第7話 老騎士、奮起す

 その日の夕飯はご馳走だった。


 アーサーが家に帰ると、いや帰る前から。田舎街じゅうに漂う芳ばしい香り。学校を終えて長い帰路に着き、お腹の虫ももう限界だ。急ぎ足で玄関を開けると、食卓には大きな魚料理がでーん、と乗っかっていた。


「あ……」


 まるで友人に借りた絵物語マンガのような、三十センチはあろうかというあまりに大きな白身のグリル。匂い的には魚だろうが、こんな巨大な魚が世の中に存在するのか?


 見渡すと、大皿の周囲には様々な魚料理が並んでいる。

 透き通る白身に庭で採れたハーブを添えた色鮮やかなカルパッチョに、バターの薫るムニエル、シンプルなソテー。濃厚チーズのフィッシュグラタン、それにキッシュ、あっちのひと際芳ばしいのは炭火で焼いた串焼きだろうか。


 エプロンをした母さんが、にこにこと手招きをする。


「手、洗っていらっしゃい。今ならできたてアツアツよ!」


 うふふ! とこれ以上なく嬉しそうに、母は台所に立つ父の元へとスリッパを鳴らしていった。


「あら、これが噂の肝吸い?」


「そうだよ。少し苦いが、このコクと旨みが堪らないんだ」


「白いスープ……東の国の、出汁ってやつ?」


「そうだね。味付けは塩と出汁、これに庭で採れたみつばを添えて……」


「まぁ、いい香り!」


「できたよ、食べよう。あ。おかえりアーサー」


 「親父、なんなんだこの魚」。つっこむ前に、アーサーは食卓に着いていた。だってさっきからお腹が空いて……それ以上に、このいい匂いに耐えられない!


「「「いただきます」」」


 手を合わせて、三人は食事にありついたのだった。


 久しぶりに大物相手に剣を振るったせいか、いい感じの疲労と空腹。今日は普段の三倍美味しい。ふたりで料理を作りながら味見をしている時間も楽しかったし、できたてをちょいと摘まむ度にリリィが満面の笑みを浮かべるものだから、ついはりきってあれもこれも……


「ん~! 美味しい!! ね、傑作よね? アーサーもほら、いっぱい食べて!」


 どんどんと勧められる料理と絶品なその味を前に、これが何の魚かなんてどうでもよくなっていた。

 満腹になった三人は紅茶を片手に暫し食卓でくつろぎ、リリィはアーサーに一枚の紙を手渡す。


「はい、これ。季節の花を押した便箋よ」


「……え。」


「『え。』じゃないでしょう? これに舞踏会へのお誘いを書いて、マリアちゃんに渡すの。想いを込めて丁寧に。お洒落な蝋で封をして、季節の花の香りがするアロマを吹き付けたら、あら不思議! どんな女の子も『この紳士、デキる……!』なお手紙の完成なんだから!」


「そうそう。それで殿下――今の国王様も、王妃様の心を射止めたんだよ」


「う、うそくせ~……つか、なんでソレを親父が知ってるんだよ……」


「嘘じゃないさ、本当だよ」


 なにせ、若かりし頃の殿下にそうお教えしたのは、他でもないオズワルドなのだから。

 ちなみにリリィも、オズワルドに教わった。


「さぁさぁ、舞踏会まで時間もないわ。明日にはお渡ししないとね!」


「あ、明日!?」


「言葉にならない気持ちがたっくさんあって、纏まらないのもわかるわ。けどね、女の子の舞踏会のお仕度は、男の子が思っているより、時間も、お金も、覚悟も必要なのよ。早めに渡すのが、紳士としての心遣い。じゃあ、がんばって!」


