第121話 オリハルコンは食べられませんよ?
野を越え山を越え、やって来ました公爵領。
サクラギ公爵領は肥沃な土壌に恵まれて農作物の質と量ともに国内随一を誇るというサクラギ大平原を有し、その上で銀山やマグロ漁港なども有する、まさしくチート領地。ウチのような辺境領地とはわけが違う。
こういうのって、市場で買い物してると自然と身につく知識なんだよね。
なにしろ美味しそうな食べ物が、みんなサクラギ公爵領産なのだから。
そのあたりを分かっていないスズハに、サクラギ公爵領の凄さについて語っていると、なぜかユズリハさんにジト目で見られて。
「……いや、キミの言うことは全部正しいのだが……世界で唯一のオリハルコンの鉱脈を保有するキミにベタ褒めされるのもな……」
「? オリハルコンは食べられませんよ?」
「当たり前だ。それに食べ物なら、この前併合したキャランドゥー領があるじゃないか。あそこなら農作物も海産物も豊富だ」
「あー、そうですねえ……でもあそこの領地はもともと他国だったわけですし、いずれはウエンタス公国に返還したいと思ってるんですが」
「キミはそんなことを考えてたのか……俗欲に塗れていないことは個人としては美徳だが、貴族としては欠点たり得るぞ? それにそんなことは不可能だろう」
「どうしてですか?」
「キミが統治してくれる安心、公平、安全を知ってしまったら領民が納得するはずもない。泣き叫びながらキミの統治続行を熱望するだろう」
「ははは、そんなバカな」
「だといいんだがな……」
****
お喋りをしているユズリハさんになぜか時たま遠い目をされたりしながら、本日の宿へ。
そう。山を越えて街道沿いに出たので、ここからサクラギ公爵本邸までは宿があるのだ。メイドの谷を出てからずっと野宿だったけど、それももう終わり。ひゃっほう。
そして、この地方に
それは例えば、宿屋に入った時。
「ごめん、本日の宿を頼みたい」
「はいただいま──うっうわあああぁぁ!?(ドンガラガッシャーン)」
「だ、大丈夫か!? 階段から転げ落ちたようだが!?」
「だっだだだだ大丈夫でございまするっ! そっ、それより貴方様は、ひょっとしてあの戦女神、サクラギ地方の守護権現にして生ける武神、ユズリハ大明神殿なのでは──!?」
「わたしをやたら盛りすぎた渾名で呼ぶな!? おい、そんなことより本当に大丈夫か? って肘が曲がってはいけない方向に曲がっているぞ!?」
……まあ一事が万事、こんな調子だったのだ。
街の門番も、だんご屋の亭主も、宿屋の主人も、ユズリハさんの姿を見た途端、まるで女神が降臨したかのような反応をして。
おかげでようやく宿の部屋に入ったときには、みんな疲れ切っていたのだった。
「……みんな申し訳ない。わたしのせいで」
「いえいえ、ユズリハさんのせいじゃないですよ」
「兄さんの言うとおりです。それにしてもユズリハさん、凄い人気ぶりですね」
「まあ、この街は国境に近いからな」
それからユズリハさんが話したところによると。
この街は今でこそ平和だが、以前はローエングリン辺境伯領のように、他国との戦争の最前線にほど近く。
その最前線でユズリハさんは、数年間も女騎士として戦っていたのだという。
そして絶体絶命の危機を獅子奮迅の活躍で、何度も救いまくった結果。
ユズリハさんはこの地で、守護女神のような存在となった──そういうことらしい。
「でもまあ、今となっては彼らの気持ちも分かるんだ」
ユズリハさんが、苦笑して話を続ける。
「あの長い戦争で、わたしは数百人か──ひょっとしたら数千人、自軍の兵士を救った。それにわたしが戦闘で敵軍を粉砕することで助かった兵士を加えたら、助けた兵士の数はゆうに数万人はくだらないだろうな。みんな凄く感謝してくれたよ」
「兵士の家族も合わせれば、十万人は軽く超えるでしょうね」
「ああ。でも当時のわたしは、そんなのは同じ軍の兵士として当然だと思ってた。だから不思議だった。どうしてみんな、わたしにこれほど感謝するんだろうって」
そこでユズリハさんが、なぜかぼくの方を見て。
「自分がその立場になって、やっと分かったよ」
「そうなんですか?」
「ああ。スズハくんの兄上も、一度本気で命を救われてみれば分かる。本能なんだよ──気がついたら命の恩人のことを見て、暇さえあればどうすれば恩返しできるかばかり考え、命の恩人がどんなタイプの異性が好きなのかが気になって──ある日それが、恩返しとは名ばかりの、もっと一般的で普遍的な感情だと気がつくんだ」
「それは──」
「秘密だ」
そう言って、ウインクしたユズリハさんが、
「なにしろわたしはキミの背中を護り続けて、いつの日かキミの命を救う予定だからな。その時になって、ああこういうことかと思い知るがいい」
「……」
「いいか、キミはわたしの命を幾度となく救いまくったんだ。だから覚えておくといい。わたしは、キミに命を救われたことを、生涯忘れるなんてありえないってことを……」
****
結局ぼくは、その感情がなんなのか教えてもらうことができなかったけれど。
ぼくに「覚えておけ」と言ったユズリハさんは、まるで陽だまりのように優しい微笑を浮かべていて。
だからきっと、とても素敵なことなのだと思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます