私、凄く嬉しかったよ

 あれから政樹が同じ大学の連中にどんな扱いを受けたかについては、多くを語るまい。

 ただ友達を裏切った男には相応しい末路だったとだけ言っておく。

 一方、麻美に対しては、自分でも意外なほどあっさりとした対応を取ることが出来た。

 麻美も政樹に散々酷い目に遭わされて十分罰を受けているのと、もうだいぶ反省している様子なのとで、怒る気にもなれなかった。

 それに、俺も付き合い始めた頃は恋愛初心者で、色々と麻美に迷惑をかけたこともあり、彼女が政樹のほうを選んだのは、裏を返せばそれだけ俺が不甲斐なかったということもあるかもしれないと考えると、一方的に相手を責めるのはちょっと違う気がした。

 他にも麻美を許す気になった理由はいくつかあるけれど、一番の要因は麻由香さんの存在が大きかったと思う。

 色々と波乱はあったものの、落ち込んでいる時に麻由香さんが献身的に支えてくれて、しかも結婚までしてくれた(?)ことで、麻美への未練を断ち切ることが出来た。

 俺の中で自分でも気づかぬうちに、麻由香さんに対する感情が変わりつつあった。それがどういう感情かはまだわからないが。

 さて、かつての友人とのいざこざも無事に解決し、俺の生活にも平穏が戻り始めていた。


 長い人生の中で、大学生活は社会人になる直前に、貴重な最後の青春だと言える。

 免許さえ手に入れば車も運転出来るし、酒も飲めたりして、高校生では出来なかった様々なことが自由に出来る。人生の全盛期が大学生だった人も少なくないのではないだろうか。

 俺の場合、そこまで充実していたわけではないが、それでも復帰出来たことは素直に喜ばしいことだと思う。


「じゃあ渕崎の意見も聞かせてくれよ。もしも世界中の女性が五十歳以上の熟女しかいなくなった場合、それでもお前は彼女が欲しいと思うか?」

「……そんなくだらない質問に答える義理はない」


 昼食に注文した焼き魚を箸でつつきながら、俺は目の前で馬鹿げた質問をする人物にうんざりしていた。


「世界がそんな混沌とした状況になったら、熟女好き以外の男は皆、自分の右手を恋人にしなきゃいけなくなるんだよな」

「……そんな世界よりお前の頭の中のほうが混沌としてるんじゃないか?」


 この無駄に豊かな想像力を持つ男の名は富安一樹とみやすかずき。同じサークルに所属する仲間で、今の俺にとっては数少ない友人の一人でもある。

 厳密には友人と言っても、いわゆる悪友という部類に入るが。

 性格は根っからの陰キャでひねくれぼっち。その性格ゆえに友達は俺以上に少ないし、女性にも全くモテない。それはつい先ほどの会話からも、おわかり頂けるだろう。

 しかも俺に彼女が出来た時はなぜか裏切り者呼ばりされ、別れた時は無反応だった。

 正直友人と呼ぶのもはばかれるが、そんな奴でも元々友達が多いほうではない俺にとっては、昼食を共にしてくれる数少ない相手だ。


「だけどまあ、お前が戻って来てくれて嬉しいよ。正直お前に彼女が出来た時は見捨てられた気持ちがしたからさ」

「なんで彼女が出来たことがお前を見捨てることになるんだよ」

「さあなんでかな。同族意識?」


 というか俺が実はお隣のお姉さんとお付き合いしていて、しかも結婚までしていると知ったら、こいつはどんな顔をするだろう。

 そんなことを考えながら、俺は手つかずの筑前煮に箸をつけた。


「だいたい、そんなこと言うならお前も彼女を作ればいいじゃないか」

「無茶言うなよ。俺が現実の女とまともに話せないの知ってるだろ。オンラインゲームでなら美少女のアバターと仲良くなったこともあるけど、オフ会に行ってみたら中身は美少女のふりをした油ギッシュな中年親父だったしな」

「なんの話をしてるんだよ……?」


 それってまさか実体験なんじゃあ……。

 そう、この男の持てない理由は、異性とまともにコミュニケーションをとることが出来ないからである。

 一応、顔見知りの女性なら普通に話せるものの、一度でも相手を恋愛対象として意識してしまうと途端に口ごもってしまうのだ。

 今までで一番長く話した女性は母親なんだとか。


「ああそうそう、彼女と別れたから言うけど、実はお前に折り入って頼みがあるんだ」


 と、富安が急に改まった口調になって言う。


「なんだよ?」

「俺、実はそろそろ実家を出て一人暮らしを始めようと思っているんだけど、悪いんだが新居に引っ越すまで二、三日でいいからお前ん家に泊めてくれないか?」

「はあ、なんでそんなことしなきゃいけないんだよ?」


 上記の通り、俺と富安は別に寝床を提供するような親しい間柄ではない。

 なのに今までしたことのない頼みごとをされて、正直困惑している。


「仕方ないんだよ。もう引っ越しの予定を立てていたんだけど、いよいよ新居に行くって頃になって急に業者の手違いで日程が先延ばしになっちまってよ。他に行くところがないんだ」

