第3話 HR~終業式後
HR
「――はい、というわけで。夏休みだからってあまり調子に乗らないようにね」
山中先生が夏休みの注意事項を生徒たちに伝えていく。しかし通知表を配り終わった直後なので、まだ教室内は興奮した空気に包まれていた。
そのせいか、山中先生がクラスの面々に向かって夏休み前のお決まりのセリフを話していても、誰もそれをまともに聞いてはいなかった。
しかし、山中先生もそれを承知の上なのだろう、特に気にする様子もなく義務的に連絡事項を伝えていった。
そんな中、秋たちは真面目に先生の言葉に耳を傾けていた。そこには、ここで変に山中先生の心証を悪くしても良いことはない、という気持ちがあった。せっかく旧校舎に入れる絶好の機会なのだから。
とはいっても、山中先生はいちいちそんなことを気にするような先生ではないこともわかっている。そもそも秋たちは、普段から山中先生の話はきちんと聞かなければ、という気持ちに自然となってしまっているのだ。
そしてそれは、自分達が山中先生を心から慕っているからだ、ということも自覚していた。
「調子に乗るなって、こんなクソ田舎で調子に乗れるようなところがあんのかよ?」
秋の前の席に座る直が、つまらなそうに呟く。秋の隣の席にいる花が、「ひどーい」と小声で返した。
「まあ、つまり。夜中に原付バイクで走り回ったり、誰かの目が届いているところでタバコを吸ったりするなってことよ、直君」
直の呟きを聞いていたのだろう、山中先生が嗜めるように言った。
クラス内にささやかな笑い声が起きる。地獄耳かよ、と直は小さく悪態をついた。
「あ、だからといって隠れてなら吸っても良いって意味じゃないからね」
山中先生が念を押すように付け足した。周りの生徒に言っているようにみえるが、その言葉が直にだけ向けられているように感じるのは気のせいではないだろう。
「山中先生の言うとおりだよ、なおくん。体に悪いんだから」
花が厳しい口調を試みながら直に言うが、その試みは失敗に終わっている。しかし、直に対してそのような口出しができるのは女の子は花だけだ。
「うるせぇなあ。誰にも迷惑はかけてねぇだろが」
直は面倒くさそうに返すが、その口調にはどこか嬉しそうなニュアンスが含まれていた。
「お決まりなセリフだよねえ。迷惑はかけてないけど、心配はかけてるじゃない」
「心配をかけてる時点で、迷惑もかけてるけどな」
花の言葉に秋も同調する。秋の言葉に「だよねえ」と花が微笑んだ。
「あ、そういえば花、ノートなくなっちゃったよね。また買いにいかないと」
思い出したように秋がいう。それを聞いた直がだるそうに机に突っ伏した。
「…そうだね。帰りに山本屋で買おっか」
花はそう答えたあと、どこか気まずそうに沈黙する。
山本屋というのは、この町に唯一ある文房具屋だ。田舎の文具店ということで、外装は古びているが、品揃えはものすごくいいので、学生たちにはかなり重宝されている。
秋と花は「会話ノート」というものを共用していた。それはどこにでも売っているような小さなノートなのだが、二人は授業中によくそのノートを使って筆談をしていた。
筆談の内容は、下らない冗談を言い合ったり、しりとりをしたりと、他愛のないものばかりなのだが、それらのやりとりは二人にとって、とても特別なものだった。
花は少し鼻にかかった声をしている上に、舌足らずな話し方をする。そしてそれが、花のほんわかとした甘ったるい、独特の雰囲気を作り出していた。それは花の大きな魅力となっていて、秋はそんな花の声と話し方が大好きだった。
そして、花の書く文字にも、そんな花の話し方や性格が表れていた。なので、いつも秋は筆談をする度に、今にも花の声が聞こえてきそうだと感じていた。
「あの、しゅうちゃん・・・」と花は何か言いかけたが、秋と目が合うと、また口をつぐんでしまった。
「何?」
秋が不思議そうに尋ねた。
「いや、なんでもないよ」
花は慌てて訂正する。
「え、でも――」という秋の言葉を、山中先生が遮った。
「じゃあ、解散。学級委員さん、最後の号令よろしく」
山中先生の急な呼びかけに、学級委員である花は少し面食らいつつも「き、起立」と声を上げた。
そんな花のことを、山中先生は感慨深げに見守っている。
ガタガタと椅子がひかれ、みんながそわそわと落ち着かない様子で立ち上がった。
「今日でこの学校ともお別れです。さみしいね。とはいっても、学校が替わってもこのクラスはそのままだから安心だよね」
そう言って、山中先生は生徒たちを優しく見渡した。そしてぱん、と手を叩く。
「では、また新しい学校で会いましょう」
それを合図に花が「礼」と言おうとしたが、その二文字を言い終わらない内に、クラスメイト達はたくさんの荷物を抱えて、わっと教室から飛び出していった。
終業式後
――蝉の声ががらんとした校舎の中に響き渡る。
今、この教室には秋たち三人しか残っていない。先ほどまでの喧騒が嘘のように、教室内には静かな時間が流れていた。
