延吉ノスタルジア

聖有朱

上海から延吉へ

 上海、中華第一の都市。都市改造のために立退が進むこの街で、私は宝石店を営んでいた。豫園付近にそびえ立つ巨大な古玩城骨董市の一角を借り受け、近場の拍売オークションに出入りする生活だ。日々偽物と格闘しては神経をすり減らし、たとえそれが本物であっても売れるとも限らないという現実に頭を悩ませる。紅塔山高級タバコに火をつけ、20平米の部屋から外を眺めることが、ここ半年ほどの私の日課だった。

 党幹部には興味深い性質がある。時に、同じものを二つ購入するというものだ。しかし誰しも、同じものが2つも3つも欲しいとは思わないことは明白で、大方の予想通り、これで終わらない。あえて片方を市場に安く流すのだ。こうすることで、自分が持っている物がまるで安物であるかのように見せかけることができる。自分はお金を持っていないと示すためだけに、手間をかけて自分の立場を守ろうとするお偉いさん方が考えつきそうな、小賢しいやり方だ。上海に乱立する古玩城はこの歪なシステムにより、安く仕入れて高く売ることが可能となっていた。しかし数年前に太平洋の先の大陸アメリカとの貿易戦争が始まった途端、党幹部どもは保身に走り、散財をしなくなり、市場が賑わうことも無くなった。上海の街の古物商店の少なくない数の店舗が、その大小ある歴史に幕を下ろすことになる。かくいう私の商店も例に漏れず、よくて売上が八割減、ひどいときは売上ゼロ元を達成した。最低限の貯金があったために自身の生活だけは維持できていたものの、ビルのオーナーが売却を宣言したことにより、少量の違約金を受け取って店を畳むことを余儀なくされた。総量にして数十点もの在庫を抱えて追い出された私は、次の仕事をどうするかを考えながら相棒を口に咥えながら住居へと戻った。マンションの入り口には、安物のタバコを吸いながら無愛想に外を眺めているだけの警備員が座っている。彼に手に持っているものを見せつけながらエレベーターに乗り込み、7階のボタンを押した。この紅塔山もいつ再び安物になるかわからない恐怖が体を襲い、改めて仕事を失ったことを自覚する。格子のついた冷たい扉を開け、壁掛けの湾曲モニターのスイッチをつける。2羽の鳳凰が飛んでくるニュース番組を見るような体力は私にはなく、適当にチャンネルを回した。しばらくして流れ出したものは、白痴を教育するために寓話的な描写をし、その末には長文が表示されるアニメだ。相変わらずムカつく顔をしている羊が忙しなく動いているが、疲れている時はこんなものを眺めているぐらいがちょうどいいのだ。

 少し時間をおいて、改めて自分の今後を考える。窓の外には大経済圏を持つ魔都が広がり、眼下に広がる道路ではクラクションによる行進曲が奏でられている。遠くに見える文廟はばったもんと貧困層の街であり、いつなくなるかも定かではない。自分はあの場所に住みたくはないと強く感じた。あの場所のことはもう忘れようと、カーテンを閉めた。このまま上海に住み続けてもあまり意味はない。私にも少なくない資産があり、これを持って一度別の街でやり直してもいいだろう。私は一度地元へ戻ることを決心した。

 曇りなき経済特区から引き上げた私は、中国東北部の辺境にして延辺朝鮮自治州の州都・延吉へ向かう。上海から延吉までは、天津と瀋陽を経由する。かつて上海へ上った時は寝台車に寝そべり、高台から落ちて迷惑をかけたものだが、今回の帰省ではこの大荷物である。寝台車の部屋に載せて盗まれでもしたら大変だ。そのため、今回は違う手を取ることにした。上海の我が城は解約したのち、普段使いしていた愛車は知人のディーラーに安く売り渡した。代わりとして、その対価を確約させた。もしも上海に再び戻ってくることがあれば、その際には店舗用地を見積もらせるというものだ。あいつは常に自分が儲けられるかしか考えないむかつく男だが、信用のために人を裏切ることはしない。彼は一つ一つの人脈が自分の資産となることを知っている。家具は大家に譲り渡し、解約の違約金を減額させた。管理していた老婆は間違いなく家具の幾らかを自分の手元に隠しておくだろう。不良在庫達は知人の経営者に貸しつけ、売れた場合は利益の二割をロールバックさせることにした。これもまた破格の提案であるためか、その知人は快諾した。後日、引き取りも処分も知人がやるということで決着し、その日は高級料理店のターンテーブルのある部屋宴会席で食事をとって解散した。復路では、可楽コーラを流しこみながら長い青年期を過ごした上海を想った。

