第4話 悩みごと
アーサーは理解した。
今までは父のあの静けさ、穏やかさを覇気がないと思っていたが、勘違いも甚だしい。
あれは――凪だ。
しかもひどく歪な、意図的に作られたもの。
いったいどれだけの訓練をすれば、あのように内に秘めた闘志や殺意を隠し切ることができるのだろうか。まったく想像がつかない。
父の一閃はそれらを一切悟らせることなく木人を両断した。これから斬る、ということを知っていたアーサーでさえ父の殺気に気がついたのは木人が斬られた後だった。いや、一緒に暮らしているアーサーだからこそ、かろうじて普段と異なるその殺気に気づくことができたのかもしれない。常人では、斬られたことすら気がつかないだろう。
「親父、あんたは何者なんだ……」
父はさらりと答えてのけたが、元執事だと? 騎士団にいたことがある? 馬鹿を言うな。あれはそんな次元の話じゃない。
あれは――暗殺者の剣だ。しかも、剣一本で王国最強と名高い騎士団長に及ぶレベルの。
「アーサー」
穏やかな呼びかけに、息子はびくりと肩を跳ねさせる。
「そろそろ帰ろうか。もう夕飯だ」
「あ――」
気がつけば、開いた窓からシチューの良い香りが漂っていた。畑でとれた野菜がたっぷり入った、羊のミルクの濃厚シチュー。アーサーの大好物だ。
「ご飯にしましょう?」
母がチーズとパンの入った籠を手ににこにこと手招きしている。あの笑顔を守りたい、そう思ったからこそ夜家を留守にしたくなくてはるばる自宅から学校へ通っていたというのに。親父はもう歳だから、きっと母さんを守れないって……
「バカじゃねーの……」
その呟きは、月夜の風に攫われて闇に溶けたのだった。
呆然と剣を手に佇む息子を見て、老騎士は口元にふわりと笑みを浮かべる。
(これで少しはカッコイイと思って貰えたかな……?)
だから、そんな息子に「腰が痛いから手を貸して」とは言えなかった。
◇
家族そろって夕食を終えた三人は各々ソファやテーブルで絶品シチューの余韻に浸っていた。しかし何を思ったか、食器を片付け終えたリリィが心配そうな面持ちでオズワルドの隣に腰掛ける。ちょいちょいと手招きして顔を寄せ、ひそひそ耳打ちを――ちょっと、くすぐったいですよ。
「ねぇ、アーサーの様子がおかしくない?」
リリィの視線の先には、温かいココアの入ったマグを手にしたまま少しも口をつけていないアーサーの姿があった。確かに珍しい。いつもなら食器を片した後はそそくさと自室に帰ってしまうのに。
「あなた、何したの?」
眉尻を下げたリリィに言及される。
そんな責めるような目をしないで。私は別に……
「いや、ちょっとカッコイイところを見せただけで……」
「カッコイイところ? 裏庭で? 剣でも振ったの?」
怪訝そうなリリィは、アーサーの元気がないのは自分のせいだと思っているようだ。どこかムッとして頬を膨らませ、
「何それ、私も見たかった」
「あ。そっち……」
相変わらず可愛いですね、リリィは。
「じゃなくて。アーサーの元気がないのが心配なのでしょう? わかった、聞いてみるよ」
オズワルドはソファから立ち上がり、ぼーっとするアーサーの向かいに腰かける。
「どうかしたのかい? アーサー」
「あ。親父」と視線だけの返事が返ってくる。あんまり口をきいてくれないのはいつものことだ。これくらいではへこたれない。
「元気がないね。風邪でも引いたか?」
「…………」
「学校でうまくいかないことでも?」
「…………」
視線を逸らされ、悉く無視をされる。パパもうめげそう。
オズワルドは首をぶんぶんと横に振り、今一度背筋を伸ばした。なんのこれしき。坊ちゃまの反抗期に比べればこの程度……
(やれやれ、仕方ないですね……)
ここは攻めの一手。オズワルドは夕食前の会話で気になっていたことを口にする。
「アーサー、お前。好きな子ができたんだろう?」
「「!?!?」」
荷馬車に轢かれそうな猫の如く、大きく見開いた目がかち合う。同時にソファで様子を伺っていたリリィが飛び込んできた。少女のように瞳を輝かせ、もう我慢ならん! と。恋の話となるとピラニアのように食いつくのは古今東西どんなメイドも一緒だな。元、だけど。
「なになに!? アーサーに好きな子ですって!?」
「えっ!? あっ――」
「さっきね、珍しく話しかけてきたと思ったら『どうして母さんと結婚したの?』って。すぐに気が付いたよ。あ、好きな子できたんだなって」
