あっくん……大好きッ!

「久しぶりだなあ。ここ最近見かけなかったけど元気にしてたかー?」


 俺の“元”親友の伊達政樹は、数週間前に自分がしたことなどなかったかのように、何食わぬ顔で笑いかけてきた。


「……いいや、誰かさんに元気を奪われたせいでひたすら無気力な時間を過ごしていたよ」

「はははっ、相変わらずネガティブだなあ。あのことはもう何度も謝ったじゃないか。いつまでもネチネチ言ってる奴は大人げないぞー」

「謝って済むようなことじゃないからネチネチ言ってるんだけどな……」


 親友の彼女を奪うという最悪の裏切りを犯したにもかかわらず、まったく悪びれる様子もなくヘラヘラしている政樹を見て、俺は軽い苛立ちを覚えた。

 よく悪気はないのだけど無自覚に相手を傷つける人間がいるが、この男はまさにそのようなタイプだった。

 イケメンで面倒見が良いと言っても、相手の気持ちを思いやる能力に関しては壊滅的で、俺に裏切りを告白した時も、「友達なんだし、水に流してこれからも仲良くしようぜ」などと無神経な発言をしていた。


「それよりさっき話してた女は誰だよ? なんか年上っぽい感じだったけど、お前の彼女なのか?」

「い、いや違う……」


 彼女どころか奥さんなのだが……なんにせよ、こいつに麻由香さんのことを話すつもりはない。どうせろくなことにはならないからだ。


「本当かあ? 嘘くさいけどなあ……まあいいや。どうでもいいけどお前、彼女と別れたばっかなのに、他の女と二人でいたら誤解されるかもしんないぞ」

「え……どういう意味?」

「いやまあ、ちょっと言いにくいんだけどな、大学の知り合いの間で、お前が彼女と別れたのはお前の浮気が原因だっていう噂が広まっているんだよ。だからこんなところを誰かに見られたら噂が本当だって思われるぞ」

「は……?」


 あまりにも突拍子もない話に、俺は頭が混乱してしまった。

 一体なにをどうすればそんな真実とは真逆の情報が流れるのだ。


「な、なんでそんな噂が流れてるんだよ?」


 しかし次に政樹から聞かされた返答は、さらに想像を絶するものだった。


「あー……怒らないで聞いて欲しいんだが、実を言うと噂を流したのは俺なんだよなあ……」

「――はあっ!?」


 まるでイタズラがバレた時の子供のように、ポリポリと呑気に頭を掻いて苦笑する政樹。

 俺は思わず絶句する。一体なにを言っているのだ?


「まあ悪いとは思ったんだけど、お前の彼女と付き合うことになったら、周りの奴らから俺が彼女を奪ったみたいに思われちゃうじゃん。だからお前が浮気したことすれば万事オーケーかなーって思ったワケ」


 思われるもなにも、それはただの事実でしかないのだが。


「全然オーケーじゃないだろ。俺はどうなるんだよ?」

「さあ知らないけど。どうせお前は大学に来てないんだから、別に構わないだろ?」

「冗談じゃない。今すぐ皆に本当のことを話せ」

「やだよ、そしたら俺が悪者扱いされちゃうじゃないか。友達なんだから、大人しく俺の為を思って泥を被ってくれよ、な?」


 果たしてこの男は誰なのだろうか。本当につい最近まで親友と呼んでいた男と同一人物なのか。

 無神経な奴だとは思っていたが、ここまでとは。親友だと思っていた自分が情けない。

 今すぐ殴りつけてやりたいが、周りの人に迷惑がかかるので、今は堪えるしかない。


「あ、そうだ!」


 その瞬間、政樹がなにやら閃いたような表情をして、口元によこしまな薄笑いを浮かべた。


「皆に話してやってもいいけど、その代わり条件がある」

「条件?」


 俺は非常に嫌な予感を覚えた。


「一つは俺を許して友達に戻ること。それで俺がやり残している課題を一緒に手伝ってくれ。俺、今のままだとちょっと厳しいんだよね」

「本当にそれだけか?」

「まだある。もう一つの条件はさっきお前が話してた女がいただろう? もしあの女と付き合ってるんなら今すぐ別れろ。そしたらお前の望みを叶えてやる」

「――なッ!?」


 およそ正気の沙汰とは思えないような提案。本気でそんな条件が呑めると思っているのか。


「ふざけるなよ。なんでそんなことしなきゃならないんだよ?」

「その口振りからするとやっぱ付き合ってんだなお前ら。だってお前が女にうつつを抜かしていたら課題に集中出来なくなるだろう。それにお前が他の女とデートしてるところを知り合いに見られたら、噂がデマだって話しても説得力がないし」

