桜田優編 #013
優は自分が宗介に送信したメッセージを確認する。まだ、『既読』の文字はついていない。宗介はおそらく、まだ会社で残業しているのだろう。優はさっそく、作業に取り掛かった。といっても、自宅で既に盗聴器を仕込んだ電源タップを用意してきていたので、それを取り替えるだけでよかった。
優はデスクの近くにある電源タップを手に取り、持ってきたタップと取り替えようとした。そこで、あることに気がつく。色が違う。宗介の家のタップは、灰色だったのだ。対して、優が持ってきたタップは、白色である。わずかな違いだが、比べてみると確かに違う。まさか色が少し変わっているぐらいの変化に気付くことはなさそうだが、それでも宗介のことなので、何が原因でバレるかはわかったものではなかった。
しばらく逡巡したのち、優は持ってきたそのままの色で事を進めることに決めた。第一、ドライバなど持ってきていないし、そんな細工をしていたらかえってバレそうだ。優は少し心臓をドキドキさせながら、タップの交換作業に入った。
そこで、また新たな問題が発覚する。電源を引き抜いて、コンセントを交換したら、それだけでバレる要素にならないだろうか。たとえばパソコンとか、起動中のものがもしあって、コンセントを引っこ抜いたことでそれを抜いたことがわかるようなことになっていたとしたら。……考えすぎだろうか。しかし、用心には用心を重ねるべきだろう。
優はデスクの下に置いてあるハードディスクに耳を当て、それが沈黙していることを確認した。大丈夫だ。不意に、人の気配を感じ、慌てて振り返った。誰もいない。しかし、誰かの視線を感じる。
頭上のアクリルケージの中で、ハリネズミのそに子がこちらを見下ろしていた。優が自分より低い位置にいるので、見下ろしやすいのだろう。そに子は鼻をひくひくさせながら、こちらを見下ろしている。
優は気を取り直し、電源タップを交換しようとコンセントを引っこ抜くと、間接照明が落ち、部屋は闇に包まれた。優は思わず小さく叫ぶ。そして、手探りで自分の持ってきた電源タップを探すが、どこにも見当たらない。とっさにスマホを取り出し、画面の明かりで辺りを照らそうとする。
そして、スマホの画面を見ると、『エデン』のアプリが起動されていたせいで、宗介に送ったメッセージに『既読』がついているのを発見してしまった。やばい。慌てて優は電源タップを交換し、一息つく。
最後にそに子に目をやると、すっかり丸まって、まるでたわしのような姿になっていた。優は宗介のマンションの部屋を出て、何事もなかったかのように鍵を閉めた。あとは、宗介を待つだけだ。たぶん、もう二度と、会うことはないだろう、と優は思った。
それが二週間前の出来事だ。優はもちろん、その後、宗介と別れてからは一度も会っていないし、会う予定もなかった。ただ、優は、自分が仕掛けた盗聴器から送られてくる、宗介の家の「音」を、自分の心の中の日記帳に書き込むように、丁寧に拾っていた。
たとえ宗介の姿が見えなくても、そうやって宗介の音を吸収することで、あたかも彼がそこにいるかのような臨場感を感じることができた。彼の息遣いを感じることができた。
優は、彼と多くの時間を過ごしたけれど、彼が普段、どんなふうに生活し、どんなふうに笑い、どんなふうに泣くのか、知らなかった。宗介と一緒にいるときは、常に彼は「桜田優といるときの宗介」にすぎず、それは彼の本当の姿ではないような気がしていた。では、盗聴器を通じて彼の生活を覗き見ることは本当の彼の姿なのかというと、それもなんだか違うような気はしたが、少なくとも、自分の姿を消して、自分の影のない、純粋な彼の姿を音で捉えることは、優にとっては、とても大切なことだったのだ。
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