第120話 救国の英雄だと言われても、どうにもピンとこないだけ(アヤノ視点)

 正直なところ、もっとやり辛いと思っていた。


 今やローエングリン辺境伯領の事務仕事を一手に引き受けている、サクラギ公爵家から派遣された官僚軍団。

 優秀な人材が送られるだろうことは最初から予想できた。でなければ意味が無い。

 サクラギ公爵の狙いの一つは、ローエングリン辺境伯に恩を売ることにあるのだから。


 けれどだからこそ、自分は排除されるだろうなとアヤノは読んでいたのだ。

 なにしろ目に見えるアヤノの後ろ盾が何も無い。

 周りから見れば、前から事務をやっていただけの人に見えるはずだし、その実体たるや横領行為などはしていないものの、本質的に真っ黒である。

 少なくとも、ローエングリン辺境伯が城を出てすぐに自分は良くて蚊帳の外、悪ければ偽罪をでっち上げられると踏んでいた。なのに。


「アヤノ殿、先週ご相談した孤児院の件ですが──」

「アヤノ殿、魔法の特殊音波による血栓溶解作用の増強効果に関して──」

「アヤノ殿、ウエンタス公国に送り込むスパイの選定を──」

「アヤノ殿、お時間をいただきたく──」

「アヤノ殿──!」


 ……いくらなんでもおかしいとアヤノは思う。

 なんで自分が、ローエングリン辺境伯領の事務方トップとして認められているのか。

 仕事は別に嫌いじゃないけど、予定外の仕事の多さはさすがに疲れる。

 そんなアヤノが深夜溜まった仕事をやっつけていると、同じく午前様常連の青年官僚が熱い緑茶を持ってきてくれた。


「こちらどうぞ、アヤノ殿」

「ありがとうございます」


 お疲れ様ですと笑いかけてくるその青年官僚を、アヤノはもちろん知っている。

 サクラギ公爵家が送ってきた官僚の取り纏め役で、ここに来る前は本邸で家宰の補佐をしていたのだという。

 家宰とは使用人のトップであり、その補佐ならば当然サクラギ公爵家の次代家宰候補。

 つまりは今をときめくサクラギ公爵家所属の、若手トップで間違いない。

 そんな人間まで辺境のローエングリン辺境伯領に送ってきたのだから、サクラギ公爵の気合いの入りようも理解できるというものだ。


「お疲れ様です。あなたも大変ですね」

「いいえ、アヤノ殿に比べればとてもとても。なんと言ってもアヤノ殿は、ほかの連中の百人分は仕事をしてますからね」

「それは大げさですけどね……これでもまだマシになったんですよ、辺境伯と二人だけでやっていた頃は酷かったんですから。辺境伯が存外優秀で助かりましたが」

「ほう。わたしと比べてどちらが仕事が早かったですか?」

「あなたは事務仕事が専門でしょう。負けたら大問題です」


 そんな軽口を叩けるくらいにサクラギ公爵家の官僚と話せるようになっている現状が、アヤノとしては不思議だった。まあコイツの話しやすさもあるか。

 そうだ、コイツなら聞いても怒らないだろう──なんてふと思って。


「一つ聞いても良いですか?」

「なんでもどうぞ」

「なぜあなたたちは、わたしを排除しようとしないのでしょう」


 すると青年官僚が不思議そうな顔をした。


「アヤノ殿は排除されたいのですか?」

「そういうわけではありませんが、普通はそうします。貴方なら分かるでしょう?」

「そう言われると弱いですね。では、キチンとお答えしましょう」


 青年官僚が緑茶をずずっと啜って、


「理由は二つ。一つ目に、仕事のできる人間を排除するのはクルクルパーの所業です」

「そうですね。残念ながらよくあることですが」

「ですね。そしてもう一つの理由ですが──アヤノ殿が、ローエングリン辺境伯の選んだ人間だからですよ」


 アヤノが目をぱちくりさせる。なんだって?


「……仰る意味がよく分かりません。わたしが相応しくない人間だったなど、いくらでも理由を捏造できると思われますが」

「アヤノ殿。失礼ながら、貴君はまるで分かっていない」


 青年官僚が大げさに首を振って否定する。


「恐らくアヤノ殿は、ローエングリン辺境伯領をサクラギ公爵家が実質支配するために、自分が目の上のたんこぶになるから追放するはず、などと思っているのでしょうが──」

「いや普通そう思いますよね?」

「アヤノ殿は、辺境伯のことをまるで分かっていない」

「はい……?」

「いいですか? 当代のローエングリン辺境伯は、クーデターで囚われの身となっていたトーコ女王を命がけで救った救国の英雄です。そしてオーガの異常繁殖をただ一人察知し、サクラギ公爵家のお嬢様と命がけで殲滅し、この大陸を救った英雄でもあります」

「…………」

「もしローエングリン辺境伯がいなかったら、まず間違いなくドロッセルマイエル王国はウエンタス公国との戦争に負けて崩壊し、しかもそして数年後には大樹海のオーガどもに大陸中の人間は皆殺しにされたことでしょうね。そういうわけで辺境伯は何重の意味でも、我々にとって命の恩人ということです」

「そう、ですね……」

「そして命の恩人が選んだということは、それだけで、選ばれた人間を最大限に尊重する理由となるのは当然でしょう。その方に問題が無いならばなおさら」

「なるほど……?」


 言われてみれば、筋の通った話だとアヤノも思う。

 ただ、本人を見慣れている身としては。

 救国の英雄だと言われても、どうにもピンとこないだけで。


「つまり辺境伯の御威光がなければ、わたしは排除されていたと」

「少なくとも女王派閥のスパイという疑いは晴れなかったでしょうね。そしてその場合にどうなるかは、ご想像の通りかと」

「まあ、本人は気にしなそうですけどね」

「おや。辺境伯はそういうタイプですか」

「ですね。仕事してくれればスパイでも大歓迎なんて、真顔で言いかねないタイプです」

「いやあ懐が深い。まさに漢のなかの漢ですなあ」

「……そ、そうですね……?」


 見た目は武官より完全に文官だけど、なんて思いながら。


「そろそろ仕事に戻りましょうか」

「ですね。四徹は回避したいところです」


 ****


 これから数年後、この青年官僚はとある公国の女大公に一目惚れしてその場で求婚し、盛大に振られることになるのだが。

 それはまた別の話。

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