第8話 期待してたんだけどなぁ、ご主人様

「失礼するぞ、ご主人様……って、何してんだ?」


 ある日の夕食後のことだった。


 ノックもせずに突然部屋に入ってくるメイドがいてたまるか、といつもならツッコむところだが、今日は……いや、今日から一週間くらいはそういうお戯れもしてられない。


「何って、勉強だよ」


「ああ、そういやもうすぐテストだったな」


 机に向かいながら返事をする僕には彼女のやる気のなさそうな返事が妙に鼻についた。


 一度ペンを止め、椅子をくるりと回転させてカサネを見上げる。


「一応カサネも同級生なんだから、勉強しなよ。たまには僕の世話ばっかりじゃなくていいから」


「ああ、それなら別に。ご主人様の世話なんて耳くそほじりながらでもできっから」


「……一応メイドである以前に女の子なんだからそんな汚い言葉遣いは……」


 しかしこのヤンキーメイドの態度に慣れてきている自分がいることにも驚きは隠せない。


「心配してるのは僕の世話の方じゃなくて、カサネの勉強の方なんだけど」


「なら、なおさら。あーしのここ、知ってるでしょ?」


 カサネは自分の頭を指でつんつんと突いた。


「人を見た目で判断するんじゃねーぞ、ご主人様」


 このセリフが意味することはひとつ。


 このヤンキーメイド、相当勉強ができるのだ。


 学校でも先生に当てられて答えられなかったことは一度もない。


 授業態度はすこぶるわるいくせに、小テストも常に満点。


 予習でもしたのかというくらいに早い理解力。


 得意科目は全部、苦手な科目はなし。


「それに、あーし入学試験の成績がトップだったらしいわ」


「は?」


「ほんとは成績トップのあーしが新入生代表で挨拶することになってたんだけど、引っ越しとか屋敷のことで色々あったから二番目の子に変わったらしいね」


 ちなみに二番目の子とは侑のことである。


「……カサネ。僕はご主人様として初めて君に命令するよ」


「なにを」


「僕に勉強を教えなさい!!!」


「やだ」


 即答! しかもちょっと食い気味!


「そ、それがメイドの態度か!」


「メイドに勉強まで頼るほどばかなご主人様もどうかと思うんだけど」


「うるさい! 使えるものは使うのが真のご主人様だ!」


「何言ってるんだご主人様……。あ、ていうか、藤ケ丘侑お嬢様に頼めば?」


 入学試験二位の女。


「だめだ」


「なんで? あの子も喜ぶと思うけど?」


 妙にニヤつくカサネであったが、僕には侑が喜んで教えてくれるとは思えない。


「だって、前教えてもらったら『しょうがないわね、教えたくないけどしょうがないから教えてあげる!』って……」


「ご主人様……それは……」


「あんまり侑にはよく思われてないっぽいんだよなあ」


「まあ、あーしからは何も言わないでおくわ」


 若干呆れたような表情のカサネは気になる。


「ま、あーしもご主人様が引きこもって勉強ばっかしてたら暇だし。いいよ、教えてあげる。紅茶いれてくっから、待ってな、ご主人様」


「ありがとう!」


こうして、メイドと二人きりの勉強会が始まるのであった。



◇◇◇



「……はっ」


 いかんいかん、ついうっかり眠ってしまっていたみたいだ。


 やっぱり数学って眠くなるな……。


 あれ、部屋の電気が消されて……。


 ん? いつのまにかブランケットが肩にかけられている。


 もしかしてカサネが?


 というかそのカサネはどこに……。


 部屋を見回してみた。


 すっかり日も沈んで、窓から差し込む月明かりが机に置かれたノートを照らしている。


 シャーペンを握ったまま眠ってしまっていた僕のうにょうにょとした筆跡が残っていた。


「おーい、カサ……あっ」


 振り返ると、僕のベッドの上にメイド服姿の女の子が小さく寝息を立てていた。


「……ほんとに寝てる?」


 ご主人様のベッドだぞ?


 なんてことは置いておいて、僕はカサネが寝ているところ、いや、休んでいるところを見るのはこれが初めてだった。


 普段のヤンキーのような表情とは打って変わって、穏やかな寝顔だった。


 こうしてみると彼女もいち女子高生だった。


 家事ができて、抜け目なくて、勉強もできて、僕のメイドで……。


 そして……。


 胸がでかい……。


 ベッドの上にころんと寝転んでいる彼女はさすがにメイド服のままだと寝苦しかったのだろうか、服をはだけさせていた。


 カサネがもし起きていたら目のやり場に困ったであろうそれを、月明かりに照らされる彼女のそれを、僕はガン見した。


 少しいやらしい気持ちも沸いたけれど、それ以上に、なんだかこう、自分の胸を巡る血液の量が増えるような、そんな気がした。


 どういう感情なんだろう。


 屋敷で爺とずっと暮らしてきた今までには感じたことないそれは、これからもずっと僕の心の中に残ることになることを僕はまだ知らない。



「……おやすみ、カサネ」


 僕は自分にかけられていたブランケットをカサネにかけてあげた。



 さて、自分のベッドが彼女に占領されてしまっているせいで僕は寝場所を失った。


 添い寝はさすがに……。


 かといって床で寝るのもなんか変に気を使ったみたいであとからカサネにいじられそうだ。


 カサネの部屋には彼女のベッドがあるが、僕がそこで寝るのはちょっと問題があるだろう。


「客間のソファで寝るか」


 そうつぶやいて、僕はそっと自分の部屋を出た。







「……ちょっと期待してたんだけどなぁ、ご主人様」

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