桜田優編 #016

 必死で、全神経を耳に集中させるが、タイミング悪く救急車が通り過ぎ、宗介の部屋の音は何も聞こえなくなった。優はイライラして、思わずスマホを地面に叩きつけたい衝動に駆られた。宗介のくぐもっと声がイヤホン越しに届き、彼が誰かと話しているのはわかるのだが、その内容が聞き取れない。誰だろうか。こんな時間に電話がかかってくるなんて、優がこうして宗介の部屋を盗聴しはじめてからはもちろん、一緒に住んでいたときですらなかったことだ。仕事の電話でも、夜にかかってくることはない。

 誰だろう、と優はそのことだけが頭の中でぐるぐるした。自分の知らないところから、突如として、宗介に知らない人間が出てくるというのが、なんとなくショックだった。

 優は、全神経を耳に集中させながら、公園に男が入ってくるのを視界に捉えた。男は、胸の高さほどあるフェンスを乗り越えて公園に入ってきた。もちろん、公園に入るためにわざわざフェンスを乗り越える必要はない。公園はぐるりを小川で囲まれていて、ほんの一メートルほどではあるが橋を渡らなければ入ることはできない。

 つまり、男は、橋を渡らずに小川を渡って公園のフェンスまでたどり着き、さらにそれを乗り越えて公園に入ってきたことになる。もちろん、そんな苦労をして公園に入ってくる理由などどこにもない。

 優はそんな奇妙な男を視界に捉えながらも、イヤホン越しの宗介の会話のほうが気になっていた。しかし、明らかに様子がおかしいので、目は男に釘付けになって、そらすことができなかった。男はフェンスを乗り越えると、そのまま公園の中に入ってくる。優は身の危険を感じた。なんせ、人通りの少ない住宅街だ。いくら公園の中が明るく照らされているとはいっても、急に襲われたりしたら対処することができない。

 どうしようか、と逡巡しているうち、男は公園の中を歩いてきた。歩き方もあきらかにおかしかったので、ますますやばい、と優は思った。酔っ払いのような足つきだ。男はスーツを着ていたが、上着を羽織っておらず、ストライプのワイシャツを着ていた。

 こちらのことは見えていないのか、こちらに向かってくる様子はない。しかし警戒を解かずにじっと男を凝視していると、優のちょうど向かいにあるベンチに腰掛けた。優はイヤホンを外し、男と向かい合う。

 しばらく見ていると、やはりただの酔っ払いだとわかった。まだ十時すぎだというのに、もう泥酔しているのか、と苦笑した。だが、男がベンチの上でズボンを脱ぎ始めたときは驚いた。まるで自宅で風呂にでも入る時のようなスピードで、男はどんどんズボンを脱いでいく。優はとっさのことでどうすることもできず、呆然とそれを見つめていた。

 だが、よく目をこらすと、何かに気付いた。知っている男性によく似ていたからだ。優は、万一相手が何かをしてきても、全力で走れば逃げ切れるだろう、と雑に判断をして、男のほうに近づいた。

「ねえ」

 優は男に話かける。

「板橋じゃん。何してんの、捕まるよ」

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