第20話 襲撃
夜になった。隊商はいつ起こるとも知れない不測の事態に備え、護衛の冒険者たちをそれぞれの持ち場に展開して警戒に当たらせることになった。既にオルフの商人ヌメルノからの使いは追い返していた。向こうの要求に従わない意思は街に入らないことで示し、ヌメルノが寄越した傲慢な使い走りにも、疑問の余地のない冷淡さで対応することで、改めて分からせてやったようだ。つまり、彼の商館で不味い食事や歓待を受けることも、貴重なお宝の一片たりとも払い下げる気など金輪際ないということだ。手ぶらでヌメルノの下に帰ることになった使いがどんな目に遭うかは、御者の話を半分にしたとしても同情を禁じ得ない。面子を潰されながら、「ご苦労だったな」の一言で済むはずがないだろう。
そんな憐れな使いがすごすごと街に戻って行くと、俺たち3人は星明かりの下、持ち場に着いた。外套を羽織って来たが、すぐに焚き火が恋しいほどの寒さが忍び寄ってくる。下腹に力を込めてやり過ごす。夜はまだ始まったばかりだ。
ほどなくして、俺の右手の方からそろそろと腰を屈めながらモリネロがやって来た。フード付きの外套を羽織ったモリネロはあまり寒そうには見えなかった。厳しい寒さで知られる北方の山育ちだから、このくらいは何てことないのかもしれない。
「今夜、何か動きがあると思いますか?」
「どうかな。でもまあ、常識的に考えて、自分の街のすぐ側にいる隊商を襲うような馬鹿な真似はしないんじゃないか」
「そのヌメルノは常識的なひとなんですか?」
モリネロの皮肉に俺も苦笑する。そもそもまともであれば、今のように城塞都市ウルクの冒険者ギルド、それにこの地の領主を敵に回すようなことはなかっただろう。自分の身が危ういことになっていることも気づいているとは思えなかった。
「見張りなんて慣れないことをするのは危険だと思いまして、私の使い魔に手伝ってもらおうかと思います」
モリネロはそう前置きをしてから呪文を唱えた。複雑な紋様が精緻に施された、やや幅広の革製の腕輪をはめた右手を差し伸べるようにしながら、聞き慣れない言葉を発する。力ある
呪文を唱え終わると、モリネロの前方の地面に黒い歪みのようなものがゆっくりと生じた。意思を持ったその歪みは、徐々に別の何かに形を変えていく。闇に蠢く禍々しいものの出現を想像して背中に冷たいものが走るが、見る間に形を成したそれは――闇よりも濃い漆黒の猫の姿をしていた。それはあまりにも黒いために、暗闇に浮かび上がるような鮮やかな存在感を放っていた。その初めて見るモリネロの使い魔は、単純に言って途方もなく美しかった。
「我が主、大魔法使い殿。ご機嫌麗しゅう」
優雅な身のこなしで頭を下げて挨拶をしたその使い魔は、皮肉交じりに大仰な言葉を並べならがら、自身は少しもご機嫌には見えなかった。
「こんばんはミル。今夜はとっても機嫌が良さそうだね」
「僕を呼び出してどんなことを命じるつもりだい? 君の気に入らない奴を呪い殺してみせようか。それとも、いたいけな婦女子をかどわかしてこようか」
ミルの眼が凶暴な光を帯びる。全く穏やかな台詞じゃないが、モリネロはまったく動じることなく話を続けていく。もしかしたらこれが、ふたり(ひとりと一匹だろうか?)のお決まりのやり取りなのかもしれない。
「ミル、残念ながら今夜はそのどちらでもないよ。この周囲を見張っていて欲しいんだ」
と、ここで今度はウリクルがやって来た。
「なあ、おい、今夜何かあると思うか?――って、おい!? なんだ猫か、びっくりさせるなよ」
「これはこれは、我が主の忠実なる戦士ウリクルではないか。いいのかい? 持ち場を離れて油を売りに来て」
どうやらこの使い魔は憎まれ口を叩くのが好きなようだ。ウリクルは猫が喋ったことに驚く間も無く、その物言いにむっとした顔を見せた。
「ちょっと、待ってください。紹介が遅れましたが、これは私の使い魔のミルです。少し口が悪くて誤解されやすい性格ですが、あまり気にしないでください」
声を押し殺しながらモリネロがすかさず取りなす。
「改めましておふたり様、初めまして。モリネロの使い魔を務めさせていただいております、ミルと申します」
芝居がかった口上を述べたミルは、先ほどと同じように優雅に頭を下げた。俺たちも挨拶を返す。
「ミルに周囲を見張るのを手伝ってもらおうと思いまして」
「見張るだけで良ければやってやらなくもないけど、もう少し詳しく話を聞かせてくれないかい? 僕が勘違いして、無害な人を異界に引きずり込んだりしないようにね」
俺たちに光る眼を向けるミルの口ぶりは、冗談とも本気ともつかない。ウリクルは思わずぶるっと身体を震わせた。
「ダンジョンでこの使い魔に手伝ってもらっていたら良かったんじゃないのか?」
ウリクルは当然の疑問を口にした。確かに、いつ現れるかもしれない魔物や、密かに仕掛けられた罠に常に神経を尖らせていた俺たちの負担は、随分軽くなったんじゃないだろうか?
