第83話 兄のために死をも恐れないスズハの姿が眩しかった(ユズリハ視点)
目の前に地獄がある。そうユズリハは思った。
至る所がでこぼこして、濡れている鍾乳洞の内部。
しかもその全面に、元は人間だった肉塊が無数にぶちまけられているのだ。
その上相手はあの彷徨える白髪吸血鬼。
一瞬でも隙を見せたら、確実な死が約束されるのは確実で。
喉がカラカラだった。
もし自分が、スズハの兄の代わりに彷徨える白髪吸血鬼と戦っていたら。
そう考えただけで絶望する。
「……でもあいつは、腕を失ったんじゃ……?」
自分の胸を貫いて、スズハの兄がもぎ取った右腕を、ユズリハは確かに見たはずだ。
けれど薄暗いながらも、あの悪魔には明らかに右腕が付いている。
「……ユズリハさん、あの腕よく見てください。すごく──銀色です」
「どういうことだ?」
「これは推測ですが、この鉱山のミスリルを喰らって、右腕にしたのではないかと……」
「なっ、そんなことが──!?」
否定しようとした言葉が続かない。
ユズリハは知識としてそのことを知っていた。
そして相手は規格外の悪魔。産出するミスリルも、確認した限りでは極めて上質だった。
ならば、彷徨える白髪吸血鬼がミスリルの右腕を生やしたとしても──否定はできない。
「だから、こんなに強くなっているのか……!?」
「恐らくは」
スズハの兄と初めて会ったときと比べて、自分は何倍、いや何十倍も強くなった。
ひょっとしたらわたしでも彷徨える白髪吸血鬼を倒せるかも、なんてちょっぴり思ったこともある。
そしてスズハの兄も、自分たちと訓練して今までよりも着実に強くなった。
本人が言っていたのだから間違いない。
だからもし、もう一度彷徨える白髪吸血鬼が現れても、スズハの兄ならワンパンで倒せるんじゃないかと思っていたのだ。けれど。
「……じっとしてましょう。わたしたちじゃ、相手にもなりません……!」
スズハが悔しげに唇を噛む。
スズハの言うとおりだ。脚が震えて、一歩も動けない。
自分が前回、あの悪魔の前に立ちはだかったことが信じられなかった。
今そんなことをしようとしても──生物としての本能が拒絶する。
もしもスズハの兄と悪魔のいずれかが足を取られたら、その瞬間決着が付くであろう。
それほどに強烈すぎる攻撃の応酬。
スズハの兄と彷徨える白髪吸血鬼の、最上級の剣舞のような死の一撃の嵐。
永遠に続くかと思われたそれは、けれどゆっくりと、天秤が傾いていく。
スズハの兄の息が、僅かに乱れてきていた。
(……まずい。このままでは……!)
ユズリハが見るに、スズハの兄が劣勢となる原因は一つだけである。
スズハとユズリハだ。
今の彷徨える白髪吸血鬼は、まるで恋い焦がれた宿敵を目の前にしたようにスズハの兄しか見ていない。スズハとユズリハのことなど、そこらへんの石ころ以下にすら意識していないのが丸わかりで。
もちろんそんなこと、スズハの兄だってとっくに承知しているはずだ。
けれどスズハの兄は、万一にも二人が狙われたときのために最小限の防御態勢を取っている。
もしも急に方向転換してスズハたちが襲われても、なんとか間に合わせられるように。
頭では分かっていても、スズハの兄の無意識の優しさが、不必要なはずの防御態勢を強いている。
その僅かずつの無駄な動きが蓄積して、スズハの兄を疲労させている。
恐らくは、スズハの兄の方がほんの少し強いのだろうとユズリハは見る。
けれど現状では、わたしのせいで、スズハくんの兄上が負けてしまう──!
「兄さん、聞いてください。──次に兄さんがわたしを
その声に振り向いたユズリハは大きく目を見開いた。
スズハが自分の胸元に、剣の切っ先を押しつけていた。
豊満すぎる胸の谷間に押し込む剣先は、いつでも心臓を貫けるように最適な角度をつけられている。
確認するまでもなく本気だった。
「兄さん。わたしは兄さんに鍛えられて──この前彷徨える白髪吸血鬼と遭遇してから、何十倍も、何百倍も強くなりました。もちろんユズリハさんもです。だから今、あの悪魔がわたしたちを攻撃しても──瀕死の重傷くらいで、なんとか持ちこたえてみせます」
スズハの兄はスズハを見ない。振り返る余裕なんて無い。それでも、
「このままじゃ、兄さん死んじゃいます。そうしたらみんな死にます。それくらいならわたしだけ死んで、邪魔がいなくなった兄さんが勝って、兄さんとお嫁さん──誰だか知りませんけど、その人と兄さんが幸せになる方がよっぽどましです。だから、」
スズハの絶叫が、鍾乳洞の全体に響き渡って、
「信じてください! 兄さんを、兄さんが鍛え上げたわたしとユズリハさんを信じてください! わたしたちのことは任せて、なにも気にせずにあの悪魔を──やっつけてください!!」
「──!」
スズハの兄が何か呟いたけれど、何を言ったかは聞こえずに。
それでも、こくりとスズハの兄が頭を小さく下げたのが見えた。
ユズリハが無我夢中で、
「キミ! ミスリルの腕は確かに強力だけれど、膨大な魔力を流し続けていればいつか限界が来るはずだ! だから──!」
「──ありがとう。ユズリハさん」
そう言って、駆けだしたスズハの兄の動きは、今までとは格段に違っていた。
その後ろ姿から目が離せないユズリハに、スズハが小さく息を吐いて、
「……さすがですね。わたしは兄さんの邪魔をしないことだけ考えていたのに、ユズリハさんは兄さんを勝ちに導こうとしていたなんて」
「そんなんじゃない。わたしは、ただ──」
兄のために死をも恐れないスズハの姿が眩しかった。
なんであれが自分じゃないんだろうって悔しかった。
今も嫉妬に狂いそうで──
スズハからの尊敬のまなざしに、ユズリハは情けなさすぎて顔を向けられなかった。
****
それから、どれほどの時間が経っただろうか。
スズハの兄に無駄な動きが無くなったのに合わせて、彷徨える白髪吸血鬼もギアを上げる。
けれどそれは、とっくに最高潮だったテンションをさらに無理矢理上げているようなものだ。
いずれ限界が来るなんて自明の理で。
そしてついに、その瞬間が来た。
パリン、と何かが壊れた音が聞こえたと思ったら。
彷徨える白髪吸血鬼の右腕が、眩しいくらいに光りまくって──
大爆発を起こした。
鉱山の外から見たそれは、まるで光線の奔流が空に向かって、一直線に噴火したようだったという──
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