 リリィは戸惑うその背を押して、アーサーを部屋に閉じ込めた。


 しばらくすると、扉の奥からもごもごと声にならない声が響く。ああでもない、こうでもない、と紙を丸めて試行錯誤を重ねているようだ。


 思っていることを言葉に――文字に。それも、手紙にするのは至難の業だ。

 けれど、それができて、手紙を渡す勇気を持てて、初めて。男は男になれるのさ。


 がんばれ、アーサー。


『~~~~っ! あ~…………あ、あ……うぁぁ~……え~……?』


 頭を抱えて赤面しているのが、手に取るようにわかる。


「頑張っているようだね」


「ええ! アーサーは、やればできる子ですもの!」


 ふふ、と顔を見合わせて、翌朝。目の下にくまを作ったアーサーを見送った。


 ――だが。






 夕方になって返ってきたアーサーの顔は、浮かばなかった。目の下のくまが一層濃くなり、制服もよれよれ。がっくりと肩を落としている。


「どうしたの、アーサー!?」


 夕食の支度をしていたリリィが慌てて駆け寄ると、アーサーは亡霊のように呟いた。


「…………わたせなかった…………」


「「え??」」


 妻の手伝いでアロマオイルを瓶に詰めていたオズワルドも、思わず椅子から立ち上がる。


「……どういうことだい?」


「マリアに、手紙を渡しに行ったんだ。今日は、王立学院の生徒が士官学校へ護身術の訓練を受けに来る日だったから。そしたら、護衛の奴に、『受け取れない』って……」


 ローズマリアは、敵国である帝国宰相の娘。いくら国策の交換留学とはいえ、護衛くらいは付けるのが妥当だろう。しかし、手紙のひとつも受け取れないとはどういった了見なのか。


 オズワルドは、隣で『もう呼び捨てな仲なのね!?』と興奮するリリィをなだめながら、問いかける。


「その場に、マリアちゃんはいたのかい?」


「いや、丁度先生に呼ばれて席を外してたみたいで。でも、護衛の奴には見覚えがあったから声をかけたんだ。渡したいものがあるって」


「それで、『受け取れない』と。理由は大方、『危ない。何が入っているかわからないから』ってところかな?」


 こくり、と年相応に肩を落とすアーサーが、なんだか可愛くて仕方がない。十四歳といえど、子どもは子ども。いくつになっても可愛いものさ。


 だが、アーサーにこんな顔をさせるなんて。父親としては非常に遺憾だ。昨夜がんばっていた姿を見ていたから、余計に。


「アーサー、ちなみにその護衛さんは……男の子かな?」


「え? ああ、そうだけど。俺よりガタイのいい、強面の奴……」


「どうしても渡したいって言っても、ダメだった? 中身は危険物じゃないって言ったかい?」


「もちろん言ったさ! なんなら、マリアが来たらこの場で確かめてくれてもいいって言った! けど、『お嬢様はそんなもの受け取らない』の一点張りで……!」


「「ああ……」」


 オズワルドとリリィは即座に理解する。


「それ、ヤキモチですよ


「え?」


「単に、マリアちゃんのことが好きな従者さんが渡したくないだけよ。交換留学なんですもの、自国の従者と踊るんじゃ意味がない。自分が誘えないからって、マリアちゃんをお誘いできるアーサーにヤキモチを焼いているだけだわ」


「それか、牽制だね。大事なお嬢様を、そこらの男にくれてやりたくないんだな」


「なんだよそれ! 従者に、主への手紙を拒否する権利なんてねーだろ!?」


「本来ならね。でも、その子もアーサーと同い年の、まだまだ未熟な従者。心が暴走するときもある。お嬢様にはバレなきゃいいって、浅はかな考えもね」


「はぁぁ!? あいつ、ふざけっ――! くそ! 俺も、どうしてそれに気付かなかったんだ……! 次にマリアが士官学校に来るのは、もう舞踏会直前だぞ……!」


 机を拳で叩くアーサーに、オズワルドは問いかける。


「アーサー、手紙はまだ持っている?」


 アーサーはきょとんと、鞄から手紙を取り出した。

 普段であれば乱雑な鞄の中身が、整頓されている。おそらく、手紙を少しでも傷つけない為だろう。


 その優しさと、幼いながらの気遣いが、おっさんである私には沁みるんだよなぁ……

 オズワルドは、笑顔でその手紙を受け取る。


「お父さんに、任せなさい」


「え――?」


「どれだけ拒まれようと――いや、拒まれることなく。マリアお嬢様に手紙をお届けしてみせるよ」


 我ながらちょっと出しゃばり過ぎかな、とは思うけど。

 やれやれ、仕方ないですね……


「でも、王立学院は部外者の立ち入りが禁止されてて、女子の寄宿舎なんて、それこそ何重もの警備が……マリアは帝国宰相の娘だから、贈り物は家族からの物以外、基本的に受け取れないらしいし……」


「だから、アーサーは直接渡そうとがんばったんだよね? でも、邪魔されてしまった。そのがんばりを踏みにじる行為は、父親としてじゃなくても、人として許せないし、一方的に手紙を断られてしまったお嬢様も可哀想だ。だって、アーサー的には、誘えば受けてもらえると思っているんだろう? それは、お嬢様も心の底ではアーサーの誘いを待っているってことだ」


 問いかけに、息子は俯いて頬を赤らめた。


「……絶対。届けるよ」


 オズワルドは、数十年ぶりに出す【仕事道具】を鞄に詰め、出掛ける支度をする。

 いつもと変わらない笑顔の裏に、決意を秘めて。



 ――ああ。あんまり腕が鈍っていないといいけれど。

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