なにしてるんすか……

 ネットサーフィンをしていると、迷子の猫を見つけてくれた人には50万円の懸賞金を渡す、と書かれたサイトを発見した。

 割と近所だから探してみようかなとも思ったけど、この広大な町の中で猫一匹を見つけ出す苦労を想像すると途端にやる気が失せた。

 それよりも学生は学生らしく昼間は勉学に励むのが一番大事だ。金は惜しいが。


「あれ、ひょっとして渕崎じゃない?」


 大学の敷地を歩いている時、ふいに誰かに声をかけられた。女性の声だったが、大学内で女子の知り合いはほとんどいないはず。

 振り向くとそこには見覚えのある顔があった。

 確か富安と同じサークルに所属する先輩で、名前は椎名といったか。


「あ、どうもこんにちは」

「アンタこの前の飲み会に顔出さなかったけどなんかあったの? せっかく面白いテーマを話し合ってたのに聞き逃しちゃったよ」

「あーっと……すいません、ちょっと外せない用事があったもので……」

「ふぅんそう。勿体ないわねえ」


 以前、麻由香さんに話していた飲み会にしつこく誘ってくる先輩とは、なにを隠そう、この人のことだ。

 そういえば結局、断る為の上手い口実が見つからなくて、無断ですっぽかしたんだった。

 正直それほど話したことない間柄なのに、そんなに気にしているとは思わなかった。


「ところで、どんなテーマについて話をしてたんですか?」

「フロイトの性衝動理論についての研究。人間はどういう状況で性的興奮を覚えるかっていう話」

「…………」


 ぶっちゃけ行かなくてよかったと思う。

 この会話だけ聞くと、どんなサークルに所属しとんねん、と思われるかもしれないが、なんてことはないただの心理学の研究である。

 まあ確かにご覧のように、時にはおかしなテーマを取り扱ったりもするが。


「っていうかLINEでもどういうテーマだったか知らせておいたんだけど、見てないの?」

「いや、ちゃんとチェックはしてましたよ。でもそんなメッセージ届いてなかったと思いますけど」

「変ねえ、ちゃんと送ったはずなんだけど……ついでに肛門期と男根期をもじった最高に面白い下ネタギャグも何通か送ったんだけど」

「なにしてるんすか……」


 肛門期、男根期というのはフロイト心理学用語で、字面だけ見ればかなりアレな印象を受けるが、別に下品な内容を扱っているわけではない。


「ほらコレ見なさいよ、ちゃんとここにメッセージが残っているでしょ?」


 そう言って先輩の椎名さんはスマホの画面を近づけてくる。


「……これ、俺のアカウントじゃないですね。誰か別の人のですよ」

「えぇうっそぉ!? でも名前が一緒なんだけど?」

「よく見てください。アイコンの画像が微妙に違うでしょう」

「ヤダ、ウッソ、マジィ?」

 

 椎名さんは、俺がいきなり変更したとでも思い込んだのだろうか。


「どうしよう私、アンタだと思ったからこの人に色々と卑猥なメッセージ送っちゃったよ……」

「……メッセージを読んだ人はさぞかし困惑したでしょうね」


 皆もメッセージを送る時はしっかり本人かどうか確認するようにしよう。


「まあいいや、それはそうと実は今夜、また皆で飲み会やろうって話になってるんだけど、アンタも来る?」

「え、今夜ですか?」


 今夜はいつものように麻由香さんと一緒に夕食を食べる約束になっているのだが、そんなことは正直に話せるわけがない。

 ここはなんとか上手い言い訳を考えて断るか。


「あーすみません。今夜はちょっと都合が悪くて……」

「あらなぁに? 私と一緒には飲めないわけ? 心配しなくても別に酔った勢いでとんでもない下ネタを言ったりしないわよ。『女性は地球人ですが、同時に子宮人でもあります』とかね」

「……もうすでに酔ってませんか?」


 だから飲み会に参加したくなかったのだ。

 この人は前々からドギツイ下ネタが大好きで、よく周りの人をドン引きさせていた。

 富安でさえ、この人の前では赤子も同然の扱いを受けている。

 姉もそうだが俺の周りにいる女性は割と変な人が多い気がする。

 唯一まともなのは麻由香さんくらいか……いや、よく考えたら麻由香さんも割と変かも……。


「まあ他に予定があるってんなら無理強いはしないけどさ、サークルにはちゃんと顔出しなさいよ」

「はい、すみません」


 久々に外食するのも中々悪くない気もするが、麻由香さんとの約束を破るわけにはいかない。

 やっぱり学生たるもの、プライベートでは恋人と一緒に過ごす時間が一番大切だ。

 麻由香さんといる時が一番楽しいし、こんな人が奥さんだったら幸せだろうなあ、なんて思ったりもする。いや、実際奥さんなのだが。

 これは麻美と付き合っていた頃に感じていた気持ちとは違う気がする。

 むしろそれよりももっと……。

 と、そこまで考えたところで、噂をすれば麻由香さんからSMSが届いた。


『ごめんなさいあっくん。今日は急に会社の人と外に食べに行くことになって、一緒にご飯食べられなくなっちゃったの。本当にごめんね、この埋め合わせは必ずするから! 追伸、ちなみに会社の人っていうのは全員女の人だよ』


 全員女性、というところで安心感を覚えたのはなぜだろう。

 まあ社会人の慣習上、人付き合いは大事にしなきゃいけないのは理解しているので、麻由香さんに非があるわけではないから『別に気にしなくていいよ』とだけ返信しておいた。

 しかし少々困ったことになった。

 今夜は麻由香さんと一緒に晩飯の材料を買いに行く予定になっていたので、なにも用意していないのだ。

 一人で飯にするのも虚しい感じがするし。

 やむを得ず俺は、椎名さんにLINEで結局、俺も飲み会に行かせて欲しいことを伝えることにした。

 ついでにこれで何度も断り続けてきた非礼を帳消しに出来るし、一石二鳥だ。

 社会人じゃなくてもやっぱり人付き合いは大事だよね。

 すると返ってきたメッセージは……。


『すいません、どちら様ですか? 誰かと勘違いしてるんじゃないですか?』

『えっ!? 椎名さんじゃないんですか!?』


 間違えて別人に送ってしまったか、そう考えて慌ててアイコンを確認していると――


『なんちゃって冗談だよーン。びっくりした? 参加するメンバーと場所は追って知らせるのでそのまま待機されたし』

「…………」


 語尾につけられた人をからかうような絵文字がムカつく。

 プレゼントの時のような事態を未然に防ぐ為、麻由香さんにも後でSMSで説明しておいたほうがいいだろう。

 女性と飲むことになったが、他の参加者もいるのと、椎名さんは色恋沙汰には興味がないことを。

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