第106話 女の直感が囁くから(ウエンタス女大公視点)

 ローエングリン辺境伯領と王都を結ぶ街道のおよそ中ほどの商業都市に、その料理屋はひっそりと存在していた。

 一見するとよくある街の定食屋兼居酒屋。

 だが厨房の裏にある狭い螺旋らせん階段を上がれば、そこには王宮もかくやと言わんばかりのきらびやかな空間が広がっている。

 その奥の卓で鉄観音茶を喫する老紳士を見つけて、アヤノが軽く手を上げた。


「お待たせしてしまいましたか?」

「構わん。商売の策を練っておったところだ」


 その商売の策とやらの結果、過去にいくつもの国家が消えていったことを知るアヤノは、頬を引きつらせながら対面に座った。

 ドロッセルマイエル王国において、裏で番頭と囁かれる初老の男。

 この男の正体を知るものは、手の指で数えられるほどしかいない。


「ご無沙汰しております、老先生」

「挨拶など構わん。本題に入れ。──あの城で過ごす日々は有意義だったであろう?」

「はい、とても。──わたしがあの城に潜り込めなければ、ウエンタス公国は数年以内に消えて無くなっていたでしょうね」


 それは極めて確度の高い、もしもアヤノが動かなかった場合の、もう一つの未来予想図。


 アヤノが観察して分かったこと。

 それは、ローエングリン辺境伯は文官としても間違いなく、かなり優秀な部類に入る。

 アヤノがいなくても遠くない未来、ローエングリン辺境伯はミスリル鉱山を舞台にして続けられた一連の不正に、間違いなく気づいたことだろう。


 しかしローエングリン辺境伯領には、絶対的に文官が足りない。

 加えてローエングリン辺境伯本人は善良かつ温厚ではあるものの、実務優先型であり、物語にありがちな正義感が先頭に立つタイプでもない。

 結果、不正の臭いを嗅ぎ取ったまま、しばらく放置するしかないのではないか。

 そして──


「後から思えば、キャランドゥー侯が百万もの兵士を集められたのも、隣国のミスリルを長年にわたって不正に流通させたからでしょうね」

「そうだろうな」

「実際にはローエングリン辺境伯の摘発によってミスリルの横流しがストップし、それが最後の引き金となって、キャランドゥー侯は自らの死刑執行書にサインをしました」

「うむ」

「ですが摘発が遅れた場合、そこまでの愚行に至らなかった可能性が高いと思われます。不安を募らせつつ不正流通を加速し、裏で同士を増やし、兵力を増やし、ウエンタス公国全体を大いに巻き込んで」

「その結果、ローエングリン辺境伯に全てを叩き潰されるか」

「間違いなくそうなったでしょう。それにあのアマゾネス族だって、大人しく黙っているはずがありませんし……」


 本当にそうならなくてよかった。

 アヤノが自らローエングリン辺境伯領へ潜入すべきかどうか悩んでいたとき、ふらりと現れて法外な報酬と引き換えに、潜入の手引きを提案した日のことを思い出す。

 さんざん考えた結果その誘いに乗って本当に、本当に良かった。

 アヤノの様子を老紳士はあたかも、出来の悪い弟子がようやっと及第点を取ったような顔つきで眺めていた。


「それで、これからどうするつもりだ?」

「ウエンタス大公として、戦勝パレードに出席します。招待を断るなどあり得ません」

「それは当然だ。その後のことを聞いている」


 それはつまり、アヤノに今後もローエングリン辺境伯領への潜入を続けるかどうかと、そう聞いているのも同然だった。

 普通に考えれば、アヤノは自国に戻る一択しかない。

 ローエングリン辺境伯の人となりは十分に理解したし、ウエンタス公国が滅びかねない当面の危機も去った。

 結果としてキャランドゥー侯爵を制御できずに反乱を起こさせてしまった側近たちには不安が残るし、影武者がばれるリスクだって高まる一方である。

 しかし、アヤノは首を横に振った。


「わたしはもう少し、ローエングリン辺境伯領でお世話になりたいと考えています」

「……ほう。どうしてだ?」

「その方がいいと、女の直感が囁くからです」


 直感を馬鹿にしてはいけないというのが、アヤノの密かな信条だった。

 その昔、アヤノはなんの権力もない王女に過ぎなかった。

 けれど己の直感と才覚を信じて行動し続けた結果ウエンタス女大公となり、公国滅亡の危機も防ぐことができたのだから。


 アヤノは己の選択に対する自信を見せるかのように、湯呑みに入った鉄観音茶を優雅な手つきで口に運び、


「ふん。惚れたか」

「ぶぶ──────っっ!?」


 アヤノが盛大に吹き出した鉄観音茶が見事直撃して、自他ともに黒幕と認める男の顔がびしょびしょに濡れてしまったその結果。

 罰として一ヶ月間ツインテールを強要された女大公が爆誕することになるのだけれど、それはまた別の話。

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