『蛇の言葉を話した男』  アンドリュス・キヴィリヤーク

『蛇の言葉を話した男』

 アンドリュス・キヴィリヤーク

 関口涼子 訳


 ※コンパクトにまとめられなかったあらすじがしばらく続くので、興味なければ読み飛ばしてください。


 エストニアの人々はかつては森に暮らしていた。狼を飼ってその乳を飲み、森の動物たちが怖れる蛇の言葉を自在に使って動物たちを狩り、肉を食べ毛皮を纏って暮らしていた。しかし、ある時から外国から鉄の鎧を纏った男たちがやってきて一帯を征服し、森に住む人々は鉄の男たちがもたらす文化や農耕に魅せられて村を作り暮らすようになる。そこで麦を育てる労働にあけくれ、美味しくもないパンを食べ、城に住む騎士や美しい歌声を響かせる修道士に憧れるようになる。

 蛇の言葉を話せる最後の人間になったレーメットも、幼い頃は家族と村に暮らしていた。それは村の暮らしに憧れた父親の独断の結果でしかなく、彼の母親はどうしても村の生活になじめなかった。とある事件によって夫が不慮の死を遂げると、母親はレーメットとその姉という子供二人を連れて村を離れ、以来森で暮らしている。そのために村での記憶はない。母親が森で捕まえた獣の肉を焼いたものを食べ、レーメットの母の父(つまり祖父)はかつて鉄の男たち相手に勇敢に戦い抜いた戦士であったことなどを昔の話を聞いて育つ。

 祖父の逸話や蛇の言葉を教えてくれた叔父、レーメットの親友でもある王族の蛇のインツ、幼馴染のヒーエとパルテル、穏やかで知的な猿人の二人、人間の女の子が好きですきあらばその後を追いかけまわす呑気なクマといった住民たちで賑やかだったが、その中には邪悪な連中もいた。村人などの外国の文化を忌み嫌い、ありもしなかった森の精霊の信仰を伝統宗教として復活させた精霊信仰の司祭と、森の精霊を妄信して我が子を虐待するヒーエの父親である。キリストなる存在を信じる村人の態度に呆れるレーメットだが、森の精霊のために暴力や殺人も是とする彼らにも度々うんざりさせられる。精霊も神も同じようなものだと見做してとりあわないレーメットだが、大昔に存在したという伝説のサラマンドルはいつか見てみたいという希望を抱いていた。サラマンドルを見つけるために少年期のレーメットは様々な挑戦を試みたが、当然のように見つからない。

 賑やかに騒々しく過行くかのように思われていた森の生活だが、時代の変遷には逆らえない。パルテル一家が村へ引っ越すと同時に森の住民たちの殆どは生活拠点を村へ移しだす。人間や動物たちでにぎわっていた森は次第に野生に返り、村人となった森の住民たちも森でのことをすっかり忘れてしまう。

 村に出向いて旧友に声をかけるものの別人のように変貌したパルテルだが失望するレーメットだが、蛇に噛まれた村娘をインツの協力で助けた結果、村の司祭の娘に魔法を使うミステリアスな人狼だと誤解され好意を持たれてしまう。その勘違いに辟易とするレーメットだが、司祭の娘の容貌が美しかったためにあっさり夫婦になることを了承してしまう。

 しかし、レーメットの母親は今でも村のことが大嫌いで、息子は今でも幼馴染のヒーエと結婚するのものだと思い込んでいる。ヒーエのことを恋愛対象と見做したことの無い上に司祭の娘と結婚の許諾を得るために森の家に帰る。そこで母親から聞かされたのは、ヒーエの父親が森の復活を企てて娘のヒーエを生贄に捧げようとしていることだった。小さいころから父親から虐待されていたヒーエの様子を目の当たりにしていたレーメットは憤慨して彼女を救いにでかける。その結果、ヒーエの父親は惨死し、虐待から解き放たれ自由になったヒーエは生まれ変わったように活き活きとした様子をみせる。その変貌を目の当たりにしたレーメットはあっさり彼女に恋におち、さっさと夫婦の関係になる。

