『骨を引き上げろ』 ジェスミン・ウォード

『骨を引き上げろ』

 ジェスミン・ウォード  石川由美子 訳



 アメリカ南部の黒人貧困家庭がそれぞれの運命に立ち向かっている所に、カテゴリー5の巨大ハリケーン・カトリーナが襲って全てを破壊しつくすという長編小説。ジェスミン・ウォードの邦訳二冊目の本になる。

 以前読んだ同作者の『歌え、葬られぬ者たちよ、歌え』に非常に圧倒されたので読んでみた。



 ミシシッピ州、低所得者層の黒人たちが住む町ボア・ソバージュに、十五歳の少女エシュは兄二人と弟一人、母を失って以降酒浸り気味の父と暮らしている。エシュは読書家で成績優秀だが、兄たちの遊び仲間との間に出来た子供を身ごもっている。エシュは彼のことを愛しているが、彼には他に恋人がいる。

 上の方の兄・ランドールはバスケットボールの優秀な選手で、大学へ進学するためにも強化合宿に参加したいと考えている。ただし一家には費用がなく、一つしかない特待生枠を取り合う同クラスの選手もいる。

 下の方の兄・スキータは、チャイナと名付けたピットブルに己の全てを注ぎ込んですごしている。地域住民たちが行う闘犬で相手の戦意を奪うまで闘いぬくチャイナは、スキータだけではなく兄妹たちのよりどころとなっている所がある。特にエシュは、愛読するギリシャ神話に登場するメディアとチャイナを重ねている。

 物語は、このチャイナが子供を産むところから始まる。ガレージで犬が子供を産もうとしているなか、外はハリケーンの予兆で風が吹いている。父親はこのハリケーンの大きさは尋常じゃないと騒いで家の補強に邁進しつつ子供たちにあれこれと用事を命じる。生まれてから一度もハリケーンの被害に遭ったことは無い子供たちはどうせカトリーナもルイジアナあたりにそれていくと軽く考えて、自分たちの問題に対峙させてくれない父親にうんざりしている。それでも命令に従う。そんな出だしからしてもう、とんでもないことが起きる予兆しかない。

 エシュの中の胎児は勝手に成長し、子犬の中も生き残るものとそうでないものが現れ、父親は怪我で指を失い、ランドールの将来を左右するバスケの試合が行われ、エシュは胎児の父親から拒絶され、兄妹のプライドをかけた闘犬で産後間もないチャイナが闘う。そんなドラマの果てに少しずつ近づいてきたカトリーナがついに上陸する。

 カトリーナの惨禍はすさまじく、序盤からうっすらと想像していたものより激しい破壊や喪失を地域全体、ボア・ソバージュの町どころか白人層が暮らす一帯までの全てを薙ぎ払ってゆくのだった。

 もちろんエシュの一家も無事で済むはずがなく、家や家財といったものの他にもかけがえのないものを失う。

 その中でも失われなかったものは何か、惨禍によってもたらされたものは何か。それを明示してストーリーは幕を降ろす。

 ──身もふたもない言い方をすると、「雨降って地かたまる」的な終わり方をするんだけども、それまでがとにかく圧倒的なんである。


 アメリカ南部の黒人低所得者層が暮らす町の中でも湿地に近い一帯に暮らす機能不全気味な一家、その中で唯一の女性であるエシュの地位は(兄妹間の関係は良好であるが)一段低いように見える。父親や兄たちにもちかけられた用事に従い、弟の世話もする。兄の仲間たちに体を許したのもそのあたりの事情が大いに関わっているようにみえる。かといって自分というものを持たないわけではなく、ギリシア神話のメディアとピットブルのチャイナを重ねて母性というものを学び取ろうとするような賢さと内面の豊かさがある。お腹の子の父親を愛してはいても、不実さを許せないと感じるプライドもある。

 エシュの一家全体が世の中から虐げられている方に属するが、であるからこそ舐められてはいけないという気概で弟を除いた男性陣は生きているようにみえる。エシュが一家の中で低い立場に置かれているのは、舐められたら終わってしまうような雄々しく荒々しい生き方や社会に女の子は参加しなくてもよい、という無言の配慮の結果のようにもみえる。

 それに黙々と従いながら、心の中で、チャイナに崇高の念をいだいていくようになる過程にどうしても揺さぶられるものがある。

 そもそも、エシュの目を通してみたチャイナが闘う女として大変格好良いのである。闘犬のシーンなんて白眉である。最近読んだ本の中で一番格好いい女はチャイナだったといってよい。犬だけど。猛犬だけど。


 このチャイナと愛犬に全精力を惜しみなくそそぐスキータとの強い絆や、ランドールの事情、ボア・ソバージュの歴史や文化風俗、あとあまり触れられなかったけど弟のジュニアのちょこまかした鬱陶しさ(『歌え、葬られぬ者たちよ、歌え』でも感じたけど、この人は小さな子供の無邪気さから放たれる騒がしさや鬱陶しさ、それを一人で世話しなければならない者の諦念を書くのが抜群にうまい)、酒浸りの父親の内面、もちろんカトリーナの惨禍など読むべきところはたくさんあるが、一番の芯は十五歳の少女が自分のプライドを見つけるというシンプルな成長物語なんだろうな……と思うなどした。



 作者のジェスミン・ウォードはカトリーナの被災者でもあり、時間がたつにつれてカトリーナが忘れ去られそうになっていることに憤ったことが、この小説の執筆動機になったらしい。実際、アメリカから遠く離れた日本にいると(その後に大きな災害が何度もあったこともあり)カトリーナの記憶も大変おぼろげになっている。当時のニュースで「何やら酷いことが起こっているようだなぁ」と感じていたことなどを覚えているくらいである。それがここまで為すすべもないものだったとは。それが知れたのもシンプルによかった。

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