 資産を隠すためにも購入していた紅旗車に乗り込んでエンジンをかける。三十万人民幣の初航海だ—今では数年も前のモデルだが、十分動くだろう—車検をせず夜の道路に繰り出した。

 車を走らせて十一時間、天津の街を通る頃、広々とした渤海湾を右手に臨める場所で一度休憩を挟んだ。このまま走らせれば瀋陽にたどり着くが、24時間の連続運転は危険であることは言うまでもない。翌日、それから十三時間、私の出生の地である吉林は延吉へとたどり着く。

 この街は近年、南朝鮮による多額の投資がなされている。この土地でしか見られないものはたくさんあるが、その中でも特にこの街を印象付けるものは何かと聞かれれば、それは間違いなく、漢字とハングルが混ざった街並みと看板だ。足を踏み入れた瞬間、これが延吉であると、その多文化性を堂々見せつけてくる。最近の開発によってここはヨーロッパ式の建物が立ち並ぶ奇妙な光景に包まれ流ようになったが、それだけは変わらない。

 しかしデジタル化の波はここにも押し寄せている。少し前に民族語教育が廃止されて以来、百分の三十六が残りの六十四に対してむける目は厳しい。少し前には大規模な抵抗運動もあったが、その原動力は簡単に粉砕されてしまった。この事件を受けて、街路樹にはカメラが括られるようになり、人々に無機質を流し込むようになってしまった。この街を見下す太陽は、いつだって笑顔だ。玄関口である延吉空港はいつだってその笑顔を反射して輝くように整備されている。この大地を照らす太陽の光を反射して、空港から流れ出る無貌は、影に対して気を配ることはない。

 十二月の雪の中、コートを着て寒さに備えて祖父母を待つ。この時期の延吉は氷点下二十度になり、これに慣れていない人間が耐えられる寒さではないが、私にはそれすらも懐かしい。腕時計に目を向け時刻を確認する。今の時刻は5時にして、予定の時間までまでは1時間ほどある。路面凍結による事故は毎年のことで、この街に住む者でその危険さを知らない人間などいない。少しの余裕があるということで、私はタイヤを替えに整備屋へ向かう。

 この街の経済発展を印象付けることの一つに、南鮮資本の有限公司《会社》の事務所が増えたことに象徴される。南との国交締結は新世紀に入る直前のことだが、南鮮の資本が大規模に入ってきたのは新世紀を迎えてからしばらく経ってのことだ。今やテレビには南鮮製の番組が映り、超市スーパーマーケットには南鮮製の食品が溢れ、デパートには南鮮製の衣類が着られている。しかし南鮮のトラックを街で見かけると、三六・八%は苦い顔をする。いつか南に出稼ぎに向かった家族が苦しい顔で帰ってきたときのこと、いつか夢に詰めこんだ旅行をしたときに悪意の詰まった言葉を散々向けられたことを、人は忘れない。ふと自らの身分証を手に取った。漢字の上にハングルが刻まれた、我々だけの特別な百八十万枚だ。

 付近の整備屋でタイヤを購入し、付け替えて延吉駅前に戻ると、すでに祖父母が立って待っていた。車の窓を開け、手を振りながら声をかけるとすぐさま気づき、早足で近づいてくる。ちょっと遅いんじゃないのと口を荒げる祖母を、祖父は笑いながら宥める。いいから早く乗りなと後部座席を指し、二人には乗ってもらった。車で数分、祖父に案内してもらいながら実家のあるマンションにまで移動した。