 ともあれ、森には彼女を生贄にせんと企む精霊信仰の司祭がまだ生き残っている。一旦そいつから逃れる為に二人は船で海に漕ぎ出す。二人きりの楽しい航海の果てにたどりついた小島で、レーメットは人骨でなにやら拵えている矍鑠とした老人と出合うのだが、実は彼は鉄の男をその歯で食いちぎっていた歴戦の戦士であるレーメットの祖父だった。死んだと思われていた彼は孤島で一人暮らしながら、鉄の男たちへの復讐の機会を窺っていた。そんな祖父と孫夫妻はしばらく楽しくすごしたのだが……。



 ※いい加減長くなりすぎたので「だが……」でボヤかすことにより強制終了させました。

 ※記憶をもとにまとめたあらすじなので、細部には記憶違いがある筈です。正確なあらすじを書くべきなのですが、今手元に本がないのですよ……。精霊信仰の司祭とヒーエのDV父、村に住むキリスト教司祭の娘にはちゃんと名前があるのですが忘れてしまいました。レーメットとヒーエが航海に出るきっかけも何だったかが思い出せないという有様。いい加減でもうしわけありません。



 初めて読むエストニアの小説。

 北欧系の民族が暮らしていたエストニアに騎士や宗教家などドイツ系を中心とした外国人がやってきて、元々の文化は失われてしまった。それどころか、精霊崇拝などという形で本来の形ではない怪しい宗教や文化を伝統として復活させようとする者までいる。今ある国の姿はいかに滑稽であったとしても人々が望んだものであり、失われたものは二度と元には戻らないのだ。本来あるべき姿を取り戻そうとして戦っても所詮多勢に無勢であり、滅びゆくのが道理なのだ.....という状況を一件諦観めいた視線でもってかなりシニカルに語っている小説であるらしいことは巻末に収録されているフランス語版解説に詳しい。

 なるほど、エストニアはこんな雰囲気の国なのか……と遠い国へ思いを馳せつつも、遠い国の問題だけですまされない問題なのは、根も葉もない伝統宗教を捏造する精霊信仰の司祭と、復古主義でナショナリズムまるだしな信仰の虜になって実の娘を虐待するヒーエの父あたりによく表れている。精霊信仰の司祭やヒーエの父の姿に、世界各地で人々を虐げる困った集団の姿を重ねるのは容易だけれど、言うまでもなく全然他人事ではない問題である。まちがった伝統を捏造しようとする手合いには注意しないといけませんね。



 ──というようなテーマ的なことを抽出しようとするとあんまりおもしろくなさそう、説教臭そうと思われては勿体ないので無責任にオモシロポイントをあげていくことにする。いや本当におもしろいんですよ、登場人物の会話が多くて読みやすく、構えずに読むことができます。



 ・人がいっぱい出てきていっぱい死ぬ。

 本当に面白いほど人が死ぬ。先にあげたあらすじの続きなど、暴力と暴力の連鎖でいたるところ血の海である。特にレーメットの爺さんが出て来てからが凄まじい。この爺さんは空を飛びながら毒の歯で敵をかみちぎるというとんでもないバイオレンスじじいで、味方にいると心強いけれど敵に回したらただの災厄でしかない。自分たちの国を奪った敵への憎悪を元に行動するので読んでいると痛快ではあるのだけど、やってることはバトル系少年漫画の主人公に一発でぶっとばされる悪役とあんまり変わらないクズさっぷりがすごい。終盤に出てくる、道化師に芸を仕込まれたクマに「お前たちは本来森で暮らす獣なんだからそんなマネをするな」と一応理のあることを呼びかけながらしでかす仕打ちなんて外道の極みである。やってることは数々の物語で悪党がやってきた行為で目新しくはないんだけど、主人公サイドの人間が喜々として行うのだからひたすら最悪である。レーメットもというと、ただ単に腹が立ったりムカついたりするとじいちゃんと一緒に憎い騎士を虐殺し始めたりするので最悪の極みである。

