第58話 即位式

 他の国のことは知らないけれど、この国において戴冠式と即位式は、いわば結婚式と披露宴のような関係なのだと教えられた。

 即位式もなにも戴冠した時点で即位してるんじゃないかと聞いたけれど、そこは突っ込んじゃダメなんだぞとユズリハさんに窘められてしまった。いわく「そういうものだから気にするな」とのこと。

 つまり国王になる儀式が戴冠式で、それを広く知らしめる儀式が即位式。

 というわけで即位式は国家の休日となり、宮中では盛大なパーティーが行われ、庶民にも国からタダ酒が振る舞われて夜通し騒いで新国王を祝福する。


「──なあ、キミも即位式には当然出席するんだろうな? もちろんその後には宮中舞踏会もあるぞ?」

「当然出席しませんよ?」

「なぜだ!?」

「だってぼくは平民ですから」


 なぜかユズリハさんに即位式参加の誘いを受けたけれど、もちろんキッパリ断った。

 庶民には即位式だの宮中晩餐会だのより、タダ酒のほうがよほど嬉しい。

 お貴族様えらいひとにはそれが分からんのですよ。


 ****


 即位式当日の午後、ぼくは鮨屋の前をずっとウロウロしていた。


「うう、高い……でも二度とないお祝いだし……でも高いなあ……」


 祝い事に供される食べ物ナンバーワンといえば、我が国ではなんといっても鮨だ。

 はっきり言って鮨は超美味しい。でも超高い。そりゃもう高い。

 ヘタしたら、ぼくとスズハの一ヶ月ぶんの食費より高い。

 けれど現在、ぼくの懐は潤っていた。


 というのも先日トーコさんを助けた謝礼として、なんと王室から結構な金銭をいただいていたのだった。

 ぼくとしては微妙に間に合わずトーコさんが死にかけた上、下水まみれのまま抱きしめたあげく治療のためとはいえキスまでしてしまった罪で死刑かもと思ったものだけれど。

 なのに罪を問うどころか、逆に謝礼金まで出してくれる王室の太っ腹ぶりには足を向けて寝られない。


 ──ならばせめて、我が家もお鮨でトーコさんの女王即位を祝福すべきではないだろーか?


 そんなことを思い立ち、王都の貴族街と平民街の境界線上にあるお鮨やさんまで来たのだけれど。

 値段にビビって入店する踏ん切りが付かず、店の前をぐるぐるする始末だった。

 かれこれもう一時間もぐるぐるしている。


「ううっ、けどこのままじゃ埒があかない。スズハにも今日はお鮨だぞって言っちゃったし……ええい、ままよ!」

「──ままよ、じゃないが。何をやっているんだキミは?」


 振り返るとそこには、呆れ顔のユズリハさんがいた。すごく恥ずかしい。


「あ、えっとこれは」

「まあスズハくんに話は聞いていたから想像はつく。キミのことだ、いざ鮨を買おうと思ったが値段にビビってしまい、ずっと逡巡していたのだろう?」

「……その通りです、ハイ……」

「仕方の無いやつだ。ところで、そんなキミに朗報を持ってきたんだが」

「はい?」

「新女王の即位を祝して、今日限定でタダ鮨を振る舞う場所に行きたくないか?」

「ええええっ!? で、でもタダ鮨なんて、きっと腐りかけのヤバいネタを握ってるに決まって──!」

「新鮮な高級食材を、一流の職人が目の前で握る。しかも食べ放題」

「!!!!」

「まあ普通なら入れないような場所なんだがな、そこはそれ、コネというやつだ。もちろんスズハくんも一緒だし、どうだろうキミ──」

「是非お供させてください!!」

「……え? 行くのか?」

「もちろんです! サーモン食べ放題からお願いします!!」

「……あ、ああもちろん構わないが……まさかこんな簡単に釣れるとは……」


 ぼくがその場で最敬礼してお願いすると、ユズリハさんは引きつった笑みを浮かべて了解してくれた。

 やはりここは庶民の知恵、安くて美味しいサーモンの食べ放題から入ったところが、同行の許可を得るに至った秘訣だと言えよう。ここでマグロだのウニだのと言っていればヘソを曲げられたに違いない。

 あとユズリハさんが言った「簡単に釣れた」とは何を指すのか分からないけど、高級お鮨食べ放題の前には、そんなことどうでもいいのですよ。


 ──そんな風に気楽に考えていた、その時のぼくを殴ってやりたいと思ったのは、それからほんの少し後のことだった──

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