『少女を埋める』 桜庭一樹

『少女を埋める』 桜庭一樹


 七年ぶりに故郷へ帰り、交わりを断っていた母親とともに父親の最後を看取り弔うまでのことを語った表題作と、新聞の文芸時評に取り上げられた際に起きた騒動に関する「キメラ」「夏の終わり」、三本の私小説を収録した一冊。


 共同体の異物である「少女」が家族や生来のコミュニティとの関係を断って東京などの都会を指向せざるを得ないのは何故か、そしてそこに残る選択をした「少女」とは誰のことか、両者の関係は断たれたままでいいのか……といった問題を、作者の故郷である山陰地方の街から母と協力して父を看取る日々を通して描かれている。

 地方に今なお残る家父長制の根深さやそこに適応できなかった者の関係とこれからを見つめるコロナ禍での作家の生活が書かれている表題作だけでも十分読み応えがあるけれど、大手新聞の文芸時評をきっかけにした騒動の日々のことを記した二編と合わせて読むとどうしても違った印象になる。

 正直に言って、twitter経由で知った文芸時評に関するトラブルへの好奇心というワイドショーウォッチャー的な好奇心で興味を持ったのが、この本を読むきっかけだったりする。なので、以下はその問題も含めた感想を記しておきたい。

 読んでみた結果、本自体が作者の視線に準拠していることを差し引いても、評者の誤読だとしか思えなかった。「誤読をする自由」とかの話は関係なくシンプルに誤読ではないかと。相当うがって読まなければ、母親が父親を介護しながら暴力を振るっていたと受け取るのは難しいような。

 キツイのが、相互監視の中ですべてが回る田舎の共同体で生きる女性の生きづらさを書いている私小説の時評で、「この作品の登場人物には存命中のモデルがいる」点を作者から指摘されても、評者が受け取れなかったように見える点である。評者にも文芸に携わる方としての矜持や信念に基づくものがあってのことなのだろうが、田舎で生きるごくありふれた老年の女性が全国紙で「夫に暴力を振るっていた」と書かれてしまうのは大変怖ろしいことであるという点に想像が至ってなさそうだったのは読んでいてしんどさを覚えた。表題作は延々そういうことが語られていたのにこの評が出てくるのは、作者としてはかなりショックだろう。注意深く読まないと誤解を与えるような文章でもなかったから余計に。

 この感想文を今書いている者も田舎生まれで田舎育ちなので、作者が危惧した不安もある程度は想像がついてしまうこともあり、評者に対するイメージはあまりよくない。表示されたテキストをどう読むかとか言ってる場合じゃないよ、書かれた方には下手すれば生き死にに関わってくる問題だよ……な気持に傾いてしまう。

 共同体にとっての異物は「埋められる」というかつての歴史を語った上で、東京と地方、共同体から逃げる選択をした者と逃げない選択をしたものが断絶したままでいいのかと問いかけている(ように私は感じた)小説に関して、東京で文芸の第一線に関わっている先生の評がこれなのはかなり残念だった。

 まあ、作者の視点に則ったものを読んだだけなので、評者の意見も読む機会があれば、また意見も変わってくるかもしれませんが……。


 それにしても、コロナ禍で家族を家族の看取りから葬送の準備と並行して執筆作業、その上でこの騒動は本当に大変だったろうな。本当に。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る