第76話 そりゃ最善手は、スズハ兄の元に転がり込むことでしょ(トーコ視点)
サクラギ公爵家における密談はたいていの場合、高度に政治的な話題や外交、陰謀論や世界情勢などの会話が飛び交っている。
けれどその夜、話題になったのはそのどれでもなかった。
「……なに? あの男に送る鮨職人をどうするか迷っている、だと?」
「うん。あとネタそのものもね、どうしようかなーと思ってさ」
真剣な顔で相談するトーコに、サクラギ公爵家当主はただの一言で答えを返した。
「アホか貴様は」
「アホじゃないよ!? いや、
「どうしてそうなる」
「だってさ! すごい腕のいい職人送り込んで気に入られたとしたらさ、それってつまり、スズハ兄の胃袋を握っちゃうってことでしょ?」
「そうなるな」
「ふと気づいたんだよ。──それって、世界制覇の最短ルートなんじゃないかなって」
「なに……?」
なにをバカなことを──そう公爵が言い返すことはできなかった。
「……そう言われてみると、確かにあり得るのか……? しかしそんなバカなことが、現実に起こるとは思えんが……」
「普通なら絶対あり得ないよ? でもさ、スズハ兄って才能ある職人さんへのリスペクトが凄いじゃない? 普通の貴族みたいに、料理人を下に見るなんてことは絶対しないし」
「むしろ潜在的に、貴族よりも腕の良い料理人の方が上だと思っているタイプだろうな。さすがに口には出さないだろうが」
「だよねー。でさ、スズハ兄の性格として、いっつも自分のためにおいしいお鮨を握ってくれる凄腕の職人さんに、自分の出来る範囲で恩返ししたいって思わないかな? それも頻繁に」
「……鮨職人は鮨を握ることが仕事ではないのか……?」
「ボクたちとしては勿論そうだけどさ。ホラ、スズハ兄っていい人だから」
公爵としては、単純にいい人という言葉で済ませるには絡む思惑が複雑すぎると思う。
けれど確かに、性格がまともでかつ腕もいい料理人が雇われたとしたら、時間を得るにつれ身内同然の扱いになっていく、というのはいかにもありそうな話だ。
貴族は身分関係を当然のものとして受け入れて一線を引くことに慣れているが、たいていの庶民はそうではない。
そして公爵の見る限り、その凄まじいまでの能力は別として、スズハの兄の人格は
「それは確かに……一考の余地があるな」
「でしょ!? しかもだよ、ドラゴンとかロック鳥とか超強力な魔物ってお肉も超美味しいけど、そんなのバンバン狩ってこられたらどうするのさ? 国家間のパワーバランスなんてあっという間に崩壊するよ? どこの国はどの魔物の対処で手一杯だから戦争できないとか、パワーバランスってのはそういう微妙なトコロで成り立ってるってのに」
「それもそうだが……しかしドラゴンだのロック鳥だのは魚ではないぞ?」
「知らないの? 肉鮨って言ってね、いまのお鮨やさんはなんでも握るんだよ」
「それは邪道ではないか……!」
ちょっと本気で憮然としている公爵の様子に、トーコはサクラギ公爵家当主が鮨に関して原理主義者だということを知った。
すごくどうでもいい情報だった。
「まあそんなわけで、ボクもこうして悩んでるわけ。ヘタな職人を送ったら世界征服……までは大げさにしても国家間のパワーバランスが壊れる恐れがあるし、かと言ってスズハ兄との約束を
「どうするつもりだ?」
「真剣に悩み中。──いっそのこと、ボクが鮨職人のフリして行こうかとすら思ったよ、王都には影武者の女王を置いてさ。さすがに無理がありすぎるからボツったけどねー」
トーコが口にした影武者という単語に、公爵の記憶が反応する。
「そういえば、つい最近売り込まれた噂にそんなものがあったな」
「へ、何それ?」
「曰く、今のウエンタス女大公は影武者。大公本人は行方不明だということだ。だが根拠はひどく曖昧で話にならん」
「ふうん……でもそれって、確かにあり得る話かも?」
「そう思うか?」
「うん。だってあそこも先代とかお家争いで国がアレだったから、女大公のアヤノが豪腕で色々ねじ伏せまくったみたいだしね。ウチとの戦争もいい感じで進んでたのに、スズハ兄が全部まるっとひっくり返しちゃったから、抑えつけてた歪みが一気に噴出したのかも」
「そうか。あり得るか……」
「まあアヤノは滅茶苦茶優秀だから、今は雲隠れしててもいつか絶対に復活すると思うけど? ボクとしてはあんな敵に回したら厄介すぎる大公なんて、できればずっとご退場願いたいんだけどねー」
「ふむ、お前がそう言うほどに優秀か。──では仮に本当に影武者だったとして、本物のウエンタス女大公はどう動く?」
公爵の問いに、トーコが考えることしばし。
「そりゃ最善手は、スズハ兄の元に転がり込むことでしょ。鮨職人のフリでもしてね」
「そんな裏事情、女大公に分かるわけがなかろう」
「言ってみただけだよ。……でももしそうなったら大ピンチだよねー、いきなり敵国に鬼札とられるとか!」
「……ふん。笑い話にもならん」
そのとき二人とも、なぜか悪寒を感じたのだが、その理由が判明するのはもっと後の話。
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