12月6日 登れない温泉タワー

12月6日 登れない温泉タワー

「先輩、みてくださいあそこ」

「うん、なんだあれ……どれどれ……? 温泉百階タワー?」

 後輩が指を指した方に目を向けると黄色と赤で大きくドッキリ大成功の印字のような看板が目に入った。温泉百階とは一体どういう意味なのだろう。恐らく文字通り百階建ての建物の各階が温泉となっているのだろう。


「行ってみましょうよ先輩」

 促されるまま私は百階温泉に足を踏み入れた。

 大きなガラス張りのドアをくぐるとそこには巨大ホテルのエントランスのような光景が広がっていた。豪華なシャンデリアに大理石の床、巨大な柱が並ぶロビーのフロントに周りの光景とは不釣り合いの着物姿の仲居が並んでいた。


「お客様こちらにどうぞ」

 不気味な笑顔を張り付けた仲居の誘導に従いフロントの前に立つ。

「お客様二名様ですか」

「はい」

「左様ですか。こちらの方は初めてお越しになられますか」

「そうです。初めてです」

「左様ですか。ようこそいらっしゃいました温泉百階タワーへ。私の方から施設の説明を致しますね。こちらの温泉旅館は二階から九階までが客室、十階から百階までが温泉となっております。九十種類もの温泉を存分に楽しんでください。ご料金のほうはですね、宿泊が……」

 と長々と説明をされているうちに眠気がきてしまったので宿泊なしの百階温泉プランにした。一万円以上したがまぁ滅多にない経験だろうから渋々金額を受け入れた。

「ありがとうございます。それではですねあちらのエレベーターからまず二階に上がられて、そちらで更衣を済ませてからどうぞ温泉をお楽しみください」

 ロッカーキーと浴衣、タオルを渡されて深々と頭を下げてお見送りされた。

 二階に上がると脱衣場とロッカーが設置している場所に流れ込んだ。建物のフロアの半分を占めているわけだから相当広い空間である。このサイズの温泉が上に連なっているとなるとワクワクが止まらない。服を颯爽と脱ぎ捨て浴衣に着替えていざ温泉へ! と思ったのだが温泉に行くには浴衣は脱いだ状態でいなければならないのだ。つまり裸でエレベーターに乗るか、溺愛しているピストルをふらふらさせたまま階段を上らなければならないということになる。しかしどうこう言ってられない。郷に入っては郷に従えだ。脱ぐしかない。

「先輩まだ脱がないんですか? もう早くしてくださいよ」

 

 全裸の後輩が前も隠さず私を急かしてきた。ゆっくりしている私も悪いが前くらいは隠したらどうだ。いくら自慢できるサイズとはいえ図々しいぞ。昔からこいつのこういうところが嫌いなのだ。そう心の中で文句を言いつつ先程着たばっかの浴衣を脱ぎながら下着に手をかけたところで異変に気が付いた。

「お前見すぎじゃないか」

「え、そうすか? いやぁ先輩ってどんくらいなのかなーと思って」

「だからってそんなにまじまじと見ることはないだろう」

「いや、でもほら女子ってデカくないとだめってよく言うじゃん。だから先輩彼女のこと満足させてあげられてるのかなって」

「余計なお世話だよ」

「いやいや、この前ナミちゃん言ってましたよ」

「え、まじ? 言ってた?」

「はい。もう全然満足できないって」

「そうか……結構ショックだな。ていうか何でお前うちの彼女の名前知ってんだ」

「あれ、先輩教えてくれてませんでしたっけ」

「あぁ。紹介した覚えはないな。で、何で知ってるんだ」

「あぁいやぁまぁ、あはは」


 ふん。こいつとぼけて逃げようとしてるな。知ってるんだぞ全て。いつかぶっ殺してやる。まぁしかし温泉に罪はないから今回は聞かなかったことにしてやるよ。

「まぁまぁ先輩、早く行きましょうよ」

「そうだな」

 そして俺達は裸にフェイスタオルを片手にしてエレベーターに向かった。どうやら一階ずつ上らなければいけない仕組みの温泉タワーなのでまず十階に足を踏み入れた。

 大概の温泉スパに存在するであろう名も無き湯がそこにあった。


「なんか意外としょぼいっすね」

「まぁ九十種類もあるからな。最初はこんなもんだろ」


 俺達はその湯に十分ほど浸かってから上に上がった。


 十五階

「いやぁ先輩ここ最高すね! 自分こんな穴場スポット知れてよかったすわ」

「あぁ、しかし妙なものだな。こんなにも素晴らしい温泉があるにも関わらず誰も口にしないどころかネットにも載ってない。普通これほどの規模とクオリティならみんな広めるだろ」

