第10話 トロルを倒すお人好し

 トロルの後ろから間合いを詰めていく。離れた位置にいる弓矢を構えた者が俺の存在に気づいた。トロルはまだだ。左の腰にある刀の束に右手をかける。左手の親指で鯉口を切る。トロルが振り返りざま右手の鉤爪を伸ばす。誰かの警告の声が響いた――。


 俺の左斜め下から猛烈な速さでトロルの鉤爪が襲い掛かるのを感じた。しかしそれよりも速く、鞘から放たれた刀はその右腕の上腕部分から両断した。斬った右腕は宙を舞った後、鉤爪がそのまま床に突き立った。トロルが苦悶の叫びを上げる。間髪入れずに俺の右側から猛然と突進してきたウリクルが上段に構えた剣を振り下ろし、胸から腰のあたりを深々と斬る。魔法の効果もあってか、会心の一撃だ。さらに血を噴き上げて後ろに崩れ落ちるトロルの胸に、ウリクルはとどめの一撃を突き刺した。トロルは完全に絶命した。


 トロルは俺の知っている鬼に似て非なるものだった。そこかしこに骨が散らばっているのは、トロルの犠牲になった冒険者のものだろうか。一体どれだけの冒険者が喰われたのか、夥しい数の骨だった。横倒しになっているトロルを挟んで俺とウリクル、大剣を持つ戦士と槍を持つ戦士が向かい合う格好で顔を合わせた。


 お互いに声をかけようとした時、後方で弓矢を放っていた小柄な男が切迫した声で言った。

「早く来てくれ、危険な状態だ!」

小柄な男のそばに甲冑を着た男が倒れこんでいた。肩口からトロルの爪をまともに喰らった様子で、胸の甲冑は剥がれ落ち、その下に着込んでいた鎖帷子もちぎれて血が流れている。意識もないようだった。叫び声をあげたのはこの男だろう。まだ若い男だった。槍を持った戦士がそちらに走っていく。長い黒髪を後ろで束ねた女だった。


「ひとまず、助けてくれたお礼を言わせてくれ」

慌ただしく大剣を持った戦士が言った。目立った傷はなかったが疲労が激しく、剣を杖のように支えにしてようやく立っていた。俺たちへの礼の言葉もそこそこに、仲間の様子を窺いに行く。弓矢の男が傷薬ヒール・ポーションを傷口にかけて治療を始めていた。しかし、あまり目立った効果は見られなかった。傷口から血が噴き出すようにして流れ、収まる様子はない。あまりにも傷が深く薬が効かないのだろうか。そもそも治癒の魔法を持つ者がいないようだ。戦士が3人と弓矢を持つ、おそらくは斥候スカウトの4人のパーティと、ずいぶん偏った組み合わせだ。この地下迷宮ダンジョンにやって来てまだ日が浅いのかもしれない。


 重苦しい雰囲気が漂う中、俺たちの荷物を抱えながら急いでやって来たモリネロが彼らの輪に入り男の傍らに座った。先ほど使っていた傷薬を斥候スカウトの男から引き取り、素早く呪文を唱えていく。俺たちはまだ傷を治すモリネロを見たことがなかったので、彼らと同じように固唾をのんで見守る。さっき俺の刀に魔法をかけ損ねたことが頭をよぎるが、今度はすぐに魔法の効果が現れ、傷口からの出血が収まっていく。次に自分のポーチから小瓶を取り出し、それを口に流し込む。そして並行して、左手で男の額を押さえながらまた呪文を唱えた。真っ青だった男の顔に血の気が戻ってきた。それを見て仲間が必死になって声をかける。

戻ってこい。

目を覚ませ。

生きて還るぞ。


 魔法の効果か、仲間の必死の叫びかは分からない。いや、そのどちらでもあったのだろう。確実に死に魅入られていたはずの男は何とかその抱擁を振り切り、こちら側に戻ってきた。男は身じろぎし、薄く目を開いた。仲間たちを見て、そして安心したように微かに笑った。斥候の男は歓声をあげ、大剣の戦士は大きく息を吐きどっかりと座り込んだ。槍の女は涙を流していた。モリネロも心から嬉しそうな笑顔を見せた。そんな風に笑うモリネロを見るのは俺は初めてだった――。


 ほどなくして、男の様子が落ち着いたのを見計らって俺たちは改めて言葉を交わした。

「改めて礼を言おう。本当に助かった」

年長の大剣を持つ男が言った。

「勝手に助太刀をするかたちになってしまったが、うまくいって何よりです」

殊勝にウリクルが返す。

「いや、正直あのトロルにはだいぶ手こずっていたんで、加勢してくれなければ我らは危ういところ。しかもそちらの術師に仲間の命を救ってもらった。お礼のしようもない」

モリネロは男の傷口を包帯で巻いて、左腕も固定していき、何とか立って歩けるように処置を続けていた。その手際はまるで本職の治療術師ヒーラーのようだ。何も知らないこのパーティにはそう見えてもおかしくないだろう。

 

 ウリクルが主に相手のパーティと話して、聞いたところによれば、彼らは半年前からこの地下迷宮ダンジョンの探索を始めたという。ただ、ダンジョン探索以外の他の依頼を主にこなしていたので、探索の経験はそこまで多くないそうだ。さらにトロルのような比較的強い魔物に遭ったのは今回が初めてで、仲間がここまでの重傷を負うこともなかったため、道具屋で仕入れた傷薬で十分だと思っていたという。真剣に治療術師ヒーラーを仲間に加えようとしてこなかったツケがまわってきた、というわけだ。

 

 しかも、実はパーティの主催者オーナーが今回傷を負った若者で、他の3人は金で雇われたフリーの冒険者だったという。若者は商人のひとり息子だったらしい。


「どこかの成金商人のどら息子が、暇と金を持て余してをしたいんだろうと、我らも初めのうちは思ったんだが、実際は全然そうじゃなくてな…」詳しい理由について多くは語らなかったが、今では皆、彼の人柄と目的に惚れ込んでパーティを組んでいるらしい。しかし、今回のことを良い教訓にしてパーティを立て直したいと大剣の戦士は言った。ウリクルはここぞとばかりに、このダンジョンのことをいろいろ聞こうとしていたが、まだ足元もおぼつかない男を抱え、地上になるべく早く戻りたい彼らを引き留める訳にもいかず、早々にお互いに別れることになった。


「先ほどの目の覚めるような戦いぶりと治療の術で、我らを救ってくれたこと、決して忘れませんぞ。何かあれば力をお貸しして、今回のことに必ずや報いますぞ」

そう言い残して彼らは去っていった。俺たちは無事に地上に戻れることを心から祈った。


「まぁ、分かっちゃいるが、ただ働きになっちまったなぁ」

彼らが立ち去るとウリクルがぼやいた。

「俺たちみたいなやつのこと、何て言うんだっけ?」

俺が尋ねた。薬やら、包帯などを自分の荷物に仕舞いながら皮肉交じりにモリネロは答えた。

「やれやれ、当然知っているかと思っていましたけどね。私たちみたいな人のことを、“お人好し”って言うんですよ」

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