第91話 大平原の小さな胸(ウエンタス女大公視点)

 ローエングリン辺境伯の居城を出て数日。

 偽造身分証で国境を通過し、その先にある小さな砦の扉をくぐると、中にいた使節団の面々が一斉に頭を下げた。

 アヤノはほうと息を吐き、外套を脱ぎながら問いかける。


「どうでしたか大臣? わたしのいない間、元気にしていましたか?」

「おかげさまでなんとか……おや大公様。ちいっと見ない間に、ますます胸が平べったくなりましたかな?」

「サラシを巻いてるんですっ!」


 貧乳で悪かったわね、とぷりぷり怒るアヤノだが、実際は平均をかなり──いや、多少下回る程度である。

 ただし先日までいたのがあのローエングリン辺境伯の居城だったせいもあり、ついついひがみっぽくなるのは仕方ないだろう。

 なにしろアヤノを除いたムスメどもの平均バストサイズは、伝説のクイーンサキュバスすら軽くぶっちぎっていたのだから。

 後ろの方で随行員が「だ、大平原の小さな胸……ぷぷぷーっ……!」と笑いをこらえるのを見つけたアヤノがキッと睨みつけていると、外務大臣が小さく咳払いをして我に返った。

 そうだ。こんなことで時間を浪費している暇はない。


「大臣、現在の国内状況を教えてください」

「ウエンタス公国が停戦協定に同意を示して戦線を引き上げた後、大公様が一人で勝手にローエングリン辺境伯領へ潜入してからのことですが……別段変わっておりませんぞ? ただし無理にでもローエングリン辺境伯領を攻めようという論調は、貴族の間でますます活発になっておりますが」

「そこは仕方ないでしょうね。ですが、調印式が終わって捕虜になっていた司令官たちが戻ってくれば、貴族たちの世論はガラリと変わるはずですが」

「ほほう。それはなぜですかな?」

「捕虜になっていた貴族たちが、使い物にならなくなっていますから」


 アヤノが重々しくため息をついて、


「本当にトーコ女王はえっぐい策略を考えるものだと、いっそ感心しますよ」

「そ、それは一体どのような……ま、まさか、捕虜になった貴族たちのタマを一人残らず斬り落とすとかですかなっ!?」

「んなわけがありますかっ……いえ、考えようによってはむしろ正解ですね。捕虜になった貴族たちの精神的なタマを、叩き潰すも同然ですから」

「い、一体なにを!?」

「簡単ですよ。ローエングリン辺境伯と殺戮の戦女神キリング・ゴツデス──それに辺境伯の妹との訓練を、毎日毎日見物させられるのです」

「……ほ?」


 外務大臣の顔がきょとんとする。

 一体なにを言っているのだこのアホ大公は、そう思っているのが丸わかりだった。

 もちろんのこと、内心を読まれないことが重要な職務である外務大臣がここまで感情を露わにするのは、アヤノとは長年の付き合いでありかつ身内しかいない場であることが大きい。


「訓練を見せてくれるとは……ひょっとすると、ローエングリン辺境伯が自らの手の内を明かしてくれるということですかな? それならばむしろありがたいのでは……?」

「そんなチャチなものでは断じてありません」

「なにを言っているのか分からないのですがな……?」


 それも当然だろうとアヤノも思う。

 自分だって、作業の合間を縫ってその現場をちょっぴりでも目撃しなかったら、まるで理解できなかったと確信できた。

 実際に目撃すれば、これほど分かりやすい話もないのだが。


「見れば分かります。ていうか、全力で分からせられるんですよ……自分たちがどれだけ、絶対にケンカを売ってはいけない相手にケンカを売ってしまったのかを……」

「ほう……?」

「鍛え上げられた変種のオーガを数十万体斃したというのも納得……いえ、その頃よりもさらに強くなっていると確信する、圧倒的な訓練という名の暴力──! 迂闊に近づけば剣圧だけで真っ二つにされるだろう、城壁粉砕級の破壊力がただ小手先の攻撃で出まくる凄まじさ──!」

「…………」

「攻撃力も防御力も圧倒的すぎですよ……まあこちらの軍より、軽く見積もって百万倍は強いんじゃないです? って実力差を毎日毎日、魂に刻み込まれて分からせられたら、そりゃ本能レベルで全面降伏させられますから」

「……いくらなんでも……百万倍はいいすぎかと……?」

「じゃあ一万倍? それとも十万倍でしょうか? ていうか彼らがどれだけ強かなんて、わたしたちでは測定不能なんですよね。地面に這いつくばるアリに、空を飛ぶドラゴンの強さが測れないようなものですから──ですから百万倍ほどではないかもしれませんし、逆にそれより差があるかもしれません」

「……それは、大変に厄介なことですな……」

「そういうことです」


 アヤノ大公から話を聞いた外務大臣が懸念するのは、ローエングリン辺境伯の驚くべき強さについてではない。

 むしろ、それ以前の問題。

 腑抜けになった当主や次期当主が戻って、ローエングリン辺境伯領へは攻め込まないと主張したら、確実に揉めるに決まっている。

 なぜならば国に残った人間は、その凄まじい強さを理解していないのだから。


「反乱や内戦は……避けたいですな……」

「そうですね」


 相づちを打ちながらも、難しいだろうとアヤノは思った。

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