こう見えて空手の有段者なんですから
椎名さんの“したことないゲーム”もとい、アルコールハラスメントゲームはまだ終わりそうにない。
富安がダウンした後、さらに二人の人間が犠牲となった。
辺りには三人の敗者が死体のように横たわり、時々ううぅ……と呻いている。まるでゾンビ映画を思わせる光景だ。
椎名さんだって何杯も飲んでいるはずなのに、シラフの時とまったく変わらない。
一度に大量の酒を飲んでも平然としている人のことを“うわばみ”と呼ぶらしいが、この人はまさにそう呼ぶに相応しい。
見た目もどことなく蛇っぽいし。
「オホホ、どいつもこいつも大したことないわね。皆まとめてこの私にひれ伏すがいいわ!」
この分だとだいぶ長引きそうだ。
酒の飲み過ぎで失敗した経験のある俺は、これ以上飲むのは避けたいところだった。
「あのーすいません椎名さん。富安の気分が悪そうなんでちょっと外に連れて行きますね」
俺は富安の介抱するふりをして脱出を試みることにた。
実際、富安は本当に顔色が悪そうだったので、椎名さんはあっさりと信用した。
「いいけど、もし吐いたらゲロの中に手羽先が入ってないか探してみてくれない? そいつ私の注文したやつ盗み食いしたクセに食べてないって言い張ってたんだから」
「はあ……」
一々ゲロの中身を確認しろと言うのか。嫌だな。
ともかくこれでゲームからは抜け出せた。後はこのまま富安を外に連れ出してズラかるだけだ。
勘定はすでに椎名さんに渡してあるので、まったく問題はない。
と思っていたら、出口へと向かう途中でアクシデントに遭遇した。
「やだっ! ちょっと、やめてくださいっ!」
「へへへ、いいじゃねえかちょっとくらい。仲良くしようぜぇ」
富安を肩に担ぎながら通路を歩いていると、前方でなにやら酔っ払いの男が若い女性に絡んでいるのが見えた。
女性のほうは明らかに嫌がっている様子だ。
「いい加減にしてください人を呼びますよ?」
「冷てぇこと言ってんじゃねえよ。そっちだってどうせいつも男と遊びまくってんだろう? たまには俺みてえな奴とも相手してくれよ」
うわぁ……いるよねこういうオッサン。
相手が嫌がってるのもお構いなしに触ってくる奴。もう絶滅したと思ってたけど。
さて、どうしようか。
助けてあげたいのは山々なのだが、面倒事に巻き込まれるのは嫌だし、女性には申し訳ないが、ここは見て見ぬふりをするか。
ちゃんと店員を呼んでなんとかしてもらうから勘弁して欲しい。
……待てよ。
もし男をこのまま放置しておくと、今度は麻由香さんが絡まれるかもしれない。
店員が来たとしても、オッサンを追い出すまではしないだろう。
それだけは絶対に避けたいところだ。
それを防ぐ為には、このまま店を出て家に帰るのではなく、あの男がおかしな真似をしないよう見張る必要がある。
しかしこの店に長居すると、俺と麻由香さんの関係がバレかねない。
板挟みの状況だな。
クソ仕方ない、計画変更だ。
「あー失礼、ちょっといいですかね」
不本意ながら、俺は男に近づいた。
「ああん? なんだぁお前は」
男はあからさまに敵意ある表情で俺を睨み付ける。しかし俺は気にせず続けた。
「ここで立ち止まってもらうと通行人の迷惑になると思うんですが、アナタはどう思いますかねえ?」
「うっせえなぁ、すっこんでろ! お前には関係ねえだろうが!」
「すっこみたくてもすっこめないんですけどねえ。いい歳こいたオッサンが女性をナンパして通行の邪魔をするもんで」
「なんだとこの野郎!」
癇に障ったようだ。男は拳を握りしめると、こちらを向いて身構える。
「おっと、やめといたほうがいいですよ? 自慢じゃないけど、こう見えて空手の有段者なんですから……僕の友人はっ!」
そう言って酔い潰れている富安を勢い良く指差す。
これでもし殴り合いに発展しても富安に攻撃が集中するだろう。
その隙に俺は店員に助けを求めに行く。うん、我ながら完璧な作戦だ。
「だがお前の友人は眠っているように見えるぞ?」
「わかっていませんね。真の達人というのは眠っていても余裕で戦えるものなんですよ」
さすがにハッタリをかまし過ぎだろうか。
しかし男は俺の言葉を信じたのか、「チッ」と舌を鳴らすとそのまま大人しく退散していった。
