まさに私の計画通りね!
「なるほど。それは厄介なことになったわね」
「ええ、そうなんです。私がどれだけ説明しても信じてくれなくて……」
夕食のアクアパッツァをフライパンで調理しながら、私は弱々しく頷いた。
紗月さんに事情を説明すると、なんと彼女はその日のうちに家まで駆けつけてくれた。正直そこまでしてくれる必要はなかったのだけれど。そしてそのまま色々と話が進んで、あっくんと三人で夕飯を食べることになった。
食事の席で説明をするつもりらしい。
「結果的にあっくんを騙すような形になっっちゃって、なんて謝ったらいいか……。もし本当のことを知ったら彼、私のこと嫌いになっちゃうかも……」
「ではそんな麻由香さんの悩みを解決する為に最善の方法を教えてあげましょうか」
「なんです?」
「これから毎晩、浅夫と生殖行為に励んで本当にあの子の子供を
「それはちょっと極端過ぎるんじゃあ……」
「そう? でもそうすればあの子との結婚も安泰になるわよ」
「それはそうですけど……」
確かにその通りかもしれないけれど、これ以上あっくんを騙すようなことはしたくない。
「それに騙すと言っても、浅夫が勝手に勘違いしただけで、麻由香さんにはなんの非はないとも言えるんじゃないかしら?」
サラダを皿に盛り付けながら、淡々とした口調で紗月さんは話を続ける。
「酔っている時ならまだしも、シラフの状態でもお馬鹿な勘違いをするなんて、どうやら弟は知的レベルに修復不可能な欠陥を抱えているとしか考えられないわね」
「その言い方はさすがにちょっと酷いと思うんですけど……」
「ほんの冗談よ。でも一週間足らずで妊娠したと思い込むのはやはりお馬鹿な発想だと言わざるを得ないわね」
「私が悪いんです。私がそう思わせるようなことをしちゃったから」
私の家に妊娠検査薬が置いてあれば、私が妊娠したと思うのが自然なことだ。
それに結婚したままでいられると考えて、本当のことを打ち明けるのを躊躇してしまった私の過失もある。
「大丈夫よ。夕食が出来たら、ちゃんと私が事情を説明してあげるから」
「本当ですか、ありがとうございます!」
「もちろんよ。可愛い義理の妹が、たかが浅夫ごときの為に心を煩わせるわけにはいかないものね。その為に一肌脱いであげるのが義姉の役目というものでしょう」
「……本当に姉弟なんですよね?」
前々から気になっていたけど、どうもこの姉弟の仲はあまり良好ではないらしい。
世の中、色々な兄弟姉妹がいるから、あまりとやかく言うつもりはないけれど。
「それよりも今の麻由香さんには他に心配すべきことがあるのではないかしら?」
「え、なんですか?」
思い当たることがなくて、咄嗟に訊き返してしまう。
「そのアクアパッツァ、そろそろ火を止めないといけないんじゃなくて?」
「あっ!?」
会話に夢中で、もう30分以上も煮込んでいることに気づいていなかった。
慌てて火を消すが時すでに遅く、料理は煮込み過ぎて具材がぐちゃぐちゃに混ざり合って、見るも無惨な姿に変わり果てていた。
「あぁ……私ったらなんてことを……」
誤解の件で頭がいっぱいになっていたせいで、普段なら絶対にしないミスを犯してしまった。
辛うじて食べられないこともないけど、見た目はかなり悲惨な状態だ。
「気を落とすことはないわ。浅夫にこれを食べさせた後で例の話をすれば、ワンクッション置けて、ショックが和らぐかもしれないわよ。悪いことがあった後に悪い話をすれば感覚が麻痺するものでしょう?」
「いやでも、それ泣き面に蜂的な意味で逆効果になるんじゃあ……」
「ふむ……確かにその可能性も否定出来ないわね」
これから悪い知らせをするのに、こんな料理を出しては火に油を注ぐことになりかねない。
「あの……麻由香さん、これはなんていう料理なの?」
「えーと……アクアパッツァになる予定だったモノ……かな?」
困惑した表情を浮かべるあっくんに対して、私は恐る恐る口を開く。
