『アポカリプス・ベイビー』 ヴィルジニー・デパント


『アポカリプス・ベイビー』

ヴィルジニー・デパント、斉藤可津子 訳



 アポカリプス(Apocalypse)は、キリスト教においての黙示。または新約聖書のヨハネ黙示録。転じて「世界の終末」「大災害」をも意味する。(Wikipediaより)。

 碌なことにならなかった未来を舞台にしている物語からディストピアよりアポカリプスものの方が好きだというのに、肝心の「アポカリプス」の意味をちゃんと理解していなかった。



 本作の紙書籍版に巻かれた帯では、「シスター・バディ物語」というコピーが踊っている。

 シスターフッドなら知ってるがシスター・バディは初耳だ。あんまり妙な新語は作らないで欲しいなあ……と版元に言いたいが、まあ言いたいことはなんとなく伝わる。

 以下、本作の軽い内容紹介など。


 富裕層の娘の素行を見張るだけというチョロい仕事でターゲットを見失うというミスをやらかした探偵社勤務の中年女のルーシーと、それまでこなしてきた数々の仕事の成果や数々の荒っぽい伝説で界隈では名の知れ渡るアウトローのハイエナ。

 平凡そのものな中年女と、持ち込まれた仕事の成功率と仕事と性格の荒っぽさで裏社会で名を轟かせる美貌の中年レズビアン。そんな二人の女が姿をくらませた十五歳の少女・ヴァレンティーヌを探すためにパリの街やネオナチの若者がいる郊外、アルジェリア移民たちが暮らす団地などへ向かい調査する。そしてバルセロナまで行動を共にする。

 ヴァレンティーヌはどうして家出を企て、バルセロナへ向かったのか。ルーシーとハイエナの二人はヴァレンティーヌを見つけることができるのか……? 


 本作のストーリーの主軸はこうである。

 ならきっと即席の女バディが衝突しながら失踪した少女の行方を追い、少女は少女で無事に家族の元に帰る。その家族に問題があって帰らない選択をしたとしても、自分がいるべき居場所を見つけてそこへ所属するのだろう、と予想する人が多いのではないだろうか。少なくとも私はそんな予想をしつつ読んだ。


 ──結果、そんな話には全くならなかった。ならなさすぎて笑った。


 筋書きとしては、ルーシーとハイエナの二人はバルセロナで無事にヴァレンティーヌを保護するし、家族の元に連れ帰ることに成功はする。

 でもそれは大団円からは程遠いし、ルーシーとハイエナの関係は最後まで一時的なバディの関係で終わる。

 終盤ではあらすじからは想像もつかない大混乱が発生して、驚いている間に幕が降りる。そこに望ましいラストシーンはない。ただ地獄が展開されているだけである。その地獄っぷりに笑うしかない。なるほどこれがアポカリプスか、ああとんだアポカリプスっぷりだなあ……と笑えるやらゾッとするやらな気持ちで読み終えた。

 ついでにフランス人の口の悪さにも笑った。

 やたらめったら悪口や毒舌がキレッキレすぎて、慄きながら「上手いことおっしゃるなあ」と感心してしまった(フランス人が軒並みキレの良い悪口を言い放てるのか、それともこの著者の資質なのかはちょっと分からない)。



 というわけでこの小説は、監視対象の女子高生を見失うというミスをしでかした探偵のルーシーが、依頼者で行方不明になったヴァレンティーヌの祖母にボロクソに罵られる所から始まる。

 凡庸なルーシーが姿をくらませた少女を探し出すなんてことができるはずがなく、知人のツテを頼ってこの種の面倒ごとには強いことで業界や裏社会では有名なハイエナにヴァレンティーヌ探しの協力を仰ぐ(当然有料で)。

 そうして行方不明の少女探しの物語が進み、平凡なルーシーと型破りなハイエナが互いの価値観や行動に面食らったりイラついたりしているストーリーの合間に,ヴァレンティーヌの家族や知り合いといった人々を視点にしたパートが挟まれるという構成になっている。