馬鹿馬鹿しくて付き合い切れなくなっただけ、という可能性もあるが。
「あの……どうもありがとうございます」
男がいなくなって安心したのか、女性がおずおずと近寄ってきて頭を下げた。
「いやいいんですよ。本当にただ邪魔だからやっただけですから。お礼を言われるようなことはしてませんよ」
よく見ると非常に可愛らしい容姿をしている。
こういうのを小動物系と言うのだろうか。かなり幼い顔立ちをしているが、俺よりはいくらか年上に見えた。
あのオッサンじゃなくてもナンパしたくなるほどだ。
「でも私、なにかお礼がしたいです。せめて料理を一つ奢るくらいさせてもらえませんか?」
「いや本当に気にしなくていいんで。それに俺もう店を出るところですから。
「そうですか……」
女性はしゅんとした様子で顔を俯けた。
その姿もどこか愛らしくて、つい守ってあげたい気持ちになる。
……っと、いかんいかん。俺にはちゃんと麻由香さんという人がいるではないか。
女性はまだ諦め切れない雰囲気だったが、やがて何度もお礼を言った後で、知人のところへ戻って行った。
俺は富安を出口まで連れて行き、タクシーを拾って奴の自宅まで送らせた後、まだやることが残っているので、再び店に引き返した。
あのオッサンがおかしな真似をしないように監視しなければ。
と、先ほどまで女性がいた場所を通りがかった際、女物の財布が落ちているのを発見した。
十中八九あの女性の落とし物だろう。
彼女に直接届けたほうがいいのだろうが、さっき店を出ると宣言してしまったので、直接渡すのはなんとなく気まずい。
店員に預けることにするか。
「あれ? あなたはさっきの……」
ところがそうやってあれこれ考えているうちに、例の女性がやって来た。
恐らく財布を落としたことに気づいて探しに来たのだろう。
「帰られたんじゃないんですか?」
「えっと……ちょっと忘れ物をしまして」
「そうですか。実は私も財布を落としちゃったんで探しに来たんです」
「ああ、それってこれのことですか?」
そう言って俺は財布を差し出す。
「あーこれです! 良かったぁ、わざわざ届けに来てくれたんですねっ!」
「あーえーまあ……」
本当は全然そんなことないのだが、つい状況に流されて肯定してしまった。
女性はますます恩を感じたようで――
「ありがとうございます、二度も助けられちゃって。本当に優しい人なんですねっ。そのぅ、出来ればやっぱりなにかお礼をさせて欲しいんですけど」
「はあ、そう言われましても……」
「でもこのままだと私の気が済みません。お連れの方はどうしたんですか?」
「ああ、アイツはタクシーで先に帰らせましたよ」
後になって考えると、ここで馬鹿正直に答えるより、外で待たせているから行かなきゃいけない、と嘘をついたほうが、うまく脱出出来たかもしれない。
「じゃあ少しでいいから付き合ってくれませんか? そんなにお時間は取らせませんから、ね?」
「あ、あのちょっと……」
なにを思ったのか、さっきまで大人しかった女性が、なんの前触れもなく俺の腕を引いてきた。
いきなり積極的になったな。あれだけオッサンには嫌がってたのに。
これでは今度はこの女性が、あのオッサンと同じことをしているようではないか。
それにしてもこの人の声、なんか聞き覚えがあるような……。
「鶴山さん、お財布見つかったのー?」
その時、背後からもっと聞き覚えのある声が聞こえてきた。
聞き間違えるはずはない。その声は毎日のように聞いている、お隣さんの声なのだから。
「あ……」
目が合った途端、麻由香さんは金縛りに遭ったかのように硬直した。
「あっ美崎センパーイ! この人ですよ、さっき助けてくれた親切な人!」
女性が麻由香さんに向かって笑顔で手を振る。
そうだ思い出した。この女性は麻由香さんが店に入って来た時、一緒にいた仕事仲間の内の一人だった。
他のメンバー全員から後輩扱いを受けていたのが印象的だった。
麻由香さんからすれば、なぜ俺がここにいて、自分の後輩に腕を掴まれているのか不思議に思っているだろう。
傍から見れば、恋人が仲良く腕を組んでいるように見えなくもない。
……もしかしてこれって非常に良くない状況なのでは?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます