FV(フューチャーヴィジョン)②
次の瞬間、視界が開けた。
いや、今まで見ていた映像から比較すれば「閉じた」の方が正しいか。
薄暗い社長室、それに目の前には、今まで僕が付けていたヘッドデバイスを手にした鳴海マヤが立っていた。
「や……やぁ、君か。何分経った?」
「さぁ、わかりません。いつから付けていたのか知らないので」
時計を見ると、3時間ほどが経過していたようだ。
なんて無駄に時間を消費したのだろう。
いつも考え事をする時はQの中の時間を引き延ばすのに、現実から逃れたいという感情が、行動に現れてしまったのだろうか。
「ああ……その、久しぶり。………僕に用があって?」
僕は立ち上がると冷蔵庫からペットボトルの水を2本取り出し、1本を彼女に渡した。彼女はANRデバイスをデスクの上に置くと、小さく「どうも」と言ってそれを受け取る。
「オックスフォード・シティが昇格できなかったというニュースを見て……困り果てている頃だろうと思って」
彼女は
「オックスフォードは……鉄道会社が母体だと言っていましたね。その鉄道会社、サウス・ウェスタン・クロス(SWC)は……元々オックスフォードを売りたがっていたんです。彼らの経営は安定していましたが、社長がフットボールにそこまで思い入れがなかったから。それにオックスフォード自体、強いチームではありませんでしたからね。昨シーズンは調子が良かったですが……安定的に勝てるチームではなかった。その前のシーズンの成績を知っていますか? ここ5シーズンは? もちろんFVから資金のバックアップをして選手を獲得すれば補強はできます。けど、下部リーグの弱いチームに来てくれる選手と言えば、ピークを過ぎて半ば隠居したい人ぐらいでしょう。私はそれもわかっていましたよ。案の定、獲得したアレクサンダー・コールは34歳……彼の全盛期のプレー、見たことは? スピードに乗ってドリブルするウインガーですよ。もうあの頃の様に速くは走れませんよ。ポール・キャンベルみたいなゲームメイカーならまだしも……ああ、もう、ちゃんと研究しました?」
話しているうちに苛立ちが優ってしまったのか、段々と早口になる。
こんな風にも話すのか……。
「いや……担当の社員に要件だけ伝えて任せてしまったから。予算と実績だけ。……君、サッカー好きだったんだね」
「私、アナリストですよ? このくらいのこと、当然調べます。もし補強するなら、各ポジション全てを埋めるべきでしたね。それから有望な若手の発掘。現地のスカウトと一緒に視察するぐらいじゃないと。……でもそれをアナタはしないから……だから失敗する未来しかなかったんです」
僕は何も言えず、彼女から顔を逸らす。
「……私ならANR事業の成長とクラブ経営の立ち上げ、どちらも達成できたのに」
「だからそれは……僕は君に頼んだじゃないか。ウチに来てくれって」
「だから私は条件を提示したじゃないですか」
「あれは」
「あれは半分冗談、でも半分本気です。もし本当にあの条件でも良いと言うなら、私は真剣に考えましたよ。……ちなみに、このままだと再来期にFVは買収されます。経営上の借金と相殺という形での買収なのでアナタの手元には1円も残りませんし、もちろんアナタは解任されます」
そうだろうな。
僕には全く立て直せるビジョンが無い。外部から新たな社長を招聘、それも手段の一つだろうが、それよりも「株式全てを手に入れる」そんなやり方を周囲は望むだろう。
いずれにせよ僕の元には何も残らない。「いい夢を見れた」と自嘲すべきだろうか。
「どこに買収されるのか、教えましょうか」
「そんなことまで分かるのか……さすがだな」
知ったところで何をどうすることもできないのだが、せめて僕が尊敬できる企業に買収されたいものである。
「私です」
「…………は?」
なんだって?
確認するより早く、彼女は続けた。
「FVの株主のうち、事業会社やベンチャーキャピタルは全て私のクライアントです。アナタが保有する株式は僅か25%……全ての株式を掌握することはできませんが、それでもアナタを解任することは簡単です。でも逆に、それをしないこともできます。“私が止めている”んです」
話がわからない。
何を言いたい?
