第125話 いいや。三分だ(ユズリハ視点)

 サクラギ本邸にも、当然のようにユズリハの寝室はある。なにしろ部屋が余っていて、使わなくなった部屋を片付ける必然性が薄いのだ。

 その夜、何年ぶりかに自分の寝室に入ったユズリハが、思い出にある寝室となにひとつ変わっていないことに目を細めていると。


「──ユズリハお嬢様。少々お時間よろしいでしょうか?」

「入れ。どうせ来ると思っていた、まだ着替えていない」

「失礼いたします」


 入ってきたのは家宰のセバスチャンだった。


「どうした……なんて聞くまでもないが」

「ご明察の通り、辺境伯のことでございます」

「いいだろう。わたしはスズハくんの兄上の相棒だからな、いくらでも語り尽くしてやる。長い夜になるぞ」

「いえ、お嬢様の妄言はどうでもよろしいのですが」

「お前は本当に変わらないな……」

「今さらお嬢様に忖度そんたくしても仕方ありますまい」


 それはそうだ、とユズリハは思う。

 相談料のつもりであろう、家宰のセバスチャンが持ってきたワインをグラスに注がせて一口舐めると。


「しかしまあ、わたしの相棒は本当にたいした漢だな。今までの人生で、セバスチャンがとんでもない大ポカをしたところを初めて見たぞ」

「と言いますと?」

「まだ分からないのか? スズハくんの兄上に、あんな簡単すぎる討伐を依頼したこと。それこそが取り返しの付かないミスなんだ」

「……どういうことですかな……?」


 家宰のセバスチャンがまだ分からいないのも当然だろう。なにしろ。


「なあセバスチャン。コカトリスでもフェンリルでもクラーケンでもいいんだが、お前が魔獣の拠点一つあたりに準備する兵力は?」

「お嬢様を団長として、精鋭百を二週間。そんなところでしょうな」

「では逆に、わたしがいないと仮定したら?」

「お手上げですな。お嬢様のような次元の違う圧倒的戦闘力の持ち主がいないのならば、そもそも魔獣などと戦うべきではありませぬ」

「では最後に、スズハくんの兄上が一人で向かったら?」

「今までに集めた情報を総合しますと──魔獣を一体、準備期間など含めて一週間ほどで斃せるのではないかと」

「さて、そこが大間違いだ」


 ユズリハが、目の前に指を三本突き立てる。


「三週間ですかな?」

「いいや。三分だ」

「────!?」

「もっともコカトリスもフェンリルも、スズハくんの兄上が本気でやれば三分もかからず消し飛ぶだろうが、実際には十分くらい生きているんじゃないか? スズハくんの兄上のことだ、魔獣を最大限美味しくいただくためにできるだけ傷つけず倒すだろうからな」

「それはつまり、魔獣相手に手加減をしてみせると……?」

「結果的にはその通りだが、本人としては違う。むしろ狩猟と同じ感覚だな」

「……あのお方は、それほどまでに……強いのだと……?」


 ユズリハが分析するに、スズハの兄の戦闘力は過小評価されるきらいが強い。

 それには様々な原因がある。


 本人が平民出身であること。見た目がごく普通の青年であること。

 本人の性格的に自分の活躍を宣伝せず、時には無かったことにさえしようとすること。

 殺戮の戦女神キリング・ゴッデスと渾名される自分が、いつも近くいること。

 そして何より。


 スズハの兄の残した数々の伝説が、あまりにも凄まじすぎること──


「一度でも目の前でガチの戦闘を見れば、嫌でも思い知らされるんだが。そうでないと、わたしや近くにいたアマゾネスなんかが助けていると思われるらしい。んなわけあるか。スズハくんの兄上の伝説は、全部あの男が一人で作り上げたものだ」

「そうでしたか……」

「セバスチャンもそう無意識に考えて、スズハくんの兄上の戦力を計算したのだろう? だがまだマシだ。阿呆になると今でも、わたしの方が強いなんて勘違いするヤツもいる。それに比べればだが」

「……己の不明を恥じるばかりですな……」


 本気でへこむセバスチャンという、世にもレアな姿を見て満足したユズリハだった。


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