「確かにそうすね」

 そんな疑問を抱きながらも俺達は温泉に浸かり続けた。

「さすがに五種類目は少し疲れてきますね」

「そうだな……一旦ここまでにして食事みたいなのはどうだ。先もまだ長いことだし」

「それもそうっすね。そうしましょう」

 エレベーターに乗って二階のボタンを押してみると。

「点かない……」

「え、本当ですか。もう冗談やめてくださいよ先輩……本当だエレベーターが動かない……」

「まさか、俺達はこの温泉タワーに閉じ込められたのか……」

「そんな、水もないこんなところに閉じ込められたらすぐに死んでしまう!」

「いや、水はないが湯はある」

「……」

  どうやら渾身のギャグは空振りに終わったようだ。


「やぁお前さんたち、どうやらここには初めてのようだな」

 裸の男性が突然話しかけてきた。

「誰だいあんたは」

「ワシかい。ワシはまぁ髭爺とでも呼んでくれ。ほっほっほ」

 陽気に笑う白く首を覆うほどの髭を生やした爺さんが真剣な表情で俺達を問い質してきた。

「それで、あんたらはここには初めて来たのかい」

「あぁそうだ、先程そこのエレベーターが故障してしまって下に行けなくて困ってたところなんだ」

「ほっほっほ。そのエレベーターは壊れてはいないぞい」

「なんだって、じゃあ階段は無いのか、周りを見ても見当たらないんだが……」

「ほっほっほ、階段もないぞい」

「どういうことだ、俺は下に降りたいんだが」

「ここは途中で下には降りれないぞ? フロントにいた婆さんが説明してたじゃろう」

「うん、どういうことだ?」

「まさかお主説明を聞かずに来たとは言うまいな⁉」

「残念ながらそれなんだが……」

「馬鹿野郎! ここは温泉百階タワー。一度登れば登りきるまで地上には戻れない温泉じゃ。そして各階の数の分数湯に浸からなければ上には上がれないという仕組みなのじゃが、お主その説明を聞かずに来てしもうたんか」

「えぇ、まぁはい。とても長ったもので……」

「馬鹿野郎! この温泉タワーの名人であるワシでも二十五階までしか開拓できていないぞい。お主何階までのを申し込んだ……?」

「いやぁ、まぁ……百階……」

「お主まさか死ぬつもりか⁉」

「いえ、そういうわけでは」

「先輩……今の話が本当なら僕達死んでしまうんじゃ……」

「まぁ落ち着けって。こういうのはキャンセルがあるもんだろう。すみませんどこでキャンセルをお願いできるのかご存知ありませんか」

「そんなものはここには無い」

「そんなぁ! 本当に無いの⁉ お願いだよぉ」

「うむぅ。苦しいが耐え抜くしかないのじゃよ……。健闘を祈る」

 こうして俺達のデスゲームが始まった。いや続いてる。


 十六階

「先輩、体が勝手に湯の方に……」

「あぁ、俺も気付かなかったがここは体の行動が制御されている」

 ここは一人一つの壺湯か……。壺湯は下から湯が永遠と湧き出るから温度が常に一定に保たれている。そして上がりたくても上がれない。つまりここは、デスゲームだな。

「あぁ、先輩……。自分もうダメそうです」

「諦めるな後輩! まだ仕組みに気づいたばかりじゃないか!」

 しかし彼の顔はもう真っ赤だ。恐らく本当に限界なのだろう。もう既にここまでで一時間と十五分は湯に浸かりっぱなしだ。水も飲めていない。百階まではざっと計算すると……。等差数列の和の問題か、八十二時間と三十分か……。三日半風呂に浸かり続けるなんて、お坊さんの修行か、否ここは地獄か、はたまたここは……。


「先輩……」

「お、おぉどうした後輩よ」

「すみません先輩、彼女、寝取って……」

「はよしね」

 ついに後輩が死んでしまった。常々死んで欲しいと願っていたから目の前で死んでくれて嬉しいよ俺は。

 さてと、嫌な奴も死んだことだし、俺は自分の世界に帰ろうかな。


 十八階

 はぁ、はぁ、熱い、体の芯から燃えているような気がする。頭皮の毛穴が開いているのが自分でもわかるほどに滝のような汗をかいている。あと二分ほどで上に上がれるというのに。クソ、俺もここまでか。

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