10.戻ってきた日常と戻らなかったもの
「残念だが弟子は今度だな。待ってるぞ。
今度は哀しみの目じゃなく憎しみの目に染まってほしいもんだ」
男は飄々とそんな言葉を残し、
猫とジョンを打ち取った証拠を手に去っていった。
✝ ✝ ✝
子猫はジョンによってあるべき世界に戻された。
ただレオナにとっての日常には戻れなかった。それだけのこと……
レオの遺体はカナの部下たちに任せてきた。
首をとられた兄の姿は到底レオナが受け入れられるものではなかったから。
野原で座り込んでしまったレオナを無理やり立たせて、
カナの自宅まで連れてきた。
恨まれることの多いカナはいつでも逃げれるようにするため
簡素な家に住んでいる。必要最低限の物しか置いていない。
レオナを招き入れた部屋にあるものは、
簡素なベッドと二人分の食器と小さな机だ。
部屋の大きさとしては、レオナが住んでいる家よりも広い。
あまりに物がないせいで、大きく感じるのだろう。
味気ない部屋だったとしてもいつものレオナだったら、
「大きいんだね。素朴でカナ姐らしいね」などと明るく感想を言うのだろう。
しかし今は俯いたままだ。カナは彼女をベットに座らせた。
いつもは小さい机を使わないらしく、埃がつもっていた。カナは机を拭いたり、レオナが好きなホットミルクを入れたりと細々と動いている。
姐さんと尊敬の呼称で呼んでいるカナが世話してくれているのにも関わらず、
レオナは一切カナの方を見なかった。
綺麗になった机をレオナの前に持ってきて、ホットミルクのカップを置いた。
「大丈夫かい?レオナ」
そんな陳腐な問いに答えられるはずもない。
固まったままの天使の肩をだき、頭を撫でてみた。
すると天使の目にじわりと薄い膜が浮かんだ。
最愛の兄を失ったレオナは、息が付けないほどに激しく泣いた。
嗚咽しか聞こえない時間がどれほどあったことだろう。
日はとっくに暮れていた。それでもまだ彼女の涙は乾かない。
夜が明けようかという時間になった時、
天使の再来と囁かれる少女はようやく顔をあげた。
「あの男を殺したい。復讐したい。このまま忘れるなんて出来ないよ」
泣き続けたせいなのか、
彼女の声は小さくてガラガラとして聞き取りにくいものだった。
カナは顔を覗き込むようにして優しく語りかける。
「その気持ちは判るけど、ジョンは約束だけは守る奴だから。
レオの笑っていて欲しいっていう願いを無駄にはしないでほしい」
いくら諭しても彼女は湿った声できっぱりと言う。
「……出来ないよ。兄さんは私にとって只一人の家族だったのに」
「レオナ、あんた――」
見捨てた血縁者をこれまで養護していたレオナ。
だが今、レオナが家族と呼んだのはレオ一人だった。
これだけでもレオは彼女にとって特別で、
血の繋がりには複雑な思いがあると分かる。
「……してやる。復讐してやる。あの男は、兄さんの敵だ」
彼女は立ち上がり護身用のナイフを翳した。
それはレオが危険があったら困るからと持たせてくれたものだった。
今までは果物をむくことはあっても護身用に使ったことはない。
「一番苦しい方法で殺してやる」
それは犯罪に染まった村に居ながらも無垢の感情を持っていた娘が
消えた瞬間だろう。
レオナは一瞬にして憎しみに燃える女に変わった。
「お願い。私に力を、手段を教えて」
彼女はさらに暗闇に落ちて行くことを自ら選んだ。
それを悟ったカナはかける言葉が思い浮かばなかった。
もしここにレオがいたのならそんなバカなことをするなと諭しただろう。
無垢なレオナを一番愛していた兄だから。
カナだってレオナは好きだ。だけどそれ以上に昔の自分と重なった。
憎くて、憎くて復讐しないと前にすすめない。
間違っていたとしてもこれだけは譲れない。
復讐をしたい気持ちが理解できるカナは、止める言葉を持たなかった。
たおやかな右手で少女の頭を撫でた。
「わかったよ。まずはあんたの長所でもある優しさも甘さも捨てて頑張りな」
彼女の眼差しを見た後ではカナもそれだけしか言えなかった。
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