「いやぁ、やっぱりみんなが帰ると静かだね。同じ建物とは思えないよ」
花が玉子焼きを箸でつつきながら呟く。
「そーだねぇ」
秋が頷きながらおにぎりをほお張った。
「つーか、何でお前らは弁当もってきてるんだよ?」
直は秋からもらったおにぎりと、花からもらったウインナーを両手に持って聞く。
「だってー。今日は給食ないんだもん。それに家に帰ってお昼ごはん食べる時間もないじゃない?でも旧校舎に行く前にちゃんと腹ごしらえしとかないと」
花がもぐもぐと咀嚼しながら答えた。
「なんだよ。俺も何か買ってくればよかったぜ。お前ら、母ちゃんに迷惑かけんなよな」
直があきれたように言いながら、ウインナーを口に入れる。
「ご心配なく。自分で作ったから。材料はお母さんが買ってきたけど」
花はにっこりと微笑んで小さくピースサインをした。
「え、マジかよ」
直はそう言って改めて花の弁当箱を覗き込んだ。中には小さなおにぎりと、アスパラガスの肉巻き、花の形に切られたニンジン、玉子焼き、ミックスベジタブルなどが入っている。なぜかおかずの量が多い。
しかし、彩りもおかずの配置の仕方もバランスがとれていて、とても女の子らしい内容となっていた。
「冷凍食品を使っているにせよ、すげえな」
直は素直に感心した。
「へへ。ぜーんぶ手作りだよ」
花は得意気に説明する。
「そりゃあ、すげえな。不良児童もびっくり」
直はまじまじと弁当箱を見つめる。すると花は恥ずかしくなったのか、「これ、あげる」とアスパラガスの肉巻きを直に渡した。
「ちなみに、俺も自分で作ったよ」
秋が自慢する風でもなくさらりと言った。とはいっても、秋のお弁当箱にはおにぎりしか入っていない。ゆかりや、ふりかけを混ぜ込んである大きなおにぎりが4つあり、海苔はラップで別にしてあった。
「いや、お前の弁当おにぎりだけだろ。まあ、それでもすげえけどさ」
直は感嘆するように、おにぎりにかぶりつきながらわざとらしく後ろに仰け反った。
「でもよ、何でそんなにでかいおにぎりを4個も作ったんだ?お前そんなに大食いだったっけ?」
直が秋に向かって聞くと、秋はにやりと笑った。
「半分は直の分だよ。おかずは花が多めに作ってきてくれると思ってたから、俺はおにぎりだけ作ってきた」
「とゆーか、しゅうちゃんはおにぎりしか作れないもんね?わたしもそう思っておかずたくさん作ってきたよ」
花はそういうと、「はい、とゆーわけで」と言って秋に玉子焼きをあげた。玉子焼きは秋の大好物なのだ。
「『しか』ってなんだよ。少し料理ができるからって調子にのっちゃって。このハゲちゃんが」
「ハゲてないですけど?秋ちゃんの髪の毛ちゃんこそ大丈夫かな?ちゃんと生えてるかな」
「俺の髪の毛ちゃんは大丈夫ですけど?ちゃんと生えてますけど?おでこが広いのは生まれつきですけど?」
「それじゃあ、私の作った玉子焼きはいらないってことかな?」
「いりますけど?」
「そんなこと言う子にはあげないですけど?」
「もう食べてますけど?」
「ふーん。…おいしい?」
「…うん」
秋がそう呟くと、花はとても嬉しそうに笑って「よしよし」と秋の頭を撫でた。秋は照れくささを隠すようにおにぎりにかじりついた。
「なんつーか、その、お前らは安泰だよ」
そんな二人の様子を傍観しながら、直はあきれるように言った。
――お昼ごはんを食べた三人が、しばらくトランプでローカルルールの大富豪をしていると、がらりと教室のドアが勢いよく開いた。
「おーい、おいおい。待たせちゃったね」
山中先生がうちわを仰ぎながら入ってくる。先程までは黒のスーツ姿だったのだが、今はいつもの格好に着替えていた。首にはぼろぼろの手ぬぐいをかけ、よれよれになった白いTシャツと、学校指定の青ジャージのズボンを膝まで巻くって履いている。
「せ、せんせい。いつも思うけど、もっとおしゃれしたらどう?さっきまではかっこよかったのに」
秋が真面目な顔で言うと、直も「うん」と素直に頷いた。
「えー。だって、これ楽なんだもん」
山中先生は気にする素振りもなく頭を掻いた。
しかしこういった、美人なのに男勝りな性格をしているというところが、山中先生の魅力でもある。山の祭りの時も張り切って参加し、お酒を飲みすぎて校長先生から説教されたり、体育祭や文化祭でも誰よりも楽しんだりしている。
「でも、わたしはそんな先生が好きだけどな」
花がそう言いながら山中先生に抱きついた。「そんなってどういう意味よ」と山中先生は、花の髪の毛を両手でくしゃくしゃにした。
「んじゃ、早速行きましょうか。私のお尻についておいで子猫ちゃんたち」
山中先生は花の肩に手をまわしながら、トランプを片づけている秋たちに声を掛けた。
直が「子猫って歳かよ俺ら…」と呟きながら立ち上がった。
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