 これがすごい。エグすぎて笑えるほどすごい。


 若い頃に一度だけ評価はされたけど現在は鳴かず飛ばずな小説家の父親。それなりの名家出身な上に作家であるという肩書きだけは立派な男と再婚したことで自分は幸せだし価値がある存在だと信じたい継母。パリ近郊しか知らないのに生涯自分はよそ者でしかなく同胞やフランス人にも苛立ちと怒りを抱えているヴァレンティーヌの従兄弟でアルジェリア系の少年、古い名前を捨てパリの上流社会に受け入れられる仕草と教養を身につけて移民社会から脱出し、娘の親権を手放して父よりももっと金持ちで上流の男と再婚して優雅に暮らしている産みの母。訳がありそうな少女を保護したバルセロナの修道女……等、少年と修道女を除いて多感で潔癖な年頃の女子が嫌いそうな大人がゾロゾロ出てくるんだが、その描きっぷりがいちいち容赦ない。

 それぞれの視点で語られる各々の半生、その結果と育った価値観の偏りぶ、偏ってることを自覚しつつ、十五歳の子供に向き合わなかったことに後ろめたさを感じているが故なのだろう居直りと言い訳を余すことなく書ききってある。各々の俗物っぷりを社会背景などを織り込みつつ描写する、その筆力の高さがとんでもない。

 口の悪さもここで存分に発揮されている。悪口の切れ味の良さに惚れ惚れすると同時に、別段珍しくも無いであろう各階層に所属する俗で平凡な人々の内面を暴く容赦の無さに震える。怖い。俗な大人の一人としては他人事ではない。



 さて、ルーシーとハイエナの調査と各々のパートを読むうち、ヴァレンティーヌの生活の空虚さや周囲の人々から碌に尊重されなかったことが読む側には明らかになる。大人たちからきちんと扱われなかった上に、まともな友達も恋人もいなかった女の子のイメージが植え付けられてゆく。

 読者としては彼女についつい同情を催す。なるほど、反抗期の若者にありがちな行動をなぞってるけれど、この子もこの子も哀れだな……等とボンヤリ思っているうちに突入したヴァレンティーヌ自身の視点で事件の以前と以後が語られるパートが始まる。格差や差別がなくならないどころか溝が深まるばかりな世の中で、物質的には不自由したことがなく頭もそこまで悪くない少女が、誰と出会いどのように生きていたかが明らかになる。

 通俗的な「家出した少女」のイメージからかけ離れ、そんなイメージを軽蔑しそうなヴァレンティーヌ自身の姿は、読者にしか知らされない。ただパリからきた探偵二人に保護されて家へ帰る。

 その結果、どんな事態が引き起こされたのか。

 それについては直接確かめていただきたい。


 それにしても元々は2010年に刊行された本である点にも驚かされた。2022年のことでもおかしくないのでは?


 なお、シスターフッド要素がないわけではない。ヴァレンティーヌを救おうとした人物は誰なのか、その行為がどういう風に語られるかにも注目してもらいたい。悪口のキレがいい書き手らしい名シーンだった。

 なお、見識が狭くて思考に潔癖さを残している少女を誑かし利用する悪い女も出てくるので、殺伐百合好きにもおすすめしたい。女友達間の労わりあいや、女同士の恋愛もあるよと付け足しておきます。あとハイエナ自身のストーリーもよい。



 著者名に覚えがあると思ったら、昔読んだ『バカなやつらは皆殺し』という小説の作者と同じ方だった。

 パリの街で暮らすセックスワーカー(だった筈)の女二人がたまたま銃を手に入れてやりたい放題しまくる……という、絶対面白いに違いない内容だった筈だけど、訳文が合わなくてボンヤリとしか覚えてないのが惜しまれる。こんな面白い小説を書く人だったとは。

 何年か前に古本屋で同じ本を買っていた自分を褒めてやりたい(しばらく積んだままになるとは思うけど)。




 ・あらすじ……

 適性があるとは言えず熱意もないのに探偵社で働いている中年女性・ルーシーは、素行調査の対象だった十五才の少女・ヴァランシーヌを見失ってしまう。依頼者でもあるヴァランシーヌの祖母に罵られたルーシーは、行方不明になった孫娘の居場所を突き止めて保護した上で家族の元へ送り届けるというミッションが課せられる。

 途方に暮れたルーシーが泣きついたのは、裏社会ではハイエナという通称で知られる有能な女探偵だった。独特の嗅覚で問題の糸口を探し出してはさまざまな方法で処理してきたハイエナは、容姿端麗で口が悪く暴力も躊躇なくふるい、魅力的な女をみればすぐに声をかけるレズビアンだった。

 パリの内外を歩き回り、ハイエナはさっさとヴァランティーヌが自分を産んだ母親を頼ってバルセロナへ向かったことを突き止めるのだが……。

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