「なんで俺がお前の都合に合わせなきゃいけないんだ。そんなこと言って、また俺から彼女を奪うつもりじゃないだろうな?」

「まさか。もう前の彼女で懲りたよ。お前を好きになる女なんてどうせロクな奴じゃないからな、こっちから願い下げだね」

「……は、どういうことだ?」

「言ってなかったっけか? 前の彼女アイツとはもう別れたんだよ。俺が浅夫の酷い噂を流してるって知ったらドン引きされてな。それ以来会ってくれなくなっちまった」

「そ、そうなのか……」


 まあ、そりゃそうだろうな。

 付き合っている相手がこんなゲス野郎だとわかれば、誰だって幻滅するに決まっている。

 逆にそれくらいの良識は持ち合わせていたのだとわかり、決して裏切ったことを許したわけではないが、少しだけ彼女に対する印象が変わった気がした。


「まあそんなわけだから、俺もお前と同じで、あの女に酷い目に遭わされた被害者なんだよ。これからは被害者同士、仲良くやろうぜ。二人でアイツの悪口言ったりしてさ」

「なに言ってんだ。お前の場合は被害者じゃなくて完全に自業自得だろ」

「冷たいこと言うなよ。悪いのは全部あの女なんだから、俺を責めるのはお門違いだろ。またレポート見せてくれよ」


 なるほど、段々と状況が吞み込めてきた。

 どうやらコイツは俺に課題を手伝わせたくて友達に戻りたいと言っているようだ。

 コイツの学力では今から一人でやるのは時期的に難しいだろう。本来なら前の彼女に協力してもらうつもりだったのだろうが、予定が狂ってしまい俺のところに来たと。

 そしてその為に邪魔な女――麻由香さんのこと――を排除したいのだ。自分勝手も甚だしい。


「とにかく、噂を撤回して欲しかったら、お前は早くあの女と別れて俺の課題を手伝ってくれよ。でなきゃ噂が本当のことになっちまうぞ」


 これからは自分の為だけに働け、と言わんばかりの口調。

 俺のことをなんでも言うことを聞く子分とでも思っているのか。


「冗談じゃない。そんな話に耳を貸すわけないだろうが」

「別にいいじゃないか。女なんかと付き合ったってロクなことはないんだし。どうせ飽きられてすぐ捨てられるか浮気されるのがオチなんだからさ」

「――このっ!」


 思わず殴りかかりそうになった。

 恐らく政樹は彼女にフラれたことで、極端な女性不信に陥っているのだろう。

 だがそれは単なる自業自得に過ぎないし、その価値観を俺に押し付けて別れろと強要するのは筋違いである。

 なにより麻由香さんを侮辱する発言は許せない。 


「まあいいや。とりあえず一人になってじっくり考えてみろよ。友達と彼女、どっちが大切か。気が変わったら電話してくれよ。じゃあなー」


 最後の捨て台詞は、そっくりそのまま政樹に返してやりたかった。

 殴りたい衝動を必死に抑えて、堂々と立ち去っていく政樹の姿を眺めながら、俺は非常に厄介な状況になったのを痛感した。

 それまで麻由香さんは政樹や前の彼女の件とは無関係だったのに、まさか巻き込んでしまうことになるとは。

 今この場に本人がいなかったのが不幸中の幸いだった。俺のせいで麻由香さんに余計な心配をかけさせたくない。なんとかして気づかれないうちに手を打たなければ。

 などと考えていると、政樹が去ってからほとんど間を置かずして、麻由香さんが戻って来た。


「お待たせーあっくん。それじゃ行こっか?」

「あ、ああそうだね……」


 先ほどの会話を聞かれなかっただろうか。そのことが気掛かりで、思わずぎこちない返事になってしまったが、不思議なことに麻由香さんは特になんの反応も示さなかった。

 それから予定通り二人でゲーセンに向かうことになったが、歩きながら話している時も、麻由香さんはどこか様子がおかしかった。

 普段より明らかに口数が少なくなり、時折なにか思い詰めたような表情を見せている。

 カフェに入る前はこんなことはなかったのに。

 俺は思い切って麻由香さんに探りを入れてみた。


「ねえ麻由香さん。さっきから様子が変だけど、どうかしたの?」

「え……う、ううん、なんでもないよ」


 しかしそう言った直後、ふと思い直したように首を横に振って前言を撤回した。


「……ゴメン、やっぱり噓。ホントはさっきの話、全部聞いちゃったの。でも、なんて言ったらいいかわからなくて、咄嗟になにも聞いてないふりをしちゃったの……」


 予想通りの返答だった。

 そうであって欲しくないと思っていたのだが、一番聞かれたくない相手に聞かれてしまったようだ。


「私がいけないんだよね。私がショッピングモールでデートしたいって言ったせいでこんなことに……」

「なに言ってるんだよ。もとはと言えば俺があんな奴と友達だったのが原因じゃないか。麻由香さんはなにも悪くない」


 俺は麻由香さんの両肩に手を置いて、優しく諭す。

 確かにショッピングモールに来なければ、政樹と出会うこともなかっただろうが、それで麻由香さんが責任を感じる必要は微塵もない。

 なぜなら最も責めを負うべきはあのゲス野郎なのだから。


「頼むから自分を責めたりしないで。まさかとは思うけど、俺を助ける為にあんな奴の言いなりになって別れたりしないよね?」

「まさか! そんなことしないよ。せっかくあっくんと恋人になれたのに別れるだなんて絶対嫌だもん。でも……このままじゃあっくんが悪者にされちゃうし、どうしたらいいんだろう……」

「そんなの気にしなくていいよ。俺にとっては悪い噂を払拭するより、麻由香さんのほうがずっと大切なんだから」

「……本当に?」

「ああ、もちろん!」


 本音を言うと、前者も十分に大切なのだが、麻由香さんに弱みを見せたくなかった。


「だから全部俺に任せて。麻由香さんはなにも心配する必要はない」

「――あっくん……大好きッ!」


 直後、麻由香さんは感極まった表情をして、人目もはばからず俺に抱きついてきた。

 道行く人々の好奇の視線が突き刺さる。


「ちょ、麻由香さん……周りの人が見てるから……」

「やだ、離れたくないっ。もっとあっくんと一緒にいたいもん!」

「はあ、まったくもう……」


 まるで駄々っ子のように甘えてくる麻由香さんに困惑しつつも、それが逆に庇護欲を刺激されて、愛らしいという気持ちになる。

 これ以上、政樹に好き勝手させてたまるか。

 なにより許せないのは、麻由香さんのことを侮辱したことだ。

 俺はなんとか対処の方法を考える為、ある人物に電話をかけて協力を仰ぐことにした。

 “彼女”の声を聴くのは別れた時以来だ。

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