「やれやれ、冗談じゃないよ。それは本当に御免被るね。あんな暗くて淀みきった空気が充満する、荒んだ狭苦しい空間にいたら気分が悪くていけないって、僕を呼び出すのは絶対にしないようにお願いしているんだからね」
ははっ、なんてやつだ。ミルは俺たちが必死こいて攻略を目指すダンジョンを完全否定した。
「使い魔って、みんなこんな感じなのか? なんかこう、もっと契約に基づく絶対的な主従関係なのかと思っていたよ」
ウリクルも俺も完全に予想外の使い魔の言動に、驚き呆れるしかなかった。
「私とこのミルは、かなり特殊なんだと思います」
特殊である自覚はあるようだが、モリネロは特に嫌とは思っていないようだった。
――そんな訳で、ミルにも手を貸してもらい、俺たちは周囲の見張りを再開することにした。ミルは俺たちの持ち場よりも前方を見て回ると言い残し、暗闇に溶け込み音もなく姿を消した。
「いつもあんな感じですが、了解したことはきっちり果たしてくれます」
使い魔に対するモリネロの信頼は固いようだった。
「お前がそう言うなら確かなんだろうよ。俺はお前ほど確信を持てないがな」
ウリクルの言葉に俺も同じ思いだった。モリネロは苦笑いを浮かべながら、小さく大丈夫と呟いた。俺はあまり当てにしないことにした。ウリクルは寒いことを嘆きながら去っていった。
夜空は雲ひとつなく無数の星が瞬いていた。自分の背後の隊商の馬車とその後ろの街を囲む城壁以外、視界を遮るもののない夜空一面に広がる星々が、手に取れそうなほど近くにある感覚に襲われる。無数の星明かりに、今自分の下にある大地が丸ごと飲み込まれてしまいそうだった。
馬車をひとかたまりに集めた隊商は、護衛する者を除いた商人とその使用人たちが火を囲んでいるのが見える。一日の旅を終えて疲れを癒す夕餉の時間を過ごしているようだったが、ヌメルノの報復があるかもしれないと、内心震えているに違いない。相手方に怪しまれないための、最低限の護衛役がこれ見よがしにその周囲を行ったり来たりしている。どうやら俺たちと同じく、何も知らされていない駆け出しの冒険者のパーティのようだ。ぎこちないのは演技でもなんでもなく、本当に慣れていないのだろう。ヌメルノの手下が襲ってきても、うまく対処できるとは思えなかった。
暗闇に目を戻すと、膝丈くらいの枯れ草が生い茂り、肌を刺す寒風にカサカサと音を立てている。それはまるで、不吉なことを予感させる、神経に触る思わせぶりな音色だった。何かあるとすれば明日、森の中を進むところだと思っていたが……。
俺たちがここに潜んで見張っていることを相手が把握してなければ、街の反対側のこっちから不意を突く可能性は高い。そうなると真っ先に刃を交えるのは、俺たちだ。
その時、キーンと空気を鋭く震わす微かな音が耳に入った。モリネロの使い魔、ミルが出した鳴き声だった。かなりの高音のため、予め聴いてなければ聴き逃してしまっただろう。何者かがこちらに迫っている合図だった。刀を引き寄せ、中腰のまま枯れ草から慎重に顔を出してみる。星明かりで見通しはいいが、風で自然にそよぐ草以外の動きは見られない。まだ少し先にいるということか。モリネロ、ウリクルが集まってきた。ミルも戻ってきた。
「あと数分でここまで来るはずだよ」
ひそめた声だったが、明らかにミルは楽しげだった。人数は8人、武器は既に手に持ち、そのうちのふたりは弓を持っている。音を立てないようにしてるが、それは成功してるとは言えないらしい。
テキパキと手早く見てきたことをミルは告げた。予めここまで詳細に分かるのは本当にありがたい。
「モリネロ、すぐにバルドのとこに知らせに行ってくれ。ウリクル、先ずは弓使い《アーチャー》からだ」
「おう、マジで来たな。思ってたより多いな」
だからこそ俺たちは先に仕掛けていかねばならない。
「お互い孤立しないようにしよう。ひと押ししてあとは成り行き、手こずるようなら無理せず引いてバルドたちに合流だ」
モリネロはミルと共に隊商が野営するところへ駆けて行った。俺とウリクルは相手の側面に回ろうと、極力音を立てないように急いで移動する。入れ替わるように、俺たちの斜め方向から相手がやって来るのが分かった。あまり身を隠す努力もせずに近付いてくる。人数は揃えたものの、街のゴロツキが金欲しさにひと暴れしにやって来た、くらいにしか見えなかった。こっちが商人と、形ばかりに同行させる数人の護衛の冒険者しかいないと思ってるのだろうか。一見したところ特別脅威となりそうな者はいない。ただウリクルが言うように、人数が少しやっかいだ。相手がその人数を活かして襲ってくるようだったら……。
横に控えるウリクルを見る。覚悟を決めた静かな佇まいだった。まだ若いのに幾多の死線を潜り抜けてきた古強者のような、不思議な威厳が備わっていた。俺たちと
相手があと10歩くらいの所まで近づいてきた。ふたりの弓使いが矢を番える――。
隊商を襲いに来たことは間違いない。俺はそれを見届けた瞬間、中腰のまま駆けた。左手で鞘を押さえ、右手は柄にかける手前、一直線に相手に向かう。
俺が駆け出した音に相手がビクッと反応した。
あと5歩。
敵が俺が向かって来る方向をようやく見定める。火を焚いている隊商の方ばかり見ていたから、暗がりに目が慣れなかったに違いない。射手のひとりは完全に動きが止まり、もうひとりは慌てて矢を落としそうになった。
駆ける速度をさらに上げ、俺は右手を柄に添えた。いつものように掌に柄がしっくり馴染む。
――零
左の親指が鍔を押し出し、同時にゆるりと右手が鞘から刀を走らせる。抜いた刀を片手で右斜めに薙ぎ、相手の右の首筋を切り落とす。ひとり。
流れを止めずにその左後方にいた射手に左足を向け、相手の左の腰から右の肩口へ、両手で刀を斬り上げる。構えていた弓もろとも逆袈裟に斬った。ふたり――
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