邯鄲(かんたん)の夢
そして5年が経った。
FVは鳴海マヤの采配により経営を立て直し、今ではアジアで最も影響力のある大企業となっていた。
もしも僕が彼女の
「社長、次の現場なんですけど……トラック2台で足りますかね?」
「ああ、十分だろう」
僕はあれから2年ほど勉強した後、オフィス清掃の会社を興した。
1,000万円の元手ではQの様な派手な事業はできない。
広告代理店も検討し挑戦してみたが、後から競合に割り込むのは難しかった。
幸いにも法人各社への繋がりはたくさん持っていたから、システム開発なども不要で道具を揃えてすぐに始められる、それでいて営業さえ頑張れば軌道に乗せることも可能だと考えて、この事業を選んだ。
インターネットサービスから距離を取りたかったという感情もある。
自身に非があったとは言え、逃した魚が龍に化けていく様を近くで見るのは、やはり辛いものがあった。半ば笑い話ではあるが……
FV社に比べれば、ここはちっぽけな会社である。
助けてくれる魔法使いもいないし、僕自身の給料だって社員とそう変わらない。
だが、あの頃よりも「僕がいなければ成り立たない」という実感と張り合いがある。ビジネスパーソンとしての実力は確実にあの頃よりも上だろう。
商売も軌道に乗ったところだ。
「それにしても本当に信じられないっすね〜。社長があのFVの元社長だなんて。でもこうして全然違う業種でも上手くいっちゃうんだから、商才あるんすね〜やっぱり」
僕が読んでいた経済新聞の裏面を眺めて、社員の彼は言った。
「よしてくれよ。FVは全然……そんなんじゃないんだ」
「超有名企業じゃないっすか。ウチのじいちゃんも今じゃQの中ですよ。ばあちゃんが死んでからずっと寂しがってましたからね……まぁ孫としてはちょっと複雑っすけど、じいちゃんがそれで満足して逝けるなら、何も言えないっすね〜」
「全くだよ。いや、うん……FVの話はもう……いや……」
Qのアイデアは、僕が出したものだった。
鳴海マヤの話から着想を得て、それならばこんなサービスはどうだろうと。
もちろんブラッシュアップさせたのは彼女の力だが。
未練もあるが、しかし興味もあった。彼ら「ユーザー」が、Qに対してどんな感情を抱いているのか。
「君ならANRでどんなソフトを作った?」
「さぁ、わかんないっすねぇ。まぁでもゲームじゃないっすかねぇ。俺、ゲーム好きなんで」
「いいね、次にチャンスがあったらゲームだ。ああ、Qの中で遊べたらいいんだな。セカンドライフみたいなものだ。Qの中でよりリアルに経済が回って……」
いや、その機能はもう実装していたかもしれない。
決められた映像を見せる、超リアルな映画。
のみならず、MMORPGの様に無限の選択肢を……まるで人生の様に。
あらかじめシミュレートした登場人物の人格、モデルとなる人物の性格からトレースしたもの、あるいはQの世界オリジナルの登場人物の性格、それに世界観から、有り得る未来を作り出す。
膨大なデータの演算が必要だったが、鳴海マヤの「未来を視る」という感覚、そのノウハウが役に立った。
「そこまでいったら、もうどっちが本当の現実かわからないな。Alternative Realityか……」
「じゃあANRの中には目印が必要っすね。リアルだけど、ちゃんと現実に帰れるように」
「いやいや、それじゃあ冷めちゃうだろ。Qの売りは『完全なるリアルな体験』なんだ」
こんな話をしたのは久しぶりだ。
まるで鳴海マヤと一緒に、Qの企画を練っていた頃の様な。
まぁ、この『完全なるリアルな体験』というのは、彼女の言葉なのだが。
「社長、何だか楽しそうですね」
「えっ……」
いや、これは未練だ。
あの時もっとしっかりやっていれば……
今みたいに死に物狂いでやっていれば、もっともっと色んな挑戦ができていたのかと思うと、やはり悔しくてたまらなかった。
忘れようと
この感情に
「………」
そこで僕は、ふとある事に気付いた。いや、思い出したと言うべきか。
“目印”も作った。
一般ユーザー用ではない。デバッグシステム……管理者コードの様なものだ。
テストプレイ中に「本当に帰って来れなくなってしまわないように」と設定したのだ。
「……」
「社長、どうしました?」
「いや……忘れていたことを思い出しただけ……」
管理者コードは確か、2-7-6。
あの日、競馬場で当てた馬券の数字だ。
ドアをノックする音に、僕は顔を上げた。
「誰か来たみたいっすね」
そう言えばこれも忘れていたが、Q初期のテストプレイ時にANR内に存在するモデルパターンは至極
登場人物の容姿は、テストということで身近な人物をテクスチャーとして取り込んだのだ。
「社長のお客さんですよね。俺、そろそろ現場に向かいますね」
「あ、ああ……」
彼の顔。
僕はそれに気付き、ゾッとした。
——“いつから”だ…??
取り込んだモデルは僕、鳴海マヤ、それに、副社長の彼。
そう、彼の顔は“彼”だったのだ。
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