

 スズハの兄は自らの領地をたった一人で奪還して、攻めてこようとする百万の敵軍を、ただの一兵も使わずに叩き潰した。

 まともに考えて、そんな圧倒的すぎる武力に、武力で対抗しようとしても無駄だ。

 ならば、残るのは搦め手しかないだろう──


 そんな公爵の仮説を聞いて、トーコが頭を掻きむしる。


「つまりマトモに戦うのを諦めた代わりに、治安を悪化させて嫌がらせと弱体化を狙う……ってコト!?」

「そういうことだな」

「ううっ……それホントにありそう……!」

「ワシが敵国にいたら、治安を悪化させるために盗賊どもを送り込み、また既存の盗賊も支援するだろう。なにしろ盗賊どもが捕らえられても、貴族との繋がりを探るなど普通は不可能に近い」

「いっそ攻めて来てくれた方が楽ってことか……」

「しかしそちらは、敵国にメリットが無いからな。近隣のどの国も、我が国との国境兵を大幅に削っていると報告があった。余剰人員をそちらに回す余裕は十分ある」

「うーっ……!」

「もう一つ面白い話があるぞ。現在の我が国において最も治安が良いのは、ぶっちぎりで辺境伯領だ。つまり他国が一切手出しをしていない」

「まあ万が一にもちょっかいがバレて、スズハ兄の逆鱗に触れたなら、キャランドゥー領みたいに完膚なきまでに叩き潰されると思えばねえ? スズハ兄の領地に手を出すバカは、そりゃいないでしょーよ」


 予想以上に治安が悪化した原因は分かった。間違いなくそれだ。


「はあ……ただでさえ、スズハ兄のおかげで面倒な事が増えたばっかりだっていうのに。もっとも、こっちはその面倒を数万倍しただけのメリットも貰っちゃってるから、文句も言えないんだけどさあ!」

「ほう。今度は何があった?」

「聖教国からの呼び出し」


 聖教国は、この大陸全土に広がる宗教の総本山を中心とする宗教国家である。

 ドロッセルマイエル王国には独自の国教があるが、それも元を辿れば聖教国から分離、独立したものだ。

 もっとも国教のトップであるはずの教皇は、クーデターの首謀者の一人として粛清され、現在は空位となっているのだが。


 いずれにせよ大陸最大の勢力の一つに違いない。

 そして、そんな勢力が今さら動く理由なんて、一人しか存在しない。

 少なくとも、トーコの知っている限りでは。

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