第60話 万雷の拍手

 即位舞踏会の会場への潜入は上手くいった。

 なにしろ権力の構図が大きく変わりすぎて、どの貴族も情報収集に大わらわなのである。

 即位式の宮中舞踏会は、その格好の場というわけだ。

 平民っぽいナリの見知らぬ男に構っている暇など無い。


「まったくもう。キミが最初から素直に従っていれば、こんな小芝居を打たなくてもよかったんだ。キミの服装だってもっときっちり整えられたのに……」

「あっ! 兄さんアレです、目標発見!」


 ユズリハさんが何事か言っていたけど、ぼくたちは会場のとある一部分に目が釘付けになっていた。

 鮨だ。

 鮨の屋台だ。

 高級鮨の食べ放題だ! ひゃっほう!


「でもスズハ、まだダメだよ」

「なぜ止めるのですか兄さん!?」

「そりゃぼくだって今すぐに駆け出したいよ。──でもその前に、トーコさんには一応挨拶しなくっちゃ。タダでお鮨を食べさせてもらう以上、礼儀を欠いちゃいけないよ?」

「兄さん、さすがです……!」

「いやいやキミたち、パーティーでホストに挨拶するのは当然だからね? そもそも即位式の舞踏会だってこと忘れてない?」


 ユズリハさんは呆れ顔だけど、庶民が高級鮨食べ放題を目の前にして自制心を働かせることの困難さがまるで分かっちゃいないのだ。これだからお貴族様ってやつはもう。

 トーコさんはすぐに見つかった。

 会場のいちばん奥でどこぞの貴族と会話をするトーコさん。その前には、トーコさんに挨拶待ちする貴族の列がずらりと伸びている。まあ当然か。


「むう……」

「どうするんです兄さん? あの列に並びますか?」

「いや、いま貴族に混じって並ぶのはちょっと。時間も掛かるし場違いだし……列が途切れたタイミングでささっと挨拶しようか」

「ですが今日は即位式、その舞踏会で新女王への挨拶待ち列が途切れることはないかと」

「ううむ……」


 困ったな。

 ぼくとしては挨拶してから食べ放題にダイブするのがマナーだと思うけど、でも貴族の列に一緒に並ぶ平民ってのも大概空気読まない感じなわけで。

 そこでふと閃いた。今回は緊急事態であり仕方ない。

 なので大貴族であるユズリハさんにトーコさんへの言づてを頼んで、それを見届けた瞬間、お鮨の屋台にダッシュすれば最低限の礼儀は保たれるのではないのかと。


 ──ここで大貴族のユズリハさんを平民がパシリにしていいのか、などと考えてはいけない。それこそお鮨が食べられなくなるから。


「あの、ユズリハさん。大変恐縮なのですが一つお願いが」

「分かってる。皆まで言うな」

「さすがユズリハさん! 頼りになる!」

「ふふっ。わたしはキミの相棒だからな、それくらい察して当然だ。声量にも自信がある」


 声量? 声の大きさがどうしたのか? などと疑問に思うヒマもあればこそ。

 ユズリハさんは全く想定外の、とんでもない行動に出た。


 ぼくのいる場所からトーコさんに向かって、とつぜん大声で呼びかけたのだ!


「女王陛下! あなたの命の恩人が到着しましたよ!」


 ギョッとするぼく。

 会場中の視線が一斉にぼくたちに向けられる。

 とんでもない事態に、恐る恐るトーコさんを見ると、ニコニコした顔でぼくを手招きしていた。なんでやねん。

 ユズリハさんも、いい仕事したって感じでぼくにグッとサムズアップしてきてるし。


「さあキミ、行ってこい」

「いや、あの貴族が滅茶苦茶いる中に混じるのは不敬では……?」

「女王が手招きしてるのに従わない方が不敬だろう。いいからとっとと行け」


 ユズリハさんから背中を押し出されるように歩き出す。

 恐る恐る近づいていくと、またしても信じられないことが起こった。

 そこここにいた貴族たちが、まるで波が引くように、ぼくとトーコさんを結ぶ直線から遠ざかっていったのだ。

 まるでぼくの邪魔をしてはいけないとばかりに。

 そして。


 パチ……パチパチ……パチパチパチパチ……!


 ──誰かがした拍手はすぐに広がり、やがて会場中に万雷の拍手が鳴り響いた。

 それはまるで、ようやく現れた救国の英雄を歓迎するかのように。


 まさかいまさら引き返すわけにもいかず、なんとかトーコさんの前まで辿り着いたのだった──

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