姉さんはダメだよ
昔からよくある迷信で、“夜に爪を切ると親の死に目に立ち会えない”という話があるが、両親が仕事で留守になりがちな俺は、爪を切らなくても会えなさそうな気がする。
「なあ渕崎、爪切りなんか買ってどうするんだ?」
ドラッグストアで爪切りを探していると、誘ってもいないのに同行してきた富安が横から訊ねてきた。
「どうするもなにも、爪を切る以外になにがあるってんだよ?」
「例えばプラモのパーツを切る時とか。俺はいつもガン○ラ作る時はニッパーの代わりに爪切りで切ってるぜ」
「そんなことする奴はお前だけだと思うけどな……。というかそうじゃなくて、もうすぐ姉の誕生日だから、プレゼントにどうかなって思っただけだよ」
うちの姉は常に俺に厳しい態度をとっているが、誕生日だけは律儀にも毎年必ずプレゼントを送ってくる。本人曰く、俺が生まれた頃から行っている習慣なので、今更やめるつもりはないのだと。
昔は自分と同じような秀才に育って欲しくて参考書や実用書をよくプレゼントしていたものの、小学校に上がる頃にその芽はなさそうだと判断して、徐々に普通の文房具とかに変わっていった。
まあ俺としてはむしろ普通のほうがよかったんだけどな。幼児に線形代数や微積分の本を送るほうがどうかしていると思う。
まあそんなわけで、俺も姉の誕生日にはお返しにプレゼントを送ることにしている。
あんなのでも一応、姉だし。
「でも愛する姉に送るプレゼントにしては、ちょっと素っ気なさ過ぎるんじゃないか?」
「え」
そういえばこいつには俺が超シスコンだと思われているんだった。
プレゼントは毎回適当に選んでいるから今回も同様にしたのが、余計な疑いを持たれる結果になってしまったか。
「あーもしかしてお前が姉ちゃんの爪を切ってやるのか? いいよなあ、足の爪を切る時とか触り放題じゃん。俺も合法的に女の生足に触りてえなあ」
「……お前そんなこと言ってるとその内セクハラで訴えられるぞ」
「オイオイ馬鹿を言うな、こう見えて俺はフェミニストなんだ。セクハラなんぞするわけがなかろう。まあ逆に女子が俺にセクハラするのは大歓迎だがな」
コイツ絶対いつか訴えられるだろうな。
しかし爪切りが素っ気ないプレゼントという富安の意見は一理ある。
せっかくのプレゼントにケチをつけられるのは嫌だし、もう少し良いものを選んだほうがいいだろうか。
「じゃあそこまで言うならお前だったらなにを選ぶか言ってみろよ」
「お、それはこの俺に助言を求めているのかな? いいだろう。そういうことならプレゼントのスペシャリストであるこの俺がキッチリお手本を見せてやる」
まったく頼りにならない言葉である。
富安に案内されて店内を移動すると、化粧品売り場のところで立ち止まった。
「女性へのプレゼントなら化粧品がオススメだな。例えばこのティントリップなんかラメ入りで、塗ると唇がぷっくらと厚みが増してより色っぽい感じになるぞ」
リップを塗ってセクシーになった姉を想像すると、なぜか悪寒がした。
それはそうと値段を見るとなんと5000円以上もするではないか。
学生には少々厳しい価格だ。
「恋人じゃあるまいし、そんな高いもん買えねえよ」
「なんだよ、愛する姉じゃなかったのか?」
「う……そ、そうだけどさ……」
くそ、ここにきて過去の嘘が裏目に出るとは。
なんとかプレゼントの費用は3000円以内に抑えたかったのに、このままでは大幅に予算オーバーしてしまいそうだ。
姉が今年、俺の誕生日にくれたのは2000円くらいのブックエンド。どう考えても割に合わない。
「想像してみろよ渕崎。お前の大好きなねーちゃんがセクシーな唇で『私を好きにして……』って耳元で囁く姿を」
「……想像したくねえ」
まだジェイ○ンに襲われる光景を想像したほうがマシだ。
クソ、これ以上コイツの好き勝手にさせてたまるか。
「あー、でもよく考えたらうちの姉は化粧品は使い慣れたやつじゃないと使わない主義なんだよなあ。悪いけど他のやつにするわ」
「なんだよせっかく選んだのによ」
富安を黙らせる為、咄嗟に嘘をついたが、どうやらうまく騙せたようだ。
色々と悩んだ末、俺は店員に勧められたオーガニックのハンドクリームを買うことにした。
