第6話 湖畔で妻とスローライフ?
息子の恋であれば応援したい。だが、それが敵国の宰相の娘さんだとは……
いくら停戦中とはいえ、それはただ戦っていないだけだ。仲直りしたわけではない。ルイスヴィ帝国と国境を挟む地域では今も緊迫した雰囲気が流れているというし。
だからこそ、学院の舞踏会という場で宰相の娘さんの手を取る人間はいないのだろう。取れば最後、帝国側からは「取り入るつもりか」。王国側からは「裏切り者」などと疑いをかけられかねない。
「確か名前は、ローズマリアと言ったっけ?」
「あら、知っていたの? 私は昨日アーサーにそう教わったわ」
朝焼け色の髪。ピンクサファイアのような輝きを灯したその容貌は帝国でも随一の美人だと喜ばれていた。父親である宰相は彼女を本当に宝物のように思っていたし、教育の賜物なのか、誰からも愛される環境にいても尚ローズマリアは謙虚な姿勢で周囲からの愛を受けていた。
停戦交渉の前に、王より密命を受けて帝国城下を偵察した時のことを思い出す。
そんな彼女が。今は敵国のど真ん中。
親しい友人のひとりもいない環境で、ただ静かに責務を果たしているというのか。交換留学という名の国策――父の政策が、実を結ぶようにと。
「まだ、十四歳の少女だろう……」
オズワルドは思わず口を引き結ぶ。
「恋敵がいないという点では、アーサーは、もし声をかければ彼女と舞踏会で踊れる可能性が高い。でも、それが周囲にどういった影響を与えるか……」
「マリアちゃんも今は生徒のひとりでしょう? 声をかけるのはダメなことなの?」
「大々的にダメと言われているわけではないさ。ただ、世の中には暗黙の了解というものがある。考えてごらん? ただでさえアウェイ――孤立した環境にいる彼女のことだ。良くも悪くも目立つだろうし、彼女を仲間外れにすることで生まれる団結というものもある。学校というのはとても狭い集団だ。立場が立場なだけに表立ったイジメは無いだろうが、空気でそれに近しい扱いを受けている可能性は十分に考えられる。声をかければ、下手をすれば王国人のアーサーだって巻き込まれるかもね」
「そんな……! そんな酷いことって……!」
血相を変えて立ち上がるリリィの言葉を遮るように、オズワルドは釣竿を握りしめた。
「……あんまりだ」
「あなた……」
苦々しげに吐き捨てる夫に、リリィは寄り添うように距離をちょっとだけ詰めて座り直す。
頭の中には、ひとりの少女が浮かんだ。
煌びやかなドレスに身を包み、誰もが笑みを浮かべる賑やかな会場にいるにも関わらず、星の瞬くようなシャンデリアの下でひっそりと輝くことなく佇む、ひとりぼっちの少女。
「アーサーも心配だけど、ローズマリアのことも……」
「心配だね」と言いかけていると、リリィが思いついたように勢いよく立ち上がる。そして――
「王子様が、必要だわ!!」
「――え?」
王子様……?