「行くところがないって……今どこに泊まってるんだ?」

「駅前のネカフェ。でも無駄金は使いたくないし、お前、前に親は仕事で忙しくてほとんど家にいないって言ってただろ? 彼女と付き合ってた頃なら遠慮したけど、もういないんだし、それなりの礼はちゃんとするからさ、泊めてくれたら凄く助かるんだよ」

「なら一旦実家に戻ればいいじゃないか」

「無理だよ。そもそも引っ越すきっかけになったのは親と色々モメて大喧嘩しちゃったからなんだ。だからもうあそこには戻れない」

「なんだそりゃ……」


 富安の表情を見ると、本当に困っている様子だ。

 普通、引っ越し当日になってから実家を出て行くものだと思うが、コイツの無計画さには呆れる。

 以前の俺だったら力になってあげたかもしれないが、麻由香さんのことがあるので、富安を家に招くのは憚られる。

 女性とまともに話せない奴が来たところで、どうにかなるとは思わないが、コイツに麻由香さんとの関係が知られると、また大学でおかしな噂を流される恐れがある。

 富安には悪いがここは断ることにしよう。


「悪いが他をあたってくれ。うちは他人を泊める余裕なんてないんだ」

「オイオイ、そこをなんとか頼むよ、こんなことを頼めるのはお前しかいないんだ。彼女がいなくなって寂しいだろう? 俺が慰めてやるぜ?」

「……そういう言いかたは誤解を生むからやめろ。だいたい男同士でそんなこと不自然だろ」

「そんなことないだろ。セサ○ストリートのバー○とアー○ーだって男同士で暮らしてるじゃないか」

「子供向け番組のキャラと一緒にするなよ。だいたいバー○とアー○ーって同性愛者ゲイ疑惑があるからな」

「そうだっけ? まあいいじゃん細かいことは」

「いやだいぶ重要なことだと思うんだが……」

「お願いだよ。代わりと言っちゃなんだが、お前の望むことならどんな恥ずかしいことでもしてやるからさ!」

「……公の場でそんなこと大声で叫ぶんじゃない」


 男同士でそんな会話していたら誤解されるかもしれないだろう。

 案の定、食堂にいた何人かが一斉にこちらを振り向いた。


「もういい、わかったよ。別にいいさ、どうせダメもとで頼んだだけだからな。あのネカフェだって結構、悪くないもんな。まったく一晩くらい泊めてくれたっていいじゃないか! 今夜は一人で枕を濡らすことにするぜ!」

「だから声がでかいって……」


 最後の一言は、俺への当てつけで、わざと周囲の人間にも聞こえるように言ったように思える。




「それであっくん、久々の大学はどうだった?」

「ああ、よかったよ。誰も俺の噂をしなかったし、そもそも俺が復帰したことさえ気づかなかった奴もいたけど……」


 自虐的な苦笑を浮かべて、俺はグラスにビールを注いだ。

 自宅に帰った後、ちょうど帰宅する時間が重なった麻由香さんと一緒に夕食をすることになり、自然と大学の話題になった。

 先日の一件は麻由香さんにも関係あることなので、ことの顛末を報告する必要があった。

 問題は解決したから、もうなにも心配する必要はないことを伝えると、彼女はお返しになにかお礼がしたいと言ってきた。

 最初は俺達の問題に巻き込んだだけなので、お礼なんて必要ないと断ったのだが、強引に押し切られて、仕方なく今夜の夕飯を作ってもらうことになった。


「私、凄く嬉しかったよ。あっくんが別れないって言ってくれて」

「いや元々は俺がまいた種だし、麻由香さんに迷惑かけたくなかったから」


 もちろん俺が政樹と対決したのは、奴がばら撒いたデマを払拭する為でもあったが、麻由香さんが侮辱された時の怒りが、一番の原動力になったと思う。

 それだけ俺の中で、麻由香さんが大切な存在である証拠だった。


「よかったね何事も起こらなくて」

「心配してくれてありがとう。凄く嬉しいよ」


 他の連中は、身内でさえそこまで心配してくれる人はいないのに……。

 今では麻由香さんが俺にとって最も身近な存在になっている。法律上の妻なので当然と言えば当然の話だが。

 実際は一般的な夫婦のスキンシップというものをほとんど行っていないのに。

 そろそろ関係を前に進めてもいい時期かなとも考えているのだが、最適なタイミングがわからず、迷っているところだ。

 前の交際が悲惨な結果に終わったので、誰かと親密な関係になるのに及び腰になっているのかもしれない。その割にはいきなり結婚とかしちゃってるけどな……。

 それと、及び腰になっている理由はもう一つある。

 俺達は現在、婚姻無効の手続きをしている最中で、そんな中で恋人らしい行動をとれば手続きに支障が出る恐れがあるのだ。

 まあそれが終わったら、なにをしても平気なので、今はなにもしないほうが得策だろう。


 ピンポーン。

 などとあれこれ思案していた時、ふいに玄関の呼び鈴が鳴り響いた。

 リビングに設置されたインターホンのモニターを確認すると、そこに映っていたのは――


『助けてくれ渕崎! 今まで泊まっていたネカフェが改装工事で休業になっちまったんだ!』

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