まあこれなら妥当な選択だろう。
「そうだ、どうせなら愛のメッセージカードでもつけとけよ」
「はあ、なんだそりゃ?」
レジに並ぼうとした時、富安が横からわけのわからないことを言ってきた。
「ほらよくあるだろう、愛する人へのメッセージが書かれたカードをプレゼントの上に添えるやつ。アレをやるんだよ」
「別にそんなことする必要ないだろ」
「わかってないなあ。お前は乙女心というものをまるで理解していない。女性は相手がどれほど自分を愛してくれているか行動で示して欲しいものさ」
女性とロクに話せない奴が、乙女心について説教を垂れる資格はあるのか。
結局、俺の再三の警告も無視して、富安は歯の浮くようなメッセージが書かれたカードを強引に渡してきた。
しかもメッセージは富安が自ら書いたものだった。
怪しまれたくなかったから仕方なく受け取ったものの、こんなものを姉に渡せば確実に奇妙奇天烈な反応をされる。
いっそのこと富安には渡したと嘘をついておいて、このまま捨てたほうがいいかもしれない。
アイツが勝手に書いただけだし。
「ただいまー」
「お帰りなさい、あっくん」
家に帰ったら、麻由香さんが毎度のごとく出迎えてくれた。
付き合い始めてから、麻由香さんとはなるべく夕飯を一緒に食べることにしているので、この光景も見慣れたものだ。
「実はさっきまで紗月さんが来てたんだよ」
「そうなんだ。俺のとこにはなんにも連絡なかったけど……」
「うん、たまたま近くまで来たから寄ったんだって」
「ふーんそう」
本当はただの口実で、わざと俺がいない時間帯を狙ったのかも。
「姉さん、俺のことなにか言ってた?」
「いえ、特になにも……」
「だろうね」
姉が俺に関心を示すはずがない。
リビングのテーブルにはまだ姉のものと思われる米菓やお茶が残されている。
「なんだよ、せんべいかよ。姉さんの奴こんなババくさいもの食ってるのか。どうりで結婚出来ないわけだ」
「あの……それ私のなんだけど……」
「……え?」
一瞬、その場の空気が凍りついた。
「ごごごごごめんっ! 別に麻由香さんの好みにケチつけるつもりはなかったんだ! ただ姉さんがせんべい食う姿を想像したら全然似合わなくて――」
なんということだ。姉を貶す目的で言ったことが麻由香さんに突き刺さってしまうとは。
そういえば麻由香さんは米菓が好物だった記憶がある。
それがせんべいだったかまでは覚えていないが。
必死に弁解しようとするも、既に言ってしまった言葉を取り消すことは難しい。麻由香さんはババくさいと言われたことを明らかに気にしている様子だった。
なんともやりきれない思いがする。
「本当にごめん麻由香さん。完全に偏見だった。俺の言うことなんか気にしなくていいからねっ!」
「でもおせんべいが好きって、やっぱり年寄りみたいだよね」
「そんなことないよ。麻由香さんならむしろギャップがあって可愛いくらいだよ」
「そ、そう……ありがとう。でも紗月さんは?」
「ああ、姉さんはダメだよ。なんというか、存在自体が古い人間だし」
「そう……」
普段の姉の態度を知っている人ならば、俺のこの言動を酷いとは思うまい。
姉のほうが毎回、酷いことを言っているのだから、少しくらいやり返してもバチは当たらないだろう。
ここでちょうど姉が忘れ物を取りに戻って来て、今の会話を聞かれた、なんてことになったらヤバいけど。
まあそんなギャグ漫画みたいな展開、あるわけないと思うけどな。
……あんまり言うとフラグになりそうだからこの辺でやめておくか。
浅夫が自室に戻った後、麻由香はキッチンで二人が飲む用のお茶を準備していた。
その時、ふと浅夫の持って帰ってきた買い物袋の中身がはみ出しているのが目に入って、思わず視線が釘付けになった。
それはプレゼント用の綺麗なラッピング袋だった。
一瞬、姉の紗月に贈るものだと思ったが、上に添えられたメッセージカードには明らかに特別な女性へ送る言葉が書き連ねてあった。
麻由香自身はもう誕生日プレゼントを受け取っているし、だとすれば一体誰の?
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