……え、麻由香さん?

「いやー、ホント久しぶりだよねー麻由香。前に会ったのはいつだっけ?」

「2年前だよ、卒業してから一度も会ってないからね」


 来客用の紅茶を淹れながら、私はリビングでくつろいでる篤子に返事をする。

 一時間ほど前、最寄りのショッピングモールで買い物をしていると、たまたま大学時代の知人である小柳篤子こやなぎあつこと再会して、色々と会話を交わすうちに私の家でお茶でも、という流れになって、今用意しているところだった。


「懐かしいよねー。あの頃は若かったから、よく二人でハメを外して夜の街で男漁りに精を出してたよね」

「いや漁ってたのは篤子だけだったよね。私はただ見学してただけでしょ」


 この知人は大学の頃から異性関係にだらしない性格で、よく夜の繫華街に出かけては、知り合ったばかりの男性を口説くことがあった。

 そして彼女が口説く相手を探す際には、なぜか私も毎回同行させられた。


「だって美人でスタイルの良いあんたが一緒にいれば男のほうから寄って来るんだもの。あんたのそのダイナマイトボディに釣られて来た連中を、私が横から掻っ攫っていく、そういう作戦だったわけよ」


 つまり私はエサということなのだ。

 実際、私目当てに男性が近づいてくると、瞬時に篤子がグイっと前面に出て来て、勝手に話を進めたので、私には特に実害はなかったけれど、初対面の男性と話すのが苦手な私にとって、これはあまり良い思い出ではない。


「そういう節操のないとこ、篤子の悪い癖だと思うよ。そのせいで単位落としかけたこともあるんだから、もうそろそろ自重したほうがいいんじゃない」

「私は人生を楽しんでるだけよ。誰かさんが勉強にいそしんでいる間、食べごろを迎えた男どもを美味しく頂くのが私の生き方ってワケ」

「それが節操がないって言ってるんだけど……。前に『フレンズ』っていうバーに行った時のことを覚えてる? 二人の男の人を同時に口説いていたでしょ? あれ結局どっちと付き合うことになったの?」

「なに言ってんのよ。両方に決まってるじゃない」

「え……」


 本当に節操がない。

 以前は友人だったけど、私は彼女の行いに段々とついていけなくなって、卒業後は完全に絶縁状態になっていた。

 そもそも彼女を自宅に招くのにも抵抗があった。もし彼女があっくんと顔を合わせたら、なにをするかわからないから。

 けれど、なにか相談したいことがある様子だったので、渋々連れて来たのだ。

 正直、私も他人の悩みを聞いてやれるほど余裕はないのだけど。

 先日のあっくん達の会話を聞いてしまって以来、ぼんやりする時が多くて仕事に身が入らない状態が続いていた。

 彼が婚姻無効を選択するなら意思を尊重しようと思っていたけれど、いざその状況に直面すると、複雑な気分になる。

 やはり覚悟はしていても、心のどこかで結婚を終わらせたくない気持ちが働いているのだと思う。


「それで、相談したいことっていうのはなんなの?」

「ああそうそう、それなんだけどね――」


 しかし次に篤子が言ったことは、私の悩みを一瞬で吹き飛ばすほど衝撃的なものだった。


「――実は私、妊娠したみたいなの」


 その言葉を理解するのに、十秒間ほどの時間を要した。


「……それ本当なの?」

「こんな時に面白くもない冗談を言ってどうすんの。どうせ嘘つくなら『実は私、篤子に変装した殺し屋であなたを殺しに来たの』とでも言ったほうが面白いでしょ」

「面白いかどうかは別として……え、ということは篤子、結婚してたの?」

「いや、してないわよ。職場の上司といつの間にかそういう関係になっちゃって、いつの間にかデキちゃってただけ」


 びっくりするくらい、あっけらかんとした口調で言う。


「それで、なんでそうなった妊娠したの?」

「さあ自分でも原因はよくわからないんだけど、強いて言えば酷く酔っ払ってたのと、コンドームが破れているのに気付かなかったせいかしらね」

「完全にそれが原因だね……」


 緊張感に欠ける態度のせいで、にわかには信じ難いが、篤子の貞操観の無さを考えるとあり得ない話ではない。

 私も大学時代に、いつかこうなるんじゃないかと予感していた。


「相手の男性はなんて言ってるの?」

「実はまだ知らせてないんだ。妊娠がわかったのは今朝だったから」


 そう言って篤子はおもむろにバッグから妊娠検査薬を取り出してテーブルに置いた。その検査薬の判定窓には陽性の線が出ている。

 ちなみにこの時点では、私は妊娠検査薬の使い方をよく知らなかったので、検査薬それをテーブルの上に置く行為がなにを意味するのかわからなかった。


「じゃあまだ病院に行って確かめたわけじゃないの?」

「うん、これから行く予定なんだけど……もし良かったら麻由香も一緒に来てくれない?」

「え、私が?」

「ねえお願い。一人で行くのはなんか不安だし、今のところ、このことを知ってるのは麻由香だけなんだもん」

「……ま、まあ別にいいけど」


 急すぎる展開に戸惑うばかりだが、篤子に強く懇願されたのと、私も検査の結果に少々興味があるので、仕方なくついて行ってあげることにした。

 その後、手早く支度を済ませて二人で家を出た。

 迂闊にも、テーブルの上に使用済みの検査薬を置きっぱなしにして――




「麻由香さん、いないのー?」


 俺は現在、誕生日パーティーの日に麻由香さんが忘れていったハンカチを届ける為に彼女の家に来ていた。鍵は以前、本人にもらった合鍵を使用した。

 女性の家に無断で侵入するなんて不適切だと言われるかもしれないが、前の彼女と付き合う前はよくお互いの家に自由に出入りしていたので、これくらいは問題ないだろう。

 それに今は一応夫婦なんだし。

 郵便ポストに入れることも考えたが、このハンカチはブランドものなので、万が一盗まれる危険を考慮すると、家の中に置いたほうが安全だと判断した。

 とりあえずハンカチはリビングのテーブルに置いて、忘れ物を届けに来たという書き置きを残しておけばいいか。

 そう思ってテーブルに近づくと、なにやら見慣れない物が置いてあるのが目に入った。


「これは……?」


 それは陽性の線を示した妊娠検査薬だった。


「……え、麻由香さん?」

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