いえ別に……
「はーい、また富安の負けー。ホラ、大人しくビール飲みなさい」
椎名さんが勝ち誇ったような声で言う。
一方、名指しされた富安は顔を引きつらせて、もう勘弁してくれと懇願するような表情で呻く。
「ううぅ……」
椎名さんの主導で、繫華街にある居酒屋に連れて来られた俺達は、こういう飲み会ではありがちの、パーティーゲームに参加することになった。
俺達が現在やっているゲームは
日本語に訳すと“一度もしたことないゲーム”で、ルールは参加者がそれぞれ自分が今までやったことのないことを順番に挙げていき、もし経験済みの者がいれば、そいつは酒を一杯飲まなければならない。
現在、富安がこのゲームで六連敗中だった。
だいたいこの手のゲームは、たとえ経験していてもシラを切る人間が多い。
富安も最初は否定しようとしていたのだが、ことごとく椎名さんに見抜かれた。彼女は非常に勘が鋭いのだ。
きっと今ごろ富安の胃の中はビールでタプタプになっているだろう。
「ホラホラどうしたのよ、もうギブアップなの? まだ半分も減ってないわよ」
「うぅ……すいません、もう限界です……」
そんな富安に椎名さんが酒を飲むよう促す光景は、さながらアルコールハラスメントだ。
そもそも富安が経験したことが多すぎるのだ。
例えば女物の下着を履いたことがあるか、という質問で富安だけがビールを飲み、ペディキュアしたことがあるか、という質問でも富安だけ飲んだり、といった具合で、こいつには特殊な性癖があるんじゃないかと疑わざるを得ない。
モテなさ過ぎて自分が女になろうとしているのだろうか。
「まったくだらしないわねえ。私ならその五倍は楽にいけるわよ」
「ま、まあまあその辺にしときなよ」
見かねた男の先輩が止めに入る。
ここでは椎名さんに強く物申せる人間は数少ない。
「ふん、まあいいわ。可哀想だからアンタはこの辺で見逃してあげる。さーて次は誰がこの私を楽しませてくれるのかしらねえ?」
そう言って椎名さんはサディスティックな笑みを浮かべて、俺達を見渡し始める。
その目は新しい獲物を物色する獣を連想させた。
この人の飲み会はジャ○アンのリサイタルと共通するものがある。
参加者は次は自分が狙われるのではないかと戦々恐々としていた。
まあ俺は今のところ一度も負けてないし、あまり心配する必要はないが。
「じゃあ早速次の質問にいっちゃいましょう。うーん、そうねえ……じゃあこんな質問はどう? この中で一度でも“結婚”したことがある人ー?」
「ブッー!?」
不意打ち過ぎて思いっ切りお冷を噴き出してしまった。
「……ん? どうしたの渕崎?」
「ゲホッゲホッ! いえ別に……」
「なんか怪しいわねえ。やけに動揺してるみたいだけど、まさかアンタ本当に……?」
「え、いやいやいや! そんなバカなことがあるわけないじゃないですか。俺まだ21ですよ?」
「ふぅん……まあ確かにいくらなんでもその歳で結婚はないわよねえ。例えば酔った勢いとかだったら話は別だけど」
「は、ハハハハハ……そんなまさかぁ……」
本当に鋭い人だ。
恐らく椎名さん本人は、冗談のつもりで言ったのだろう。
さすがの彼女も、俺が本当に学生の身分で結婚している人間がいようとは、夢にも思わなかったようだ。
彼女は麻由香さんの存在を知らないし、それも当然のことだろうが。
しかしもし万が一バレた場合、恐らく周りの知人全員に知れ渡るに違いない。
そんなことを考えていると、四、五人くらいの女性の団体客が近くを通り過ぎた。
見たところ仕事帰りのOLの集団といったところだ。
「へえ、予約してた店がいっぱいだったから仕方なくこの店にしたけど、意外と良いところじゃない」
「でしょう? わたしの一押しの店なんですよ」
「ホラ美崎さんも早くこっちに来て」
「は、はい」
ん?
気のせいか。今なんか聞き覚えのある声がしたような。
「急に付き合わせちゃってごめんなさいね美崎さん」
「いえ大丈夫です」
――ッ!?
声の主の顔を確認して、俺は絶句した。
一体なぜ麻由香さんがここに?
「なーにしてんのよ渕崎。幽霊でもみたような顔して?」
「はっ! い、いや別に!」
「アンタさっきから挙動がおかしいわよ。もしかして飲み過ぎて頭が変になっちゃった?」
「いや、そんなことは……」
少々、不審な行動をとりすぎたようだ。椎名さんや周りの人たちに、不信感を抱かれてしまう。
一方の麻由香さんは俺には気づかずに、他の女性達と一緒に奥の部屋へと歩いて行った。
これはまずい。富安は麻由香さんの顔を知っている。もし見られたら大変なことになる。
幸い富安を見ると、酒の飲み過ぎで酔い潰れているので、目を覚まさないうちは大丈夫だが。
それまでに一刻も早く脱出しなければ……。
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