第4話 旧校舎へ~侵入
旧校舎へ
「――あれ?」
秋が不思議そうな声を上げた。四人で現校舎を出て旧校舎へ向かっている最中に、橋のところで見慣れた姿を見つけたのである。
「こんにちは、秋くん」
桜子は落ち着いた様子で控えめに挨拶をした。
「あれ、センパイじゃん。ちーっす」
秋の後ろを歩いていた直も、桜子の姿を見つけて馴れ馴れしく声を掛ける。
「遠藤君も、こんにちは」
桜子は余裕のある微笑を崩さずに、清涼飲料水のような透明感のある声で挨拶を返した。さすがの直も桜子に対しては、いつもの憎まれ口を叩くことはできないようだ。
「センパイはこんなところで何してんの?待ち合わせ?」
「え・・・聞いていないんですか?」
桜子は戸惑った顔をする。
「あ、わり。忘れてた」
山中先生が思い出したように声を上げた。
「実は森下さんも一緒に来ることになったんだよ。私が誘ったんだった」
「わたしは知ってたけどね」
花が嬉しそうに頷きながら言う。
「じゃあ何で教えてくれなかったんだ?あらかじめセンパイが来るって聞いてたら、俺もそれなりにおしゃれしてきたぜ。俺、すっぴんだけど大丈夫か?」
直が茶化しながら花に突っ込む。
「えへへ、忘れてたよ。ごめんね、さくら子ちゃん」
花は恥ずかしそうに頭を掻いた。
「でも真面目なセンパイがこんなことに参加するなんて驚きだな。生徒会も旧校舎には入ってはいけないってよく言ってたじゃねえか」
「あれは、学校側の意見を代わりに言っていただけだから。私個人の意見ではないですよ」
桜子は苦笑しながら答える。
「バレたら怒られるぜ?生徒会長がこんなことしていいのかよ」
直は試すかのように、桜子を煽った。
「大丈夫ですよ。私はそこまで頭の固い人間ではないですから。それに、私が参加することで、良いこともあるんですよ」
桜子は直の言葉をさらりと受け流し、微笑みを崩さずに言う。
「どゆこと?」
直は桜子に絡んでも無駄だと悟り、素直に聞いた。
「森下さんが来てくれれば、もし他の先生に見つかっても何とでも言い訳できるってことよ。ほら彼女、生徒会長だし」
山中先生がしれっとそんなことを説明する。
「ああ、なるほどな」
直も納得した様子で頷いた。
「まあ、森下さんが生徒会長うんぬんっていうのを抜きにしても誘ってたけどね。だって森下さんも私のお気に入りちゃんだもの」
そういって山中先生は桜子にウインクをする。ひいきだ、義務教育の闇だ、と直が野次った。
「あら、私だって人間よ。それくらいいいじゃない。むかつくガキなんて大量にいるわよ。もちろん、直君だって私のとびっきりのお気に入りよ」
おお…そりゃどうも、と直は急な告白にくすぐったそうな反応をする。柄にもなく照れているようだ。
「そっかあ。桜ちゃんも来てくれるんだね」
ふと、秋はそんなことを呟いた。
しかし、言った後に秋はしまった、と思った。いつも学校では桜子のことを「森下先輩」と呼んでいるのに、つい愛称で呼んでしまったのだ。
桜子も、唐突に自分の愛称を呼ばれたからか、少し動揺しながら顔を伏せた。心なしか桜子のミルクのような白い頬に赤みが差した。
それを耳ざとく聞いていた直が、ここぞとばかりに割って入る。
「え、え、何だよ今の?なになに?お前ってセンパイとそんな仲なわけ?ふしだらー」
「いや、違うよ。そんなんじゃないって」
秋も恥ずかしくなって否定する。しかし、直はにやにやとした笑いを顔に浮かべながら、そんな秋の顔をじろじろと眺める。
「じゃあどんな感じなんだよ?学校一の高嶺の花である憧れのセンパイを、そんな馴れ馴れしく呼んじゃうお前はどんな感じなんだよ?」
「だーかーら、違うって。花と先輩は仲が良いだろ?だから俺も昔から先輩とは顔見知りなんだよ」
秋はむきになって否定を続けた。桜子は、そんな秋を困ったような笑いを浮かべながら見つめている。
「学校では森下先輩って呼んでるくせに、それ以外のところでは桜ちゃんなんだな。怪しいなあ。不純異性交遊だなあ」
「だって、そしたら直みたいにからかってくる連中がいるだろ」
秋は顔をしかめて言い返した。
「ふーん?他に、言い訳は?」
直からはまだこの話をひっぱろうという意思がありありと見てとれた。これは面倒くさいことになったと、秋はげんなりする。直のこういうところは実にめんどくさい。
「言い訳じゃないって。それに俺は桃子と仲が良いだろ?自然と先輩とも親しくなるよ。だって桃子の家に行けば先輩だっているんだから」
「おお、お前はセンパイの家で、センパイとお喋りもしてるんだな。スキャンダラスなやつだぜ」
尚も直は意地悪く突っ込んでくる。しかし、桃子の話を出したことで多少は納得する部分があったのか、少し追及の勢いが落ちた。
「遠藤君、そろそろいいでしょう?秋くんも困っているし」
更に、見かねた桜子が助け舟を出してくれた。これではさすがの直もこの話を止めざるを得ないだろう。
「でも私も興味あるけどねえ。あんた達がそんな仲だったなんて知らなかったから。意外だったわ」
空気を読まず、山中先生がタイミング悪くそんなことを言った。せっかく話が終わりそうだったのに、と秋は心の中で恨めしく毒づいた。
「もう、先生まで・・・。この話はまた今度にしましょう」
しかし、それも桜子がぴしゃりと切り捨てた。こうなっては山中先生も直も何も言えない。先生までも黙らせるとは、さすが桜子だ、と秋は素直に感嘆する。
