第12話 ~ 自ら選んで進む未来 (3)~

 梅雨に入り、ここ一週間は雨が降りやまず、街の景色の色が雨で流されて灰色一色になった様だった。そんな雨の景色を眺めていると、ふと、昔よくこんな雨の日に行ったカフェを思い出し、久しぶりに行ってみることにした。

 カフェでコーヒーを飲みながら、イヤフォンで音楽を聴きながら読書にふけっていると、不意に背後から肩を誰かに叩かれた。振り向くと、麻美が立っていた。

 「俊介さん、久しぶり」

そう言って、麻美が自分の正面に回ってきた。イヤフォンを外し、少し驚いた顔で彼女に「久しぶり」と返事をした。

 「元気そうだね?良かったら座ってよ」正面に立つ麻美に、向かい側のソファー席を指さして勧めた。

 持っていたバッグを持ち換えて向かい側のソファー席に座るときに、ふいに彼女の手に目が行った。彼女の薬指にダイヤの指輪があるのに気が付いた。そして悟った、彼女は婚約していると。

 「そのダイヤの指輪、そういうことだよね?」

 彼女は、照れ笑いし「そう」と頷いた。

 「おめでとう」

 何故だろう、今はもう恋人でも何でもないのに寂しく思う反面、彼女が幸せそうで良かったと安堵する自分に、ちょっと苦笑いしてしまった。

 「幸せななんだ、良かった」笑顔で彼女の顔を見ると、彼女は「うん」と軽く頷いた。彼女から幸せいっぱいの雰囲気が溢れている。

 「また会えるなんて思っていなかったよ。あの時のこと、ずっと謝りたかったんだ」

 彼女の顔が一瞬、えっと少し驚いた顔をした。

 「あの時って、私たちが別れた時のこと?」

 「そう。あの時の自分は自己都合主義で、自分のことばかりしか考えていなくて。  もっと麻美のことを想っていれば、その時の麻美が抱いていた気持ちに気が付いたと思う。それが出来なかった自分は、不甲斐ないというか、悪かったなって」

ずっと言いたかったことを伝えた。彼女は少し微妙な表情をみせると、

 「そっか。俊介さん、もしかして、好きな人でもできた?」唐突に質問してきた。

 「えっ?なんで?」

 「だって、好きな人が出来たから、そう思ったんでしょ」麻美は、視線を手元に落とした。

 自分は、どう返事したらいいか迷った。

 「隠さなくてもいいよ」そう言って、再び顔を上げた彼女は、無理に笑っているようにも見えた。「俊介さん、あの時のことはお互い様だよ。なんていうかな、もうお互いとっくに終わっていたんじゃないかなって思うよ。私こそごめんなさい、ちゃんと支えることが出来なくて」と言って、麻美は頭をペコリと下げた。

 「いや、謝らなければならないのは、自分の方だよ。ごめん」そう言って頭をさげると、謝るのは、こっちの方だからとお互いに言い合い、そんなお互いの行動が可笑しくて、互いの顔を見合せて笑った。

 その瞬間、自分達の関係は既に終わっているんだなと、実感した。そして今、目の前にいる麻美は自分の知っていた麻美ではなく、全く別の女性の様に見えた。

 それじゃあ、と彼女は言うと席を立った。お互いに、今の会話で一緒に座って話す時間の潮時かなと、察したからだ。

 立ち去っていく彼女の姿を見て、心から何かがスッと消えて気持ちが軽くなった。

過去との終止符が打てた気がした。



 かつての恋人と再会し、その彼女が結婚すると知った時、今追いかけている彼女と自分の間に存在していた何かを取り除きたい気持ちになった。

 同じ場所に留まってはいられない。それだと以前の自分と変わっていない。自分も動かなければ、今、彼女を捕まえなければ、この先も彼女と共にする時間は来ないだろう。そう思うと、いてもたってもいられなくなった。


 すぐさま、彼女にメッセージを入れた。

 『この間は、変なことを言ってしまい失礼しました』

 『でも、あの日、伝えた気持ちは、自分の本当の気持ちです』

 携帯の画面で次に送るメッセージのテキストを打っている途中で彼女から返事が来た。

 『突然だったので、驚いてしまって。こちらこそ、失礼な態度を取ってしまい、すみませんでした』

 『とんでもない! もし宜しければ、これからも友達でいてくれますか?』

 友達だけの関係なんて本心ではないが、今はこれしか言えない。

 『はい』

 良かった、とりあえず大丈夫そうだ。安堵の溜息をもらした。

 『差し支えなければ、今度、食事でも一緒にいかがですか?』

 無謀か?唐突過ぎたか?タイミングは、今じゃなかったか?携帯を持つ手が汗でジワリと湿っている。

 『はい、ぜひ』

 嬉しかった。こんなに嬉しさが込み上げて来るのは、久しぶりだった。雨で流された街の色が、今は鮮やかに映えている。恋って、不思議だな。


 それから食事のスケジュールをどうするか彼女に尋ねてみた。

彼女の仕事は、週休二日制なのだが変則的なパターンということもあり、ランチを一緒にする日は、彼女の休みに合わせるようにした。

 平日の午後、彼女と待ち合わせをして、一緒にちょっと遅めのランチをした。彼女との初めてのランチは、思いのほかスムースだった。まるで、以前から何度も一緒に食事をした様な錯覚をするくらいだ。

