油断

9.一瞬の油断

 ✝ ✝ ✝


 話が纏まって、油断が生じた瞬間だった。何かが風を切ってカナとレオナの脇を通り、レオの体にあたったと見えた。


「っつ――」


 体に起きた変化を瞬時に理解したレオは声にならない悲鳴を上げた。


「レ、レオ?」


 レオの様子に違和感を覚えたカナが問い掛けるが、

 レオが腹部を抑えて崩れ落ちた。

 黄緑色の絨毯はあっという間に赤黒い色に染まった。


「レオ!」


 抑えている手の隙間から流れていく鮮血が重傷なのだと証明する。

 レオの体には短剣が刺さっていたのだ。


「レオ兄ぃ!」



 二人が倒れたレオに駆け寄ろうとした時に自信に満ちた声がした。


「全く。マリ・ジャクソン公爵夫人も傲慢だ。

 この地区すべてを回ってでも飼い猫を探せとは」


 その闖入者にカナは眼を丸くした。


「ジョン・ブラット……」

 長身瘦躯で黒髪、眼を引くのは左の眼尻から口角にかけて奔る古傷だった。


「カナ・マリアン・フィートか。久しぶりだな。

 確かお前、上級地区の政府に追われてんだろ。

 こんなとこに居て平気なのかぁ?」


「なんであんたが知ってるの?――誰の依頼でレオを?」


「お前が追われてるのは有名な話だし。

 今回はとある貴族サマより猫奪還の依頼が入ってねぇ。

“下級地区に猫が入りこんだ。至急、見つけ保護してほしい。万が一誰かが触れているのを見つけたら殺していい”って」


 説明に対してレオナは憤然と顔をあげた。


「レオ兄は関係ないよ! 何もしてないのに刺したりするなんて」


 掴みかかろうとしたレオナを、カナは止めた。


「待て! ジョンは副業での同門だ。あいつは強い。近づくな」


 出血の止まらない腹部を押さえながらも、

 レオは妹に危害が加わらないよう言葉を選んで話していく。


「猫は、返す。だから――ここにいる奴は、見過ごしてくれない、か? 猫に触れたのは俺一人だ」

 途切れ途切れにしか言葉を紡げない様子が痛々しい。

 彼の服は血に染まり、彼の下の草は赤色に変色していた。


 ジョンと呼ばれた男は一呼吸分、思案した。

 すぐに条件を考えたようで口を開いた。


「それを決めるのはお前次第だな。お前の首か金髪女の一生かどちらがいい? 

 選んでいいぜ」


 ジョンの言う金髪女とは無論、レオナを指している。


「どういうことだ! ジョン」


「簡単さ。俺にくれるのがあんたの首なら金髪女に危害は加えない。

 だが、もし金髪女をくれるならあんたは生かそう。

 この女はいい殺し屋になると思うぜ」


 苦しそうに息をしているレオにとって残酷な問いかけをいとも簡単にする男。


 カナは顔を真っ赤にして怒鳴りつける。


「あんたがそんな取り引きする必要ないだろ。

 猫は道端で寝ていたって報告すればいいだけ!」


「俺だって組織の思惑で動いてるんで。

 レオの首を持って帰れば信用に繋がるさ」


 それに、と意味深にレオナを見つめる。


「俺だって弟子をとってもいいかと思ってな」

「そんな条件、飲めるわけないよ」


 飄々とした男に抗議するが、彼の眼は慈悲すらも映さない。


「どうだか。妹とはいえ自分の命まで使うわけがないさ」


 レオがどちらをとるか分かっているように視線を投げたジョンに

 瀕死のレオは予想外の決断をした。


「俺の首を、やる。得体の、知れない男の下で危ない仕事をさせる位なら

 カナの方が、いくらか、マシだ」


「レオお前っ。何で!誰に任せたって同じだぞ。この世界は」


 レオナと負傷したレオを庇うように立っているカナが諭すも効果はない。


「いいんだな?」


 殺し屋の冷徹で静かな問いかけにこう応じた。


「俺の代わりは任せたぞ」

 彼は涙を流しながら目を閉じた。

 ジョンはためらうことなくカナとレオナを通り過ぎ、

 彼に向い刃を振り上げ、レオの首を――


「いやああああああああ」

 悲しいほど透明な慟哭が治安の悪い地域に木霊した。

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