 一応、暴力と暴力の応酬が始まるにはきっかけがあり、レーメットも多くのものを壊され奪われたので暴力をし返す一定の理はあるのだけど、わりとたのしげに殺戮を愉しんでそうなのでやっぱりどこか楽しそうな筆に乗せられて笑うしかない。

 そんな有様なので、「お前らそれでも人間か!」といった正義の心に目覚めるような展開もなく、悲惨で理不尽な暴力を振るわれ、振るい返す展開になるが、少年漫画のようにそこにさっそうと現れて諸悪の根源をブチ倒すようなヒーローも出てこない(そもそも諸悪の根源はさっさと殺される)。「ワンピース」には登場人物の可哀そうな過去が各エピソードに最低一話くらいはあったように思うが、あのエピソードだけをより抜いてまとめたような有様になった果てに結局なにも残らない。「ブラックラグーン」ですら「暴力はさらなる暴力しか生まないのでどこかでその連鎖を断ち切らないと」みたいなことを言っていた気がするのに、この小説ときたらそんな有様である。

 でもまあそれも人間が選び取った結果なんだから仕方がないとばかりに、とある青年の一人称によるユーモラスな口調で語られているので物語に湿り気はなく、それでいて愉快なのが最の高でありました。暴力からエモさを排している態度は見習いたい。



 ・登場人物皆わりとヒドイ。

 映画の「ピーターラビット」がテレビで放送されていた際に、「出てくる奴らが全員クズ」みたいな言葉がtwitter上に流れてきたように思うけれど、まあ本作もそんな塩梅である。

 先に挙げた通り結婚の約束をした女の子のことを一瞬で忘れて別のこと結婚するわな主人公も大概だし、森と村の双方にいる狂信者たちもヒドイし、クズというまではいかないが母親は人の話を聞かないし、村の司祭の娘はロマンチックな妄想を手放そうとしない。他にもどうしようもない人物は出てくるが、やっぱり突き抜けてレーメットのじいちゃんが最悪で最高だった。救国や民族の英雄の実体なんてこんなもんだろう(おかしな理屈をこねることなく、「自分たちの土地に入ってきて好き放題しやがって」というムカつきを理由に暴虐の限りを尽くしている分まだマシとすら言える)という気づきを得られる。このバイオレンスじじいの暴れっぷりを読むだけでもこの小説を読む価値があるとすら言ってよい。



 ・愛すべきキャラクター

 登場人物ほとんどクズということは、登場人物たちの多くに人間味があって憎み切れないの言い換えることも可能かと思う。高潔な人間はほとんど出てこないし、主人公も他の登場人物とさしてレベルのかわらない愚かなことばかりしている。「俺は普通のやつらとは違うんだぜ」とばかりに愚劣な一般大衆を見下ろしてシニカルな態度をひけらかすニヒルで冷笑的な主人公が嫌いな性質なので、その点でも比較的受け入れやすいキャラクターだった。

 とはいえ、どうしようもない人間ばかり出てくる小説ではない。レーメットに蛇の言葉など森の知識を授けてくれるおじさんは如何にも親戚にひとりいてくれたら嬉しい叔父さんだし、自由になってから芯の強さを発揮するヒーエも比較的優しくてよい子である。

 お気に入りは、森で静かに暮らしている賢者のような老いた猿人(シラミをいかに大きく育てられるかといったチャレンジもしている。この巨大シラミがちょっと可愛い)の二人組と、賢くてクールで合理的なものの考え方をする蛇のインツです。



 ──気が付けば単なる感想だというのに、呆れるほど長くなっておりました。

 つきつめるとただ「おもしろかったよ」と言いたいだけなのに、こんなにも文字数を費やしていて頭を抱えるばかりです。

 しまりのない感想文ではありますが、これだけ長文を書かせるパワーのあるおもしろい小説だったんだということ少しでも伝われば駄文を恥ずかしげもなく後悔した甲斐があったというものです。

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