それはこの場合、坊ちゃまのご子息、現在の皇太子殿下のこと……ではないらしい。リリィはどこか瞳を輝かせ、鼻息荒く振り返る。
「ひとりぼっちの女の子には、手を差し伸べる王子様が必要なのよ!! それに、アーサーは仮にも騎士を目指す男。可憐な乙女ひとり守れず、誰を、何を守ろうっていうの!?」
「えっと……それはつまり?」
「逆境がなんだっていうのよ!!」
久方ぶりの妻の勢いに戸惑うオズワルドの手を、リリィは熱いまなざしで握る。
「恋は、ときに人を救うの。私があなたに救われたように、アーサーはマリアちゃんを救うべきです!! 私、決めました! アーサーはマリアちゃんを、舞踏会に誘います! いいえ、必ず誘わせます!!」
「いや、でも……アーサーの意思とか立場も……」
「にぶちんなあなたにはわからないかもしれませんけど、アーサーはマリアちゃんにベタ惚れなのよ。口では「第一印象がよかった」とか絞り出したように言うけれど。それって要は一目惚れってことでしょう!? 見た瞬間にビビッっときたの! 王国民の立場とか関係なしに舞踏会に誘おうか迷っちゃうくらいに好きなのよ!? これはもう運命ね!」
「リリィ、おさえて……ちょっと熱くなりすぎだって……」
「これが熱くならずにいられますか!? あなただって、『立場があるから』なんて言って、親として子どもを応援しないわけじゃあないんでしょう?」
「それは……アーサーが望むなら全力で応援するさ。私はもう隠居した身だし、公にこれといって王国に属しているわけでもない。なんなら帝国に引っ越してもいいんだし……」
「だったら!」
リリィが声を大きくすると、湖面を荒らす喧噪に耐えかねたのか水面がちゃぷちゃぷと震えだす。水辺に集まっていた鳥たちが一斉に飛び立ち、魚が高く跳ねたかと思うと、身を隠すようにして散り散りに消えていった。
背筋を撫でるような風に、オズワルドは直感する。
「――あ。来る」
「え? なにが――」
湖を振り返ったリリィが、みるみるうちに大きな影に暗く染められていく。太陽を遮る高さと大きさに、思わず手にした釣り竿を取りこぼした。
「はわわわわ……!」
「ドラゴンフィッシュだ!」
オズワルドはすぐさま釣り竿を手元に置き、携えた剣を構えた。海の王者リヴァイアサンを思わせる巨躯に、鋭い牙、獰猛な眼光――震えるリリィを引き寄せて背後に庇い、短く命じる。
「動かないで。絶対に」
「え――? あなた――」
目を見開いたリリィが次に目にしたものは、地を蹴り、巨獣の髭を掴んで頭頂部に着地したオズワルドだった。彼は脳天に思い切り剣を突き刺すと、怯んだ隙に口の端から喉にかけてを素早く引き裂いていく。
「毒袋を捨てるよ! 飛沫に注意して!」
ポケットから厚手の革手袋を取りだし、その場で切り捨てた毒袋を湖に投げ捨てる。湖は自然の分解場だ。いくら毒でも大地に帰れば年月と共に毒は消え去る。湖の底には、恐ろしいことに生き物の死骸や毒を糧にして生きるモノもいるというし、摂理には背いていないだろう。
その後、空中で身を翻し下顎も切り捨てたオズワルドは、上顎についた髭を引っ張って湖畔に着地した。ダメ押しと言わんばかりに巨大な頭を剣で一刺し、地面に縫い留めて、
「……ふぅ。こんなものかな」
「…………」
呆然と立ち尽くすリリィをよそにテキパキと肉を解体しては、持ってきた厚手の袋に丁寧に詰めて荷車に乗せていく。美味しい部位をあらかた詰め終えたオズワルドは、再び剣を構えて姿勢を低くした。
一陣の風が地を撫でる。リリィの瞼に瞬間、光が瞬き……
――一閃。
巨大な龍を思わせる魚は細切れになって湖に沈み、魚や鳥の餌となった。
オズワルドは、剣を鞘に納めて妻を振り返った。
「怪我はないかい?」
いつもと変わらぬ穏やかな笑みに、リリィは。
「腰……抜けちゃったみたい……」
「やれやれ、仕方ないですね……」
オズワルドは笑って妻を背負い、荷車の脇に運んで休ませた。夕暮れになると寒いかと思い持ってきた毛布を膝にかけてあげる。
「あなた……その、あの……」
「凄いのね……?」いや、そういうレベルか? アレは。
戸惑い口を噤むリリィ。オズワルドは手袋を脱いだ手でそっと優しく頭を撫でる。髪を撫で、ゆっくりゆっくり瞼を撫でた。
リリィがリラックスできるように。今しがた見た光景を、すとんと忘れてしまえるように。
そうして、いつもと変わらぬ笑みを浮かべる。
「今晩は、美味しいソテーになりそうだね」
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