冬服
清瀬 六朗
第1話 しかも、困ったことに
まるみは隣でぐったりしている。眠ってしまったようだ。
ほっとした。
電車で隣に座っても、何を話していいか、わからなかったから。
まるみの文章好きは小さいころからだ。
幼稚園のころだったか、まるみはねこの写真がいっぱい載った絵本を持っていた。せりふも物語もない。その写真だけのページに、まるみは、クレヨンで、覚えたてのかな文字でせりふを書き込み、写真集を物語に変えてしまった。たぶんそれがまるみが最初に書いた物語だ。
小学校の高学年のころは、作文の課題で、小学生用の原稿用紙を百枚も使って大河小説のような物語を書いて、先生を驚かせていた。中学校に入ると学校新聞の「社説」みたいなのも書くようになった。そういう、説明文とか論説文とかいう文章もうまかった。
高校ではまるみは芸文部に入っている。普通にいう文芸部だ。三年生が引退して、今度、まるみが部長になった。
ところが、その矢先、国語の小論文の時間に、まるみの書いた文章が二位になってしまった。
わたしならば学年で二位になれたら嬉しい。一学年百六十人ぐらいの高校で、百六十人の上から一パーセントは一・六番だから、自分の〇・六は一パーセントに入っている、なんてくだらないことを考えるくらい、嬉しい。
でも、まるみにとっては、違うのだ。
一年生のときから、まるみの文章はずっと一番だったのだから。
うちの、いや、わたしたちの学校の国語には小論文という時間がある。
これから出て行く社会では文章の表現力が問われることが多いから、という理由で、わたしたちが高校に入る年から新設された。「これから出て行く社会」って言われてもよくわからなかったけど、一年生の期末で、返ってきた国語のテスト(もちろん、いい成績ではなかった)を見たお母さんが
「何これ? るな、あんたねぇ、これからの大学入試では記述式が増えるのよ。マークシート塗ってごまかすわけにはいかなくなるのよ。だからそういうのをしっかり練習しないと!」
と言ったので、わかった。つまり、これからは大学入試で記述式が出るようになるので、それを書けるようになる練習をしよう、ということらしい。
大学入試なんて、まだ先のことなのに、と、そのときは思っていた。
それがだいたい一年後に迫ったいまも、そう思っている。来年の今ごろはもう大学の秋入試が始まっている。それはわかる。でもぜんぜん実感がない。
そんな「小論文」の時間は、テストがないかわりに、中間と期末のテストの時期に合わせて、長めの作文を書かせられる。
「書かせられる」でいいんだよね? 「書く」をひとにさせるのが「書かせる」で、わたしはそれをされるほうだから「書かせられる」。うん。いいんだ。たぶん。
その「書かせられる」小論文の長さは四千字だ。四千字はわたしには長い。とっても長い。それはそうだ。「書かせられる」ということばが正しいかどうか考えるだけでこんなに手間がかかる人間なんだから。
しかも手書きだからよけいに時間がかかる。原稿用紙に十枚分、字を書き続けないといけない。スマホに書くのならばもっと速く書けるのに。
段落を多くして枚数を稼ぐと書き直しをさせられることもある。知らない漢字をごまかすことができない。いっそう時間がかかる。
五枚書いて夜の十二時ごろになり、あと五枚も何も書いていない用紙が残っているのを見ると、気分がずーんと沈む。絶望ってこういうのか、と思う。
そうやって書いて提出した作文を、先生が採点して、その上位三位までの文章をプリントにして全員に配る。そのいいところを先生が説明し、「ここを直せばもっとよくなる」というところも指摘してくれる。
そして、高校一年生のとき以来、まるみはその小論文の作文ではずっと一位だった。
「随筆」とかの「文学」っぽい文章でも、感想文とか評論とかでも、自分で調べて文章を書く分野でも、まるみはいつも一番だった。
だから、二番だからよかった、というわけにはいかない。まるみにとっては大きな失点だった。「失点」ではすまない屈辱だったかも知れない。
しかも、困ったことに。
一位に選ばれたのがわたしの文章だったのだ。
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