第2話 その座り姿が、きれい

 一位になることなんかまったく考えていなかった。考えていない以上、目指してもいない。いつもどおりだ。

 ただ、いつもは、提出日の前の夜、このままでは睡眠時間が三時間を切ってしまう、とあせって、書くのだけど、今回はその一日前の晩には仕上がっていた。見直しなんかしなかったけど、書くときに気もちの余裕があった。

 字も、「書き方」に注意して、ていねいに書いた。

 「六ツ峰むつみねの文章はリズムがある」

 わたしの作文が一位になった理由を、アクセントに大阪弁なまりのある国語の先生は、そんなふうに説明した。

 あ。六ツ峰というのはわたしのこと。六ツ峰るな。こういう基本的な説明が原稿用紙で七枚めになるまで来ないと出て来ないぐらい、わたしは文章が下手だ。

 そのはずなんだけど。

 「なんとかした、なんとかした、なんとかだと思う、それでなんとかである、という調子で、すらすらと読める。それはいままでもそれはそうだった。けど、いままでの六ツ峰の文章は、リズムはいいけども論旨が途中でどっか行ってしまう欠点があった。議論しないといけない方向に対して、九十度とは言わないにしても、六十度、いや、七十五度ぐらい曲がった方向に行ってしまう」

 みんなそれをきいて、笑った。

 わたしも笑った。ほっとしたから。

 その「論旨」というのが、角度で表現できるくらいにはまちがってない方向に進んでいるとわかったから。完全に霧に巻かれたようになってどっちに進んでいるかわからない、と言われるよりは、ましだ。ずっとましだ。

 二つ前の最前列、三つ左に座っているまるみも、振り向いて笑って見せた。とてもきれいに。

 美人だ。

 そのとき、一番になって舞い上がっていたわたしは、にっこり笑ってまるみを見返した。

 先生が次の話を始めて、まるみは前を向いた。

 「ところが、今回のは、ちゃんとテーマに向かって進んでる。一段ずつ進んでるっていうことが、そのリズムのいい文章でわかる。しかもよけいなことを書いてない。ただ、残念なのは、漢字のまちがいが多かったこと」

 またみんな笑う。わたしも笑った。わかっていたことだから。

 まるみは振り返らない。背中のセーラー襟の向こうで肩をちょっとすぼめたようだが、そうではなかったかも知れない。

 先生が続ける。

 「しかも、今回は、ていねいな字を書いて、それで字をまちがえてるから、目立つ。いつもは字が雑でしかもまちがっているので、ついついまちがいに気がつかないで読み飛ばすけど、今回は、字がきれいだから目立つ。それを、原稿用紙一枚で一字ぐらいのまちがいだからしかたがない、とか思わないように」

 はい、思ってました!

 「もし誤字一文字で一点減点だとしても、十個まちがえたら十点減点になる。百点満点で十点は大きい。すごく大きい。でも、誤字が気になるくらいにきれいに書いて、しかも表現も上手だから、今回は励ましの意味もあって、六ツ峰に一位を出した」

 おーっ、という声とともに、どこからともなく拍手が起こる。ふだんはこんなのは起こらない。わたしはそれで恥ずかしくて、首をすくめて顔を下げ、机の向こうが見えないようにした。

 その拍手が収まらないうちに、先生は続けた。

 「次、今回は二位が卜部うらべだ。このC組が一位二位独占。たいへんいいことだ」

 ひやっとした。首筋の血管の血の温度が氷水ぐらいに下がったと思った。

 C組の一位二位独占、というのは、どうでもいい。

 まるみが、二位?