 食事の間も、その後に行ったカフェでも、彼女と彼の間にある話に触れることはなかった。

 その日から、メッセージの遣り取りも毎日する様になっていた。

 そして、頻繁に彼女の休みに合わせて会うようになった。

 彼女と会うときは、彼女が楽しく過ごしてくれればいいとだけ思って会っていた。

紳士的な距離も意識して、彼女が笑顔でいられるなら、自分は何もいらないと思った。


 ただ、彼女と過ごす時間が多くなればなるほど、彼女を知れば知るほど、彼女を護りたいという気持ちが強くなり、自分が直接何かをしてあげられる立場なら、自分が彼女の恋人なら、そうだったら彼女をもっと幸せにすることができるのにと考えてしまう。

 もっと、もっと彼女とずっと一緒にいたい。

 彼女は、どうなのだろうか。自分の事を、どう想ってくれているのだろうか。

少なからずとも、彼女と会っている時は、自分に好意を抱いてくれていると感じている。

 でも、このまま何も変わらなければ、彼女との関係は永遠に今と変わることなく、そしていつかこの関係は消滅していくのだろうか。


 自ら未来を拓く行動をしなければ、何も得られない。

このまま何もしなかったら、何も状況は変わらない。


 そんなことを考えながら沈みゆく夕陽を眺めていると、何もなかった空に薄っすらと遥か遠くにある幾つかの天体が現れ始めた。宵の明星が一層の輝きを増した頃、自分の中である決意が芽生えた。


 自分が彼女を護る。


 彼女の悲しい表情を見ると切なくなる。彼女が毎日笑顔でいられて、楽しいって思う気持ちで埋め尽くしたい。

 だから、彼女を彼から奪うことにした。

 今更、どうのこうのもない。この気持ちを伝えて、それでもダメなら、その時はきっぱり諦めて、自分は潔く身を引き、以降は節度あるビジネス関係として接するだけだ。

 ただ、彼女とは仕事関係であり、そんなことを考えると仕事への影響とか問題とかが、少し気がかりになったりするが、出逢いが仕事に関係だっただけで、これは仕方がないことだと自分の中で都合の良い言い訳を作る。くよくよ思い悩んでいても、何も行動しなければ前に進めない。そう考え気持ちを奮い立たせた。


 携帯を握りメッセージアプリの画面を開く。

 とりあえず、伝え方があまり重くならない程度に、且つ自分の想いをメッセージに綴り・・・ん? 一体どう書けばいいんだ・・・・。


 『前から好きでした』


 だから何?既に彼女は知っている。そして、これでは何も進歩がない。


 『好きです、付き合ってください』


 自分勝手すぎないか? なんか違う・・・・。


 『気づいていると思うけど、以前から気になっていて・・・・、』


 で?気になっていて、気になっているのも十分わかりきっているだろう。


 『結婚してください』


 うん、ないわな。ないない、これはないわ。いくら何でも走りすぎている。


 何度も何度も綴った言葉を読み直しては、消して、また書き直して・・・。

結局は、ありきたりの分かりやすいストレートな文章しか思いつかなかった。


 『いつも一緒にいて、君が毎日笑顔でいられる様に護ってあげたいと思っていました。時折見せる本田さんの悲しい表情を見る度に切なくなくて苦しかったです。君を幸せにするチャンスを自分にください。本田さんの悲しみは、自分が全て排除します。だから、結婚を前提に自分と付き合ってください』


 “これでダメなら諦められる”


 そう思って、この気持ちを送ることに決めた。後は送信ボタンを押せばいいだけ・・・・。


 “・・・・・・・・押せない”


 彼女との関係が悪くならないだろうか、仕事に影響を及ぼさないだろうか、携帯を握っている手が再度ジワリと汗ばんできた。口の中が妙に乾くのでコーヒーを口に含んだのだが、生ぬるいコーヒーは美味しくもない。

 携帯に綴った文章を読み返し、これを送っていいものかどうか迷ったりしていたが、


 “ええいっ、おもうがままよ!”


