『デイジー・ジョーンズ・アンド・ザ・シックスがマジで最高だった頃』  テイラー・ジェンキンス・リード

『デイジー・ジョーンズ・アンド・ザ・シックスがマジで最高だった頃』

 テイラー・ジェンキンス・リード  朝倉卓弥 訳


 LAで暮らす裕福な文化人の両親の下に生まれ、小さい頃から芸術作品やセレブリティがその辺にごろごろいるような環境で育ち、生来の美貌に加えて頭の良さとセンスの良さや、さらに音楽的なセンスと唯一無二の歌声を持っていたデイジー・ジョーンズ。十四歳になるころにはもういっぱしのパーティーガールだった彼女は、夜な夜なスターたちが繰り広げる顔を出してはお酒やクスリで飛び回っていた。しかし本当の夢は自分で曲を作って歌うシンガーになることで、ノートに曲を書き溜めている。

 そのころ若者に注目されつつあったバンド、ザ・シックスが西海岸を拠点に移して新しいアルバムの製作にとりかかっていた。バンドの中心メンバーのビリーは既婚者で、過去に大失敗をしたことから最愛の妻に酒とクスリには手を出さないように厳命されている。

 この両者を担当するプロデューサーが同一人物だったことが縁で、バンドにデイジー・ジョーンズが参加する。デイジーとビリーの化学反応でアルバムは名盤になり、生出演したサタデーナイトライブは伝説となり、デイジー・ジョーンズは少女たちに支持される。一方でビリーとデイジーの仲は最悪だとマスコミは騒ぎ立て、ビリーのカリスマ性によってたっていたバンドの在り方に不満を抱くメンバーも現れる等、ほころびが目立つようになる。デイジー・ジョーンズの薬物依存症が深刻化し、バンドのメンバー間の不仲や不満も抑えきれなくなり、1979年のツアーを最後に解散してしまった。

 このような歴史を持つ伝説のバンド・デイジー・ジョーンズ・アンド・ザ・シックスの、「あの時本当に何が起きていたのか」をデイジー・ジョーンズ本人やバンドのメンバー、スタッフ、友人といった人物を尋ねてまわり、集めた言葉で架空の著者がドキュメンタリー調にまとめた書籍であるという体で書かれた長編小説。全編フィクションでデイジー・ジョーンズもザ・シックスも実在しないわけだけど、1970年代の洋楽に詳しい方が読むとその辺の時代の背景も良く分かって深く楽しめるかもしれない。私は洋楽について全くの無知だけど、それでも大いに楽しんだ。


 伝説的バンドの解散劇、若い男女の恋愛とその終わり、苦難を乗り越えた夫婦の物語、ある男を挟んだ女と女の関係、芸術家同士のぶつかりあい、圧倒的な才能を持つ者への嫉妬、1970年代後半の音楽業界……等、様々なストーリーのラインがあるが、当人たちの言葉を採用したドキュメンタリー形式が読みやすくしているように感じる。

 私はどうしても少女や女子といった概念に惹かれやすいので、気を抜くとデイジー・ジョーンズの物語として読んでしまっていた。両親から愛されず、居場所を求めてフラフラし、好きな音楽で受け入れてもらおうと思っていた女の子。パーティーガールとして持て囃されたり女の子達の憧れになっても、実態は受け入れてほしかった人に拒絶されて激しく傷つくしかなかった不器用な少女だった。

 誰かに愛してもらいたがっていた女の子が誰かを愛せるまでになる、デイジー・ジョーンズの生涯はデタラメなようでいて物語としてはきちんとしているが読んでいる方としては安心できてよかった。


 ドキュメンタリー型式という呼び方をしたけれど、「著者」が前書きと本文中の一カ所を除いて姿を表さない構成が面白い。

「著者」が何者なのかが後半で判明すると、ああそういうこと! と諸々が腑に落ちる。その瞬間がミステリー小説の気持よさに似ているので伏せておく。黒子に徹していた「著者」がルールを破って本文中に顔を出すシーンには、過去と未来もしくはそれぞれ異なる世界にいた者同士が顔を合わせた瞬間に立ち会ったような感動がある。自分にとってはここが本作の白眉だった。

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