「そう言われちゃあ、仕方がねえな。また今度ゆっくりと、プレイボーイに話をうかがうことにいたしましょうか」
直は不完全燃焼な様子ながらも引いてくれた。山中先生も「なんだあ、残念」と呟いて歩き始める。
秋は誰にも気づかれないように、桜子に向かって謝るように片手で小さく拝んだ。
すると桜子は、そんな秋に優しく微笑みを返す。それは学校ではまず見ることのできない感情のこもった笑顔だった。
ああ、これでしばらく直からはこのネタで絡まれるなあ。
秋はそんなことを思いながら後悔の溜め息をついた。
――しかし偶然にも、花だけはそんな秋と桜子のやり取りを見ていた。
なんだよー?ずいぶんと親しげな感じじゃないですか。
花としては複雑な心境だった。
でも、確かにしゅうちゃんって学校ではさくら子ちゃんのことを「森下先輩」って呼んでるなあ。そういえば、そもそも二人が学校で話してるところなんてあんまり見たことないかも。それに話をしていても、どこかよそよそしいというか。
でも、二人きりの時は「桜ちゃん」なんて呼んでたんだ。
花はその事実に少なからずもショックを受けていた。胸の奥がちくちくと疼くように痛むのは何でだろう。
――そっか。きっとこれがやきもちってやつだ。
花はそんな生まれて初めて芽生えた感情を、一人で密かに受け止めていた。
今まで、しゅうちゃんのことは自分が一番知っているつもりでいたけど、さくら子ちゃんは私の知らないしゅうちゃんを知っているんだ。
そして同時に、どこかで花は、秋は自分のものだと思って安心していたことに気づいた。しかし、それは自分の勝手な思い込みだったのかもしれない。
でも、しゅうちゃんの言うとおり、しゅうちゃんともも子ちゃんはお互いの家を行き来するくらい仲が良いんだから、自然とさくら子ちゃんとも仲良くなるのだって不思議じゃないよね。
そう、ただそれだけのことじゃないか。
花は自分に芽生えた気持ちを何とか飲み込んだ。
しかし同時に、今までそういう対象として見ていなかった桃子も、花にはとても不安な存在に感じられた。
うーん、でもなんだかなぁ。
――やっぱり、ちょっと、くやしいかも。
侵入
旧校舎と呼ばれるのは、以前は中学校として使われていた校舎のことだ。市街方面から山に続く橋を渡って左側にあるのが現在の校舎で、右側にあるのが旧校舎である。元は中学校なので、現校舎よりも旧校舎の方が大きかった。
そして田舎だからなのか、どちらの校舎にも広いグラウンドがある。
しかし、旧校舎のグラウンドの所々には雑草が生えてしまっていて、今では使い物になっていなかった。
現校舎では、体育館は校舎から離れた場所に独立して建っていた。その為に生徒は休み時間を、着替えと、体育館への移動に消費する。
そして体育館の中には、図書室、家庭科室、理科室、調理実習室、多目的室などが入っており、移動教室の場合は体育館へ行くことが教師や生徒の日常となっている。
しかし旧校舎は、校舎と体育館が短い渡り廊下を通して、そのまま繋がっている。体育館への移動に時間をかけている秋達には、そのことがうらやましかった。
「よし、じゃあとりあえず色々と確認しとくよ。ご清聴よろしく」
山中先生がぱん、手を叩き、秋たちに声を掛ける。
秋たちは今、旧校舎の裏口にいる。裏口とは言っても、来客や職員達が出入りするための玄関となっているので、大人から言わせればこっちが表口というのが正しいのかもしれない。
「まず、桜子さんは図書室に行くんだよね。秋くんたちはどうするの?」
「もっちろん俺たちは校舎探検だよ。なあ?」
秋の代わりに直が張り切って答えた。
「あー。初代校長の像とか探すんだっけ?私が通ってた頃は正門を入ったところに立ってたんだけどね。そういえば、いつの間にかなくなってたなあ」
「へえ、そうなんだ」
直が相槌を打って応じた。
「もしかしたらもう捨てられてる可能性もあるかもねえ」
山中先生は大して興味が無さそうに呟いた。しかし、そんなことでへこたれるような直ではない。
「それなら悪魔の絵を探すさ。なあ?」
直がそう言いながら秋に目配せをする。
「そうだなあ」
秋はうーん、と考える仕草をする。
「んじゃ、あなた達は自由にしなさいな。私は森下さんを図書室に案内するから」
うす、と直は運動部のノリで返事をした。そういえば直は以前、バスケットボールクラブに入っていたと話していたな、と秋は何とはなしに思い出す。
「今は・・・十三時過ぎか。なら十五時までにはここに集まること。いい?あと、備品は絶対に持って帰らない。わかった?」
はーい、と各々が返事をする。それなら桃子との約束の時間には間に合いそうだと、秋はひとまず安堵した。
「では、入りましょうか。あ、中に入ったら一応、上靴に履き替えてね」
山中先生はポケットから鍵を取り出し、玄関についている鍵穴にそれを差し込んで回した。
がちゃり、と大きな音を立てて鍵が開いた。
そうして、山中先生を先頭にして秋たちは旧校舎に入っていく。
そしてそんな五人を、四階の美術室から誰かがじっと見つめていたのだが、そのことに誰も気づくことはなかった。
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