送信ボタンを押したその瞬間、一気にアドレナリンが脳内に放出され汗が噴き出し、心臓が飛び出すのではないかというくらいの勢いで鼓動を打っている。一歩を踏み出したという高揚感と、何も成してないのに、何故か成し遂げた気持ちでいた。


 既読が付かない。


 送信したらしたで、とにかく彼女の反応が気になって仕方がない。何度も携帯の画面を開いては閉じ、既読がついていないか確認するが、一向に既読はつかないし何も変わらない。

 とりあえず、カフェを出て、自宅に帰ることにした。帰宅中も帰宅後も、何度も何度も画面を確認するが、一向に既読に変わる気配もない。

 “既読”マークに振り回されるのも癪なので、携帯電話をテーブルの上に置き、充電の為にプラグを挿し放置することにした。


 翌日の朝、目が覚めたら直ぐにテーブルに置いた携帯電話を手に持ち、期待と不安に満ちながらメッセージアプリを開いて確認するが、一向に何も変わっていない。

これって、メッセージを送った直後に通知画面表示されたメッセージの冒頭だけ読んで、変なメッセージだからスルーしよってパターンということだろうか、不安がよぎる。

 その日は、朝からメッセージを送ったことへの後悔で一杯になっていた。

 お昼近くになると、もう既に送ったメッセーに対して後悔の念に駆られていた。これから起こりえる最悪なケースを想像し、悪夢の様な事ばかり先行して頭の中で駆け巡る。メッセージを送ったことで会社に報告され大事になったらどうしようとかと悩み、お昼は食欲すらなかった。お昼休みが終わって午後の仕事が始まっても、今後、この会社で仕事を続けていけるのか不安でしかなかった。


 もう見たくもないメッセージアプリを仕方なく時間を置いて何度か開く、するとメッセージに既読がついていた。

 “どうか問題になりませんように”

 この悪夢から、早く逃げ出したい。


 定時になり帰宅準備を済ませ携帯電話の画面を開くと、メッセージが1件入っているマークがアプリのアイコンについていた。逸る気持ちを抑えアプリを開く。


 『こんにちは。返信遅くなって、ごめんなさい。今井さんの気持ち嬉しいです。でも、今はまだ整理がついていません。待ってもらえますか』



 駅近くのカフェに入ると、アイスコーヒーを注文し、席に着いてから耳にイヤフォンを差込み、音楽をセレクトすると再びメッセージアプリを開いて、彼女からの返事を改めて見直す。

 これは肯定的に捉えても良いのか、それとも社会人として非礼が無いよう当たり障りなく断られた内容なのだろうか、何度も読み返しては、あらゆることを考えてみる。何かメッセージを送りたい気持ちで山々だが、何を送ったらいいのか分からない。

 貰ったメッセージの内容をいくら読み返しても答えは得られず、とりあえず長居しすぎたカフェを出ることにした。


 あれから幾日が経つが、あれだけ夢中になっていた仕事が。彼女のことで心が引っ張られて集中できず、自分でもみっともないと思っていた。“これでは、以前と変わらない、しっかりしろ!“と、何度も自分を戒めるが、メッセージを送った日から今日までの間、不安でどうにかなりそうだった。

 貰ったメッセージを見ては、一語一句読み直して、メッセージから彼女の真意を拾おうとするが、一向に埒が明かず、とにかく何も手が付けられず落ち着かなかい。いっそのこと煮るなり焼くなり、もうどうにかして欲しい、そんな気持ちで一杯になった。


 運が良いのか悪いのか、ここ一か月くらいの間のスケジュールでは、彼女がいるオフィスに事務手続きをする予定が入っていない。新入社員が入ってきたので、彼らが研修の一つとして担っていた。

 そして少し気持ちが落ち着いたせいか、それとも何も変化がないからか、何事もなかった様に日々、以前と同じく普通に仕事をして過ごした。

 あの時の気持ちとあの興奮は何処へ行ってしまったのだろう。空に向かって勢いよく投げ放ったものの、着地点も分らず彷徨い続けるどころか、空気に溶け込んで消えてしまった感じだった。

 一週間も経つころになると、もういいやと、半ば投げやりな気持ちに変わっていた。



 定時に会社を出ると、陽が沈み切った後の薄暗い透き通った空がとても綺麗だった。いつもと同じ時刻に電車に乗ったが、金曜日の夜は皆何かしらの飲み会やら食事会とかで、皆遅いのだろう。それ故だろうか、今日の電車は、いつもより乗客は少ない。

 珍しく乗車した駅から座れ、向かい側の車窓に見える景色を何気なしに眺めていた。鞄から携帯電話を取り出し、暇つぶしにニュース記事でも読もうかと思い画面を開くと、メッセージアプリのアイコンに数件の未読通知が入っていた。急に目が覚め心臓が早い鼓動を打ち始める。

 メッセージアプリを開くと、彼女からのメッセージが入っていた。

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