桜田優編 #017

 男は、元同僚の板橋だった。新卒で同じ会社に入った、同僚というよりは同期だ。元、がつくのは、もちろん自分が会社を辞めたからだ。こんな住宅街の公園で猥褻物陳列罪で現行犯逮捕されそうになっているやつが勤め人で、自分が無職というのは、なんだか納得がいかないが、とにかく、それが事実だった。

 板橋は顔を上げ、胡乱げな表情でこちらを見る。あらためて顔を見ると、泥の中から這い出てきた虫のような顔だった。いや、端的にいうと、爬虫類顔。切れ長の目は攻撃的で、ややもすればイケメンに見えなくもないので、同期の一部のあいだではモテていたようだが、しかしいまのこの姿は無様そのものだ。

 安っぽく威嚇するその眼は身体中をめぐっているアルコールのせいで、あるいは優の髪型や格好のせいで、こちらが誰だか認識できないらしい。昆虫なみの知能になっている、と言ってもいいだろう。板橋が言葉にならない言葉で何かわめいていたが、よっぽど酒がまわっているのか、ほとんど幼児退行している。

 終電間際のターミナル駅のホームなどでは比較的よく見られる光景かもしれないが、夜更けの住宅街の公園では、かなり異色の存在だ。優は冷静にあたりを見渡した。幸いにも、この公園は柵と木に囲まれているせいでかなり見通しが悪く、ただ通りがかかったぐらいでは目立たなそうだが、これだけ騒いでいると、誰かが通りかかっただけで注目されかねない。その場合、この場にただ居合わせただけの自分にも、よからぬ嫌疑がかかりそうだ。

 もう一度、板橋に視線を戻すと、彼はズボンを脱いだ状態のまま、ベンチに寝っ転がっているところだった。これ以上関わり合いになるのはよそうと、優は自分の座っていたベンチまで戻り、トランクを持ってガラガラと公園の入り口に向かって歩き出した。

 公園の入り口にたどり着き、小さな橋を渡って公園を出ようとしたとき、板橋が乗り越えてきたフェンスのあたりに、何か長細いものが落ちているのが見えた。そこは街灯の明かりが途切れる暗がりになっていて、何かが落ちている、というのがかろうじてわかる程度だったが、金色に光る部分があって、それが目に飛び込んできたのだ。

 近づいて、拾い上げてみると、それは黒皮の長財布だった。皮とはいっても、合成素材で、しかし誰もが知る有名ブランドの財布だ。本物かどうかはわからないが、たぶん偽物だろう、と優は思った。本物の財布なら、こんなところに落ちているわけがない。いや、たとえ偽物でも、フェンスのところに財布が落ちているなんてまずないけど、と自分にツッコミを入れながら、ツツジの隙間から見える板橋の姿に目をやった。

 ちょうどこちら側に足を投げ出してベンチに寝転がっているせいで、肝心なところは隠れているものの、ほとんど全裸に見える。優は手に持った財布と板橋の間抜けな姿を交互に見ながら、十中八九、あいつのだろうな、と思った。触って見ると、かすかではあるが、暖かい感じもする。長財布をズボンの後ろポケットに突っ込んでいる人をよく見かけるが、よく落としたり盗まれたりしないなと日頃から思っていたが、なるほど無意味に公園のフェンスを乗り越えて侵入してきたりした場合、落ちるんだな、と妙に納得した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

エデンに堕つ やひろ @yahiro2000

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る