『狂女たちの舞踏会』  ヴィクトリア・マス

『狂女たちの舞踏会』

 ヴィクトリア・マス  永田千奈 訳


 パリに実在したサルペトリエール病院を舞台に繰り広げられる小説である。

 この病院の入院患者は神経症や精神疾患に苦しむ女性たち。だが、実態は体裁を重んじる上流社会に適合できず家族から疎まれた者たちや、行き場を失くした労働者階級の女性や売春婦たちも押し込められていた。

 主治医たちは医学の発展を名目に患者たちを壇上にあげながら見せ物まがいの講義を行うし、四旬節の一日だけ病院内にパリの名士たちを集めて患者たちと交流する舞踏会を開催する等、今日的な視線でみると正気を疑うような事が行われていたらしい。そんな行為が後の医学の発展に寄与し、患者たちも四旬節の舞踏会を心待ちにしていたらしいのだと聞くとどうしても複雑な心境になる。


 さてこの小説、群像劇として書かれているのだが、そのうち二人の物語に注目したい。

 物語は1885年、四旬節も近づく三月から始まる。


 サルペトリエール病院の有能な看護師、ジュヌヴィエーヴは自分の仕事が医学の発展に貢献するものであると信じることで自分を保ちながら働いていた。患者たちに慈愛をもって接するのはとっくにやめて、あくまでも医療従事者として一線を引きながら患者と接するようになって長い。

 そこへブルジョアの娘、ウジェニーが父親と兄に伴われてつれて来られる。日ごろから知識欲旺盛で反抗的な態度を見せていた娘が、霊が見えることを家族に打ち明け神霊学に興味を持ったが故の処置だった。病院に入れられてはもう二度と外の世界に戻れない。怒りと絶望に駆られるウジェニーを看護師として淡々と指導するジュヌヴィエーヴだったが、ウジェニーに死んだ妹の名前を告げられて激しく動揺する。

 死者の姿を見て声を聞くウジェニーと出会ったことから、科学を尊ぶ気質の持ち主で理性的であろうと務めるジュヌヴィエーヴの心の中は激しく葛藤する。最愛の妹の存在を言い当てられ、言葉を伝えられるうち、ウジェニーの言葉は本当に霊が見えていて病を患っていないことを確信する。しかし、当の医者たちは精神を病んでいる女たちと日ごろ一緒にいる一看護師の言葉などまともに取り合わない。絶望したジュヌヴィエーヴは、舞踏会当日にある行動に出る──。

 理性的で怪力乱神を語らない人間が、この世ならざるものを視てしまう人間と関わり合いをもってしまい、自分の人生観をかえてしまうほどの体験をする物語はたくさん存在しているようにおもう。視えてしまう人間が本当になにか不可思議なものを視てしまうなら物語はホラーか幻想小説になるだろうし、本当はなにも視ていないのになんらかの意図をもって「視える」といいはる人間なら物語はサスペンスやミステリーになるだろう。本当に視えているのか視えていないのか読者に分からないように書かれていれば、それは酷く後味の悪いイヤな物語になる。

 ジュヌヴィエーヴが単独で主人公を務めている小説だったら、どこかのジャンルに属する小説の佳品として語られているだけで終わったかもしれない。


 しかし本作は群像劇であり、家族から強制入院の処置をとられたウジェニーの物語でもある。ブルジョワの出身で家族から期待されている「女らしさ」の枠になじめず、反抗的で知識欲旺盛なウジェニーは、家族で唯一大好きだった祖母に霊が見えるという秘密を打ち明けたことで病院に入院させられることになる。頭は正常に働いているのに精神病院に入れられて絶望し、なんとしてでも外に出ることを決意するウジェニーは、よそよそしく事務的な看護師のジュヌヴィエーヴと同じ部屋にいた際に彼女の妹の霊をみてしまう。その霊、ブランディーヌは自分の声を届けてくれれば姉が助けてくれるとウジェニーに語りかける──。

 というわけ、ウジェニー視点になるとヒロインが序盤に転落し、あらゆる手をつくして元の地位に戻ろうとするまでを語る少女小説風になる。霊が見えて、時に力を貸してくれるあたりも少女小説っぽい。

 ジャンル小説風のジュヌヴィエーヴパートと、少女小説風のウジェニーパートの二つが、そのほかの登場人物のエピソードを交えつつメインとして交互に語られる。そうして出来上がったのがこの小説である。


 ネタバレになるのでラストの展開については伏せるが、現時点ではこのラストはちょっと受け入れづらいものを感じた。

 そのラストの遠因が、ウジェニーの霊が視えるという設定である。そもそも、精神病院が舞台の小説で本当に霊が視える設定の登場人物を出すのはある種の反則じゃないか? という気持も否めなかったので、読み終わってしばらくは考え込んでしまった。

 逆に言えば、ウジェニーが霊が視えると言い張るだけのキャラクター、もしくは本当に視えていようがいまいが悪意を持って人を惑わせるタイプのキャラクターだったら、面白いホラーなりサイコサスペンスとしてスッキリ読み終わるだけの関係になっていたかもしれない。

 精神病棟の外の世界は本当に正常なのか、狂っているのは入院患者たちの方なのか? 読み終わったあとにそう感じるのが作者の狙いだったとするなら、この形で正解なんだろう、多分……と、読み終わってしばらく経った今ではそう考える。



 ところで本作、ジュヌヴィエーヴとウジェニーからしてそうなのだが、立場や階級が違う者たちのシスターフッド小説として大変秀逸である。シスターフッド好きの方にはお勧めしたい(そしてこのラストはアリかナシかを尋ねてみたい)。

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