「ばっ――!? ちが……!」
「隠さなくてもいいさ、お前の年頃なら好きな子のひとりやふたり。で? 結婚を考えるくらいに進展しているんだろう? 親に相談しないといけないくらい難しい間柄の子と」
「誰だれ? 誰なの!? きゃ~! お姫様とかだったらどうしましょう! 私が仕えていた姫様のご息女が確か、王立学院にご入学なさったって……アーサーの行っている士官学校は隣だったわよね!?」
「えっ!? ひめ、さま……?」
「おいおい、姫様はまだ十歳だろう? 恋をするには幼すぎ……」
「あら? 恋に歳の差なんて関係ないわ。それに、私の初恋もあなたと出会った十歳の頃だったもの。女の子というのは、殿方が思っている以上に大人なものなんですから」
これ以上ない力説にオズワルドは納得する。
「そうか~、姫様か~」
「ちがうって――!」
「素敵ねぇ! 私、全力で応援しちゃう!」
「だからぁ!!」
「無論、私もさ。そうと決まればみっちり鍛えて、どんな身分の方でもお守りできるよう――」
「いい加減、話聞けって! 馬鹿親父!!」
ばぁん! と勢いよくテーブルに手をついて立ち上がると、アーサーはこれ以上ない剣幕で父親を睨みつけた。
「俺を置いて勝手に盛り上がってんじゃねぇ!」
(お、怒られてしまった……私だけ……)
理不尽だ。でもアーサーはリリィに甘いから仕方がない。マザコンって言うと怒られて、一か月口きいてくれないから言わないけどさ。
しかし、私達が勝手に盛り上がっていることがわかるなんて大人になったなぁ。
両親が大人しくなったのを確認し、アーサーは大きなため息と共に席に着いた。
「別に好きな人とか、そういうのじゃなくて……今度、士官学校の訓練で社交界実習があるんだ。隣の王立学院と合同で舞踏会が開かれる……」
「ああ、もうそんな時期か」
オズワルドはコーヒーの入ったマグを片手に思い出に耽る。
過去、彼の世話した坊ちゃま達が参加するにあたり「可愛い女の子を見つけるんだ!」「家柄に縛られずに女の子を物色できる数少ない機会だからな!」「士官学校の奴らに取られないように唾をつけておかないと!」などと舞い上がってばかりで碌にダンスの練習をしなかったせいで、実習直前の一週間前に「じぃやぁ!」と泣きつかれ、死に物狂いで寝る間も惜しんで付き合わされた。おかげで翌半月は腰痛がひどくて、もう……
「ふふ、懐かしいですね……」
思わず零すと、リリィが目を輝かせ、顔を覗き込んでくる。
「あら、社交界実習に参加したことが!? いいなぁ、私も王立学校出身だけど、侍女教育課程だったから実習では飲み物やお菓子の配膳しかできなくて……」
「あんなに上手に踊れるのに、それはもったいないね。でも、実は私も参加したことは無いんだ。お世話した坊ちゃまが参加なさっただけさ。あとは、騎士団にいた頃に若い部下が数名参加していたかな?
にしても、あれはアレだろう? 王家も騎士も身分に関係なく全員参加な催しで、ダンスのお相手を当日に見つける社交性を身に着けるのが目的――とは口先だけ。実は皆、実習前から相手を探してあるやつだ」
「それ! そうなんだよ! ったくなんなんだ、結局はコネ権力で出来レースかよ!?」
「ははぁ、さてはアーサー。『あの噂』を真に受けてるな?」
「……『あの噂』?」
リリィがきょとんとする一方で、アーサーはバツが悪そうに視線を逸らす。それはつまり、『あの噂』が今も健在ということだ。
「士官学校にまことしやかに流れる噂さ。『騎士たるもの、想いは一途に貫くべし』……『社交界実習で最初に踊った相手と結婚する確率は、五十パーセントを超える』だっけ?」
にやりと尋ねると、アーサーは小さく首を縦に振る。
「……先輩が、そう言ってた。実際、先輩の先輩は社交界実習で踊った相手と結婚したって」
「あらあら、まぁまぁ! 素敵な話!」
「なにが素敵なもんか。母さんにはわからないだろうけど、今までずっと剣振って生きてきたのに、急に『ダンスの相手を探せ』なんて言われても……」
(ああ、アーサーもこんな顔をするようになったのか……)
顔のにやつきを抑えるのが大変だ。隣のリリィなんて、もう終始破顔しちゃってニコニコにこにこ……
「笑いごとじゃねぇからな?」
あ。バレた。
「ごめんよアーサー。私は親として、ただ嬉しくて……」
「そうなの! もう楽しくてしょうがないだけなのよ!」