 車を停めたのち、私たちは近所の串焼き屋へ向かう。子供のころから通っていた店というだけあってか、それとも祖父母をみて理解したのか、私のことを思い出すような表情をしたのちに、凍川啤酒ビールを一本サービスしてくれた。鉄串に今日市場で買って来たばかりであろう成羊の肉を刺し、焼き台の上に並べた。火をつけてゆっくりと回転させながら焼き上がりを待つ。かかっているスパイスはクミンや唐辛子が混ざったもので、これこそ懐かしの味の源だと見た目で伝えてくる。焼きあがれば、少しの羊ならではの獣くささと脂の乗った肉の匂いが混ざり、かつての思い出を呼び起こす香りが顔を包んだ。祖母が実家から持ち出してきたキムチは懐かしの味で、もはや匂いが取れなくなっていたキムチ専用樽が思い起こされる。独特の辛味と酸味は、記憶と今を結びつける。

 祖父母には長い時間をかけて上海での生活はどうだったか、彼女はできたかなどを根掘り葉掘り尋ねられた。今のところ浮ついた話がないということを伝えると、祖母は落胆し、祖父は笑った。

 いつの日か祖父の親戚を名乗った男から聞いた話を思い出す。祖父は漢族の家系であり、祖母は朝鮮族の家系だ。二人が出会った当時、朝鮮族の常識的な価値観では同じ民族同士で結婚すべきということが支配的だった。二人の結婚は当然一大騒動であり、娯楽の乏しい田舎ではよく話題に上がる話となっていたらしい。祖父は三ヶ月間毎日のように祖母の家へ通いつめ、痺れを切らした祖母がその両親を怒鳴りつけたらしい。その内容は、結婚を認めていただけなければ朝鮮族をやめます、とのこと。これを聞いた祖母の父は激昂し、祖母の母は失神したが、最後には祖母の両親が折れ、晴れて結婚と相成った。その後も一時は勘当騒ぎにも発展したが、私の母が生まれたことを理由に和解するなど、全く話題が絶えない。今では祖母方の家とも関係が良好だそうだ。

 その母は大学にまで進学し、そこで出会った男性と結婚した。母が私を産んですぐに両親は事故で他界したために、私を父方と母方のどちらが引き取るかでまた揉め、その結果として母方に引き取られた私は盧姓を受け継いでいるにもかかわらず、父方の家族を一人も知らないでいる。どういうわけだか、久しぶりに帰郷をした今ごろになって、父方に挨拶をしてみたいと思うようになった私は、その意を祖父母に伝えた。いつも温厚だった祖父はそれを聞くとみるみるうちに顔を赤くし、大声で怒鳴り始めた。店員が宥めに入るが、それを聞かない祖父は店の外に出て行ってしまった。しばらくの沈黙が店内をみたし、重たい空気が人々を包み込んだ。静寂を破ったのは、顔も知らない女性が私に話しかけた声だった。君が例の息子さんかい、いい男じゃないの、そのように声をかけられたのは、祖父母がこの辺りでも有名な夫婦であり、気さくな人気者だったからかもしれない。数十分ほどして祖父が戻った。怒りがおさまっているようには見えたが、それ以上に重要な話を聞くことになった。

 お前の父は死んでいない。

 私はそれを聞いて、思うことはさほどなかった。父と母はそれぞれ死んだと言われていたが、両親の記憶など微塵もなく、祖父母は私にとって本当の両親である。そのため、そこにネガティブな感情の代わりに強い興味を抱いた。それに続いて、本当の父が今どこにいるかはわからないことと、父方の家族は日本にいることを聞いた。実際に案内できるかを確認するためにも時間を欲しい、と初めて祖父に頼まれた。私はこれを了承し、しばらくはこの延吉で過ごすことになった。

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