『歌人紫宮透の短くはるかな生涯』 高原英理

『歌人紫宮透の短くはるかな生涯』 高原英理


 1980年代に活動し、1990年に不慮の事故で亡くなった歌人・紫宮亨。その歌風や、遺族から伏せられた謎の死因から、愛好家も少なからず存在するけれどそれでも「知る人ぞ知る」といったポジションにいる人物でもある。

 著者は文芸誌の対談を通じて紫宮透に興味を抱き、紫宮について調べ始める。そんなおり、大島布由希という文芸批評家が著した『紫宮透の三十一首』という本があることを知り、手に入れる。2016年に出たこの本には紫宮透が遺した歌や文章を紹介しながら、関係者の言葉や発言をおりまぜつつ、その短い生涯についてが語られていた。著者はその本を一種の小説として読むのだった……という体裁の小説。

 そういうわけで紫宮透という歌人は架空の人物であるし、名前があるの登場人物のほとんども(膨大な注釈にのみ登場する評論家や研究科も含めて)架空の人物である。1980年代の文芸界・サブカルチャーに属する固有名詞は実在するものや歴史の流れをとりいれ、架空の人物が実在していたかのように語った小説といえるのかもしれない。

 というよりも、紫宮透という架空の人物を通して1980年代のサブカルチャーについて語ったものといった方が正確かも。豊かで軽薄でアーバンでなにかステキなものが手に入ると思わせられるセゾン文化の華やかなりしころのことが語られている反面、その空気に合わない者や潮流にのれないものにはとことん居場所がなく、冷たい目で見られながらもオタク文化やゴシック文化が生まれつつあった時代のことが、架空の人物たちの文章や言葉を通して再現されている。先行き不透明すぎて夢も希望もない2022年の人間からすると、こっぱずかしかったり「いい気なもんだな」と鼻白んだりしてしまうものの、豊かさが文化を生むという事実を前にしてついついしんみりしてしまうのだった。

 シティポップの世界的流行やファッションのリバイバルなどで1980年代の華やかな都市文化の再評価が進んでいるような気もするけれど、それでもまだまだ気恥ずかしさの漂う時代のように思う。正統な文化史で語られることのない、昨今では経済を動かしもするオモチャめいた文化が花開いた時代といいますか。その時代に光りをあてた小説である、といえるのかもしれない。



 本作は構成が面白い。

 大まかに、①著者によるプロローグ→②大島布由希による『紫宮透の三十一首』本文とその注釈→③著者によるエピローグという、三つのパートに分けられる形になっているんだけど、一番メインであろう②のパートがとにかく圧巻なのである。

 短歌や短文、関係者の言葉を用いて纏められた『紫宮透の三十一首』本文に付けられた、著者による詳細な注釈で出来上がっているのである。架空の歌人のことを伝える架空の書籍につけられた膨大な量の注釈(架空の文芸評論家や歌人による紫宮評なんかもある)! 正直言うと若干読みにくかったけれど、手間暇のかけ方がとにかく贅沢だ。本文と注釈を行ったり来たりしながら読んでいくと、紫宮透の生涯や人となりが浮かび上がってきて、そのうち彼やその友人や恋人、一時期関わりあっていたバンドや短歌サークルの仲間たち、広告のために短歌を提供していた百貨店なんかが実在していたかのような気分になってくる。何が嘘で何が本当かあやふやになり、時々「そうだ、この人は実在しないのだった」と我に返ったり、でもまた本文と注釈を交互に読み進めるうちにあやふやになったり……という体験は楽しいものだった。小説という形式だからこそできる妙技という気がする。


 もともと語り方や構成に凝っている小説が好きなこともあり、架空の話を語るということはこういうことなのだなぁ……と頷いたりしながらこの感想文を書き終えたのだった。

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