(リリィ、一言余計だよ……)
かくいう自分も物凄く楽しんでしまっているが、息子としてはたまったものではないだろう。だが、子どもが困っていたら助けてやるのが親というもの。オズワルドは腕を組み、うんうん、と頷いた。
「社交界実習は三月の末だったか? 学年が入れ替わるから確か毎年その時期に……あと半月しかないじゃないか」
「親父、やけに詳しいな」
「それはもう、元侍従長ですもの!」
「なんで母さんが自慢げなんだよ」
「そもそもアーサー、こういった行事の案内は何か月も前から告知されているものだよ? そうでなければ衣装の準備ができないじゃないか。さてはお前、恥ずかしいからと母さんに紙を渡さずにいたな?」
図星を突かれ、アーサーは黙りこくる。だが、小声で「だってウチにそんな金……」と言ったのをオズワルドは見逃さなかった。内心で、我ながらに不器用だとため息を吐く。
「誤解させてしまっていたならすまない。ウチが田舎で野菜と花を育てて暮らしているのは、お金が無いからじゃないぞ。ただ私がスローライフしたいからだ」
「えっ」
驚き固まる息子に、妻が追い打ちをかける。
「そうよ。パパ、退職金いっぱいなんだから」
「いっぱいと言っても、無駄に豪遊しなければ満足に暮らせるくらいの額さ。でもまぁ、息子を不自由なく学校に通わせられる程度はある。なにせ二十三年だからね」
伊達に人生の半分近く務めていないさ。
「しかも王宮務め十年、その前は王都騎士団十三年よ?」
「うそ。親父王宮務めだったのか? てっきり田舎の没落貴族の執事かと……ってか、王都騎士団て……」
息子の顔色がみるみるうちに青ざめる。無理もないだろう、士官学校に通う少年らは皆、王家直属の近衛部隊――王都騎士団に入ることを夢見て剣を振るうのだから。
アーサーのマグを握る手は震え、縁からココアがちゃぷちゃぷ波打つ。お願いだから零さないでくれ。ココアは染みになると落とすのが大変で……
「は? なんで? 今まで黙って……」
「だって、アーサーは口をきいてくれないんだもの。言う機会がなかったんだよ」
「~~~~っ!」
真っ赤になったアーサーは「このっ、たぬきおやじ!」と泣きべそを掻きながら悪態をつく。そんな様子も可愛いよ。だって孫みたいな年齢の息子だもの。
「さぁ、そうと決まれば忙しいな。マナーとダンスは私が教えるし、練習相手は母さんでいいだろう? 宮中でも彼女を超える者は中々いなかったんだ」
「え。母さんが?」
きょとんと大きくなる瞳に、リリィは「こう見えて姫様にダンスをお教えしたこともあるのよ?」と自慢げに胸を張る。
「まぁ……嫌じゃ、ないけど……」
視線を逸らしてもぞつく息子に「マザコンめ」と言ってやりたい。いくら歳を取ってもね、やきもちを全く焼かないわけじゃないんだよ。リリィは私のお嫁さんですからね?
「あとは、舞踏会で着る服を……」
「それなら私のお母さんに仕立てて貰いましょう!」
リリィの母、マリーは元侍女長で、歳は三つ下だがオズワルドの同期に当たる。確かに、彼女の腕なら礼装だろうが何だろうが朝飯前だ。街のどんな服屋よりも素敵なものを仕立ててくれるに違いない。
あれよと話は纏まって、あとはダンスのお相手だけだが……
アーサーが自室に戻ったのを確認し、リリィに声をかける。
「リリィ、ちょっと」
「ん。なぁに?」
呼ばれると、リリィはソファの隣に腰掛けてぴったりと身をすり寄せた。ふたりきりだとすぐに甘えて……もう、いくつになっても可愛いな。
とはいえ彼女はまだ三十五。オズワルドからすればまだまだ若い。甘えたいのも仕方ないのか? それともこれは彼女の性格――? と。脱線するところでしたな。
「お願いがあるんだ」
改まって告げると、リリィはほんのり頬を染める。
「あら、二人目?」
「そうじゃないよ……アーサーに探りを入れて欲しいんだ。あいつには絶対、舞踏会に誘いたい子がいるはずだ。さもなければ普段口をきかない私にあんなことは聞いてこない。でも、私が聞いても逆効果なだけだから」
「なるほど……いいわ、楽しそう! まるでスパイみたいね!」
ふふ、と笑う彼女はいくつになっても私の天使だ。それに……
(スパイ、か……)
不思議だな。彼女の口からこうも楽しげにそう零されると――まるで救われた心地になる。
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