「今アナタを解任しても、アナタの手元には25%の株式が残りますね。社長が保有するには僅か25%とは言え、外部の人間が25%もの株式を持つのはあまりに危険じゃないですか。ましてや追い出された人間が……。だから借金と相殺させたいんです。もちろんアナタに素直に売却するという選択肢もありますが、FVの企業価値の25%もの資産をアナタが手に入れて隠居する。そんなのは社員も株主も納得しないんですよ。今のFVであれば全部で1,000億円程度にはなるでしょうから」
彼女は続けた。
「再来期に買収されると言いましたが、バーンレート(会社運営にあたり1ヶ月に必要な資金)を把握していますか? していないでしょうね。アナタは私の言うことを聞くだけでしたから。今の業績だと来期の半ばには資金が足りなくなります。そこからアナタは自己資金を投下して補填していかなければなりません。つまり実質、今この瞬間にアナタのFVは死んでいるんです。そういう未来だと決まっているんです」
後悔。
彼女の言うことを素直に聞いておくべきだったか?
いやそれよりも、僕が実力を身に付けておくべきだった。
せっかく手に入れたチャンスを、自らフイにしてしまったのだ。
彼女の補助輪に僕は甘え続けて、挙げ句がこれだ。
「だが……なぜ君が? この会社が欲しいなら、僕に入れ知恵などせずに最初から君自身の手でやれば良かったじゃないか、FVを」
そうだ。そういう未来もあったハズだ。
他者という不確定要素を挟むよりも、その方がよほど確実だったのではないか?
「………もう、最後だから白状します」
「白状?」
「アナタを利用させてもらったんです。申し訳ないですけど。
アナタに、いえ“アナタたち”に示した事業のうち、どれがどのくらい伸びるのか、全てを正確に把握することはできなかったので……だから“いくつかの種を蒔いた”んです。それがFVであり、他の会社であり……イスラエルの件もそうです。あれも私のクライアントです。ANRの出現はわかっていましたが、それに付随する事業アイデアの成否に確信はなかった。他の領域においても同様です。情報が入り組みすぎていて、未来が遠すぎて、競馬の様に簡単に当てる自信がなかったんです」
つまりこういうことだ。
ANR、そしてQが本当に成功するのか、他の彼女のクライアントの事業が成功するのか、未来視を以てしても把握することができなかった。
だから彼女の成功確率を上げるために、打席を多く用意したということだ。
僕はその中でたまたまヒットを打ったということだ。
10年越しの事業一本に賭けて、仮に上手くいかなかった時に、もう10年を費やすワケにはいかないということなのだろう。
未来を見ることはできても、過去に戻ることはできないのだから。
つまり……——
「つまり……一杯食わされたってワケか、僕は」
「ええ、そうです。残念ながら」
怒りは無い。
むしろ感謝すべきだろう。ここまで導いてくれたのだから。
だが悔しいのは、僕の人生は彼女のために消費されてしまったということだ。
代償と捉えるにはいくらか大きすぎるのではないか。彼女は初めから、僕の人生を「いくつかある可能性の一つ」として使役しただけだったのだ。
僕でなくても良かったし、根底では僕はずっと騙されていた。ただそれだけが悔しい。
「君はよく言っていたね……『これまでに私がウソをついたことがありましたか?』って。確かに嘘はなかったのかもしれない。隠し事があっただけだ」
「なので、これはせめてものお詫びです。未来を変える選択肢をあげます。もし今日をもってアナタが自主的に退任するのなら、アナタの株式を1,000万円で買い取ります。未来において、もうそんな価値は無い株を。事後処理も全て引き受けます。アナタはその資金を元手に、もう一度自分の力でやり直してください」
決断する時なのだろう。彼女に任せっきりだったツケを払う時が来たのだ。F
Vの社長としての、最初で最後の正しい決断を。
「どうか未来を変えて見せてください」
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