 それは、わたしが一位ということは、まるみは一位ではなかったわけで、だったら、二位なんだろうけど、とそのとき思った。

 「もちろん、いつもどおり、構成は申し分ない。最初に問題意識を書いて、論点を、一、二、三と分けて論じて、最後にそれをまとめる。こういう論説の文章ではこれが基本だとずっと言ってるのに、実際にそれができるひとは少ない。卜部はそれが自然にできる。これがすばらしいところだ」

 血の温度が下がったまま、わたしはまるみをそっとうかがう。でも、あいだに座っている体の大きい男子が背を反らして、先生に見つからない程度に伸びをしたので、まるみの様子がよく見えなかった。

 「ではなんで今回は二番かというと、ちょっとくどい。同じことを何度も言い直している。そうじゃない?」

 先生がきいたのはまるみに対してだ。

 「はい」

 くぐもった声ではなくて、朗読のときのよく通る声で、まるみは答えた。

 先生はタイミングよくうなずいた。

 「だいじなことは一回言えばいい。何度も繰り返さなくてよい」

 先生は大阪アクセントのままたんたんと続ける。そして、顔を上げて、いきなりみんなにきいた。

 「そう言われてみんな納得できる? 納得できる子、手、挙げて」

 そんなの、いきなり言われて、決められるわけがない。

 指摘されたまるみはすっと手を挙げた。きれいに手を伸ばしていた。わたしはちょっととまどったけれど、まるみに合わせて、手を挙げた。中途半端で、ちょっとびくびくしていたかも知れない。

 手を挙げた子は、全体の半分以下、たぶん三分の一も行っていなかった。

 「うん」

 先生はうなずいた。手を挙げていた子は自然に手を下ろす。まるみも、わたしも。

 「正直でよい」

 先生のことばにあいまいな笑いが起こった。

 わたしは笑わなかった。

 たぶん、まるみも。

 「だいじなことを一回しか言わないというのは、なかなかできることではない。だいじなことは繰り返さないと注目されないで埋もれてしまう。それではけっきょく何が言いたいのかよくわからなくなる。だから、何が言いたいのかよくわからない文章よりは、だいじなことを繰り返して強調してある文章のほうが、まだ、よい」

 まるみが先生のほうに顔を上げた。横顔がちょっと見える。

 きれいな横顔―でも、軽く結んだ口は、何か問いかけたい、異議がある、そういう感じにも見えた。

 「一度しか言わないでだいじなことと印象づけるためには、そのことばが印象に残るところで出ないといけない。その印象に残るところを文章のなかにちゃんとつくらないといけない。それには、まず、文章がちゃんと構成できる力が必要になる」

 言って、先生は教室を見回してから、つづけた。

 「卜部の文章は、その構成はできている。それができているのに、何度も繰り返している。そうなると、かえってくどく感じて、逆効果になる。人間の感じかたっていうのはふしぎなもので、何度も何度も同じことを繰り返されて、それが快感になることもある」

 「快感」ということばをきいて、教室からはまた小さい笑いが漏れた。こういうので笑うのはとくに男子だ。

 何を考えているんだか。

 「でも、逆に、繰り返されると不快に感じることもある。言われなくてももうわかってるのに、繰り返し言われたら、逆に反感を感じることがある。これはみんなわかるでしょ? さらに、こんなに繰り返すということは、何かをごまかそうとしているんじゃないか、とか、よけいなことまで考えてしまう」

 顔を上げていたまるみがうつむいた。先生がそのうつむいたまるみに目を向けた。

 「卜部、これを書いたときに、不安だったんではない? わかってもらえないんじゃないかって」

 「はい」

 まるみは声を詰まらせた。

 「自信が」

 もういちど、詰まる。

 「ありませんでした」

 言ったときには前に顔を上げていたけれど、言い終わってまた顔を伏せてしまう。

 「うん」

 背の高い先生は軽くうなずいた。

 「でも、いちど検討してみて、自分で言いたい論旨に筋が通っていると思えば、自信を持って言えばいい。もちろん、これがたくさんのひとが読むところに発表されたとしたら、どこかから反論は出てくるでしょう。でも、くだらない反論は無視していいし、筋の通らない反論だったらきちんと再反論すればよい。筋の通っている反論だったら、それを考えに入れて、自分の考えを変えて、また議論したらよい。とにかく、自分が意見を出すときに自信がなかったら、だれもきいてくれない。持たないといけない自信は、相手を論破する自信じゃなくて、自分がきちんと書いたことに対する自信。今度の文章はその自信がないところが出てたので、今回は、二位」

 「はい」

 まるみははっきり答えて、うなずいた。

 そして、また、もとと同じように背を伸ばした。

 その座り姿が、きれいだ。

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