第3話 こんな時間で日が沈むように
電車はところどころに空席があるくらいの混みぐあいだった。
電車は、高架の上か切り通しの横を通り抜けるので、座っていると外はあまりよく見えない。でも、ときどき窓の外を横切る木の葉っぱはもう黄色く色づき始めていた。重い緑と、黄緑と、黄色と、オレンジ色と、ところどころ赤とが混じっている。
まるみを起こしてしまわないように、ゆっくりと深い息をつく。
今日だけまるみといっしょに帰らないのも不自然だと思って、教室の出口のところでまるみを待っていると、まるみも来て、いっしょに帰ることになった。
でも、二人とも無口だった。わたしも何も言わなかった。まるみも、何か言いたそうにしたことはあったけど、やっぱり何も言わなかった。そのときにわたしがまるみに「何か言おうとした?」ときけばよかったのだろうけど、それもできなかった。
怖くて。
それで、何もしゃべらないままバス停まで来て、
「バス、乗る?」
「うん」
と話しただけだった。
学校はバスに乗らなくても駅まで歩ける距離にある。その日の天気や気分やバスの混み具合でバスに乗るかどうか決める。この日は、晴れていたので普通なら歩くのだけど、まるみと二人で黙ったまま十五分も歩くのはちょっと耐えられないと思って、バスに乗ることにした。
バスのなかでは空いた席が一つだけだったので、最初は立つつもりだった。でも、その前まで行くと、まるみが短く
「るな、座ったら?」
と言う。いや、まるみが座りなよ、ということばが出せなかった。もし、ここでまるみが
「小論文で一番だったごほうびだから」
とか言い出したら、わたしはいたたまれなくなる。
「うん」
と言って座った。「ありがとう」とは言わなかった。なぜだかわからない。
電車では、先に座っていた人が降りて、三人ぶんの空き席ができた。わたしがその開いたところのまん中に座った。まるみは隣に座った。まるみの隣もすぐに空いて、だれも座らなかった。
何も話さない。
何度も、何か話そうと、話すことを探してみた。
でも、思いつかない。
「芸文部の部長って、どう? 忙しい?」
とかきいて、芸文部の部長になったとたんに小論文で一番から滑り落ちた、しかも滑り落ちさせたのはこの
「芸文部って、なんで文芸部じゃなくて芸文部なの?」
というのは、もう一年生のときにきいた。
もともと、芸術なんとか部というのと文芸部とが別にあって、その芸術なんとか部が部員数が足りなくなって文芸部に吸収合併された。そのとき、意地で「芸」で始まる部の名まえを残そうとしたせいなのだそうだ。
わたしはまるみに何度もその話をさせて、「なにそれ?」「へんだよねぇ!」と言って二人で笑った。くすぐられたときみたいに、いつまでも笑った。
いまさらそんな話をまた持ち出したら、まるみは不愉快だろう。話すことがないから話を作ってます、というのがはっきりとわかってしまう。
では、関係ないことで
「こんどいっしょにどっか行かない?」
とか言うとすると……。
まるみを誘うにはどこがいいだろう?