食卓に並べられたのは、料理と言うよりは残骸と表現したほうが相応しい代物だった。
「ごめんなさい私、考えごとをしてたから、つい煮込み過ぎちゃったの……」
「ま、まあ気にしなくていいよ。麻由香さんが作ってくれただけでも俺は嬉しいから」
「本当に?」
「ああ、多少見栄えがアレでも麻由香さんの料理は美味しいし、お世辞を抜きにして毎日食べても全然飽きないくらいだよ」
「毎日……」
なんだか別の意味を連想させる言葉に聞こえる。
優しい言葉に思わず胸が暖かくなるが、こんなに優しくしてくれる相手を騙しているのかと思うと、申し訳ない気持ちになる。
「あら、なんの話をしているの?」
と、そこへキッチンから紗月さんが、他の料理を持ってやって来た。
「ああ姉さん。いや別に……実は今、ちょっとしたことで麻由香さんが謝ってきたんだけど、もう許したからいいんだ」
「まあそれは良かった。本当は妊娠してないってこと、許したのね」
「……は?」
「――ッ!?」
その言葉を聞いた途端、心臓が跳ね上がるような衝撃を受けた。
「……妊娠してないってどういうこと?」
「ん……? その話じゃなかったの?」
神妙な面持ちで訊ねるあっくんに、首を傾げる紗月さん。
部屋中に重苦しい雰囲気が漂う。
「ああ、もう駄目……。ごめんなさいあっくん。話せば長くなるけど、私の家にあった妊娠検査薬は、本当は私のものじゃないの!」
「え?」
私は観念して事情を打ち明けることにした。
彼は最初は驚いていたけれど、やがて徐々に納得した表情になっていって――
「な、なんだそうだったのか。どうりでなんか変だと思った!」
「……怒ってないの?」
「なんで怒るの? 俺が勝手に勘違いしただけなのに」
あっくんの意外な反応に、私はやや拍子抜けした。
「でも私……本当のことを言うタイミングがあったのに言わなかったんだよ……?」
「いや、あの時は俺が興奮して凄い勢いでまくし立てたから、麻由香さんがなにか言う暇がなかっただろう? むしろ俺のほうこそ、麻由香さんに変な罪悪感を抱かせちゃってゴメン。もっと麻由香さんの話を聞いていればよかったね」
「あっくん……」
不可抗力とは言え、結果的に彼を騙すことになったのに。信頼を裏切るという意味では、私は前の彼女と同じことをしてしまったのだ。
なのに彼は責任は自分のほうにあると言って、私はどう返事すればいいかわからなかった。
「ううん、やっぱり私がいけないんだよ。もしこのままあっくんが勘違いしていたら、婚姻を無効にしないでくれるかも、って一瞬考えて、それで本当のことを言いそびれちゃったの……」
「ああそのことなら、これから二人で話し合えばいいよ。婚姻を無効にするかどうかはまだ決めてないけど、俺は麻由香さんと真剣に付き合いたいと思ってる。だから、なにが二人にとって最善なのか話し合って決めよう」
「……本当に? 私と付き合ってくれるの?」
私が恐る恐る訊ねると、彼は小さく頷いてこう言った。
「ああ、勘違いだったけど、麻由香さんが妊娠してるって知った時、こんなふうに思ったんだ『こういう人が奥さんだったら最高に幸せだろうな』って」
その言葉を聞いた途端、胸の奥から色々な感情がこみ上げてきた。
結婚についてはまだどうなるか不透明だけど、あっくんが私の気持ちを受け入れてくれただけで私は嬉しかった。
「ふう、雨降って地固まる。まさに私の計画通りね!」
私達の話がひと段落すると、それまで黙っていた紗月さんがずいっと前に出てきて高らかに宣言した。
「……って、姉さんはただ勘違いして変なこと言っただけだろ」
「それは見解の相違ね」
「はあ……」
あっくんは嘆息すると、紗月さんに聞こえないように小声でこう呟いた。
「やっぱり俺と姉さんってわりと似た者姉弟かも……」
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