元はといえば俺が悪いんだから

 恐れていたことが現実となった。

 思わぬアクシデントで麻由香さんにお湯をぶっかけてしまってから数日後、今日も麻由香さんが家に来る予定になっていたのだが、約束の時間を過ぎても一向に来る気配がない。

 心配になって電話してみると、急用が出来たので急遽行けなくなったとの報告を受けた。

 しかし話しているうちに、なんだか声の調子がおかしいことに気づいた。

 そのことを麻由香さんに訊ねると、最初はなんだかんだとはぐらかしていたものの、やがて風邪をひいたことを告白した。

 俺に気を遣って嘘をついたのだという。

 ここはやはり原因を作った俺が責任を取って看病しに行くべきだろう。

 そう思って電話で麻由香さんにそのことを提案してみたのだが「あっくんのせいじゃないから気にしなくていいよ。熱はそれほど高くないから、家でゆっくり安静にしていれば大丈夫」との答えが返ってきた。


 麻由香さんなら俺に心配をかけさせまいとしてそう言うだろうと思っていたが、このままでは俺の気が収まらない。

 風邪の原因が俺にあることは疑いようがないのだから。

 ここは反対を押し切ってでも行ったほうがいいんじゃないか、いやしかし麻由香さんの意思を無視するのはどうなのか。

 などとあれこれ悩みながら十五分くらい経った頃、麻由香さんから再び電話がかかってきて、こんなことを言われた。


『……ゴメン、さっきはああ言ったけど、やっぱり手伝ってくれないかな?』


 なんでもお粥を作ろうとしてキッチンをうろついていたら、足元がふらついて壁に強く右腕をぶつけて痛めてしまったらしい。

 さすがに左腕しか使えないとなったら誰かに頼らざるを得ないか。

 風邪をひいている最中に怪我をしてしまうとは、泣き面に蜂とはこのこと。


「麻由香さん、お粥出来たよー」

「ありがとう、あっくん」


 出来上がったお粥を持って寝室まで行くと、ベッドに横になっていた麻由香さんが身を起こす。


「ホントにゴメンね。迷惑かけちゃって」

「なに言ってるのさ。元はといえば俺が悪いんだからこれくらい当たり前だよ」


 体温を測ったところ、熱はそれほど大したことはなく、それよりもどちらかというと腕の痛みに難儀している様子だった。

 湿布で応急処置をしてはいるものの、一応病院に行ったほうがいいかもしれない。

 利き腕が使えないので、必然的にお粥は俺が食べさせてやらねばならない。前にも食べさせたことがあるとはいえ、どうしてもドキドキする。

 少し息を吹きかけてお粥を冷ましてから、蓮華を麻由香さんの口元に近づける。桜色の唇が蓮華に口をつける仕草が、なぜか異様に艶めかしくて思わず目を奪われる。

 お粥を食べ終えた頃、突然ベッドサイドテーブルに置いてあった麻由香さんのスマホが鳴った。

 麻由香さんは「ちょっとゴメンね」と言いながらスマホを手に取ってSMSをチェックする。

 しかし見た途端、どういうわけか突然、表情を曇らせたかと思うと、短く返信を打って即座にスマホを元の場所に戻した。


「誰からだったの?」


 言ってから余計な詮索だったかと後悔したが、麻由香さんは大して気にした様子もなく教えてくれた。


「うん、ちょっと知り合いから。今から会えないかって言われたんだけど、風邪ひいてるから無理って断ったの」


 そう言った後で、ふと思い出したように「あ、もちろん女性の知り合いだけどね」と付け足した。

 それを聞いてなぜか安心感を覚えたのは内緒である。

 食事の後もまだまだ看病は続いた。

 まず手始めに干してあった洗濯物を取り込む。下着も含まれるが、緊急事態なので気にしている場合ではない。……と思ったけどやっぱりそこだけ麻由香さんにやってもらった。

 怖気づいたのではない。一番効率の良いやり方を選んだだけだ……などと自分に言い聞かせてみる。

 次に汗をかいた服を着替える手伝い。片手が使えないと一人で着替えるのも一苦労だからだ。

 下着姿を見てしまうことになるが、緊急事態なので(以下略

 真面目に言うと、ちゃんと目を瞑ってやった。


 そしてそろそろ夕食を食べる時間帯になり、その次に手伝うことは……入浴だった。


 経験のある人ならわかると思うが、利き腕が使えない状態で一人で入浴するのはかなり難儀するし、さらに怪我をする危険もある。

 誰か手伝ってくれる人がいたほうが安全である。

 しかし……さすがにこれはハードルが高すぎる。高校の陸上部がいきなり世界記録に挑戦するようなものだ。

 それに肝心の麻由香さんがどう思うか。マッサージをした時も、あれだけ恥ずかしがっていたし、無理があるんじゃないか。


 あれこれと考えて、麻由香さんとも相談した結果、一緒には入らずに、なにかあった時にすぐ手助け出来るように扉の前で待機することにした。

 とはいえ扉越しに聞こえてくる物音に変な想像力がかき立てられる。


「あっくんごめん、バスタオル忘れちゃったから取ってきてくれない?」


 ……もしかしてわざとやってませんかね?

 そんな時、突然なんの前触れもなく、玄関の呼び鈴が鳴り響いた。


『こんばんはー麻由香。風邪だって言ってたからお見舞いに来たわよー』


 インターフォンから響く声を聞いたその瞬間、麻由香さんはさっきスマホでSMSを読んだ時のように顔を曇らせた。

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