プールに泳ぎに行く季節ではない。展覧会とかいっても具体的に思いつかないし、映画とかだったら、まるみがいまどんな映画に興味があるかわからないし。
「しばらく映画行ってないけど……またいっしょに何か見ようか」
とか言って、
「うん」
と言ったきり押し黙られてしまったら、やっぱりいたたまれない。
まるみが好きな映画の傾向が見当がつけばいいのだけれど、わたしにはそれがいまいちわからない。いや、いま「一」を超えてわからない。わたしの知らなかったアイドルもののアニメに行ってとっても楽しそうにしていたこともあれば、学校休みの日に朝の十時からやっていた何十年も前の作品をいっしょに見に行ったこともある。どこかの国のなんとかいう少数民族のことを描いたドキュメンタリー映画に行ったこともある。
そうやって、高校に入ったころからまるみといっしょに行った映画を思い出してみると。
「あ」
と気づいた。
売れている小説やマンガを原作にした青春映画って、ほとんど、いや、まったく行ったことがない。それだけではない。その朝の十時からやっていた昔の映画は別にすると、小説っぽい映画って、一度もいっしょに見たことがない。もっと言えば、まるみが小説を読んでいるところって、高校に入ってから見たことがない。小学生のころに、小学生向けの文庫を取り替えっこして読んだ、それ以来、見ていない。
まるみは小学校のころからずっと小説を書いてきた子なのに。
でも、それは、わたしがそういう「文芸」っぽい映画とか小説とかの雰囲気に合わないからなのかな。
わたしがそんなことを考えて黙っているうちに、まるみは、寝てしまったのだ。
わたしって、幼稚園のころからまるみとずっといっしょにいたわりには、まるみのこと、知らないな……。
まるで
「まるみのこと」
と書いた大きいたんすを持っていて、それを自慢にしていたのに、ふと引き出しを空けてみると、なかは空っぽだった。あせって次の引き出しを空けてみても、やっぱり空っぽだった。それでもっとあせって次を空けてみても、そのまた次を空けてみても……。
ぜんぶ空っぽだった。
そんな悪い夢のようだ。
いっしょに遊んだ思い出はいっぱいある。
チョコレートは好きなくせに生クリームは苦手、というのも知ってる。昔はどっちがきれいとかかわいいとかもなくて似たようなものだったのに、まるみがだんだん色白で透き通るような肌の美人になってきた、というのもずっと感じている。
絵本に書き込んだねこのものがたりも読んだ。まるみの書いた文章には何度も感動した。なかでも、わたしたちよりちょっと歳下の女の子が主人公のお話はシリーズになっていて、大好きだ。まるみが最初にこのお話を書いたのは小学校五年生のころだった。それがいまも続いている。
なのに……。
はっとした。
何かぴくんとするようなことがあったからだけど、それが何かわからない。
「どきっ」ではなく「ぴくん」くらいだから、騒ぐほどの大きいことではない。
それで、顔を上げる。
顔を上げると、電車のなかの白い照明が明るかった。
なんでそう感じるのかというのが、わからない。
気分が暗いほうに行ってるから、まわりが明るく見えるのかな、とか考えた。
それで顔を上げると、向かいの窓に、自分の姿と、斜め前に顔を伏せて寝ているまるみの姿とが映っているのが見えた。
どきっとする。
こんどは、ほんとにどきっとする。
セーラー服の冬服を着て、ぴったりくっつき合って……。
このこっちにいるわたしという子が、隣のまるみのことをじつはぜんぜん知らないなんて思えないくらいに、二人は仲よくぴったりくっつき合っていた。
あわてて考えを別のほうに向けようとする。
どうして二人の姿が向かいの窓にこんなはっきり映って見えるんだろう……?
その二人の姿が映っている窓の外は、さっきまで黄葉とか紅葉とかが明るく見えていたのに、まるみについていろいろ考えているうちに、それはぜんぶ暗い色でしか見えなくなっている。
外が暗い。
暗くなったんだ。
まるみを起こさないようにそっと体を動かして、右斜め後ろを見ると、黄色い空を背景に、雲が朱色に染まってきていた。空の上のほうは、はがね色というのだろうか、青いのを残して暗くなっている。
夕暮れだ。
こんな時間で日が沈むようになったんだ……。
学校を卒業するまで、あと一年半は残っていない!
来年、この時間に日が沈むようになった季節には、二人はどうなっているだろう?
まるみと、わたしとは。
高校までずっといっしょだったまるみとも、大学までは……。
いままで考えていなかった。なんとなく、ずっといまみたいな友だちでいるんだろう、と思っていた。いや、思う前に、それがあたりまえだった。
そうじゃなかった。
それを考えつづけると、幅の広い、でも底の深い穴に落ちて行くようだ。
夕焼けを